12 魔王の娘
「私、魔王の子どもなんです」
仮面屋。夜も明けた頃である。路地裏ながらもほんのりと太陽の光を受け入れた店内。外では鳥が鳴き、微かだが物を動かす音も聞こえてくる。街も目覚めかけていた。
少女アイリスは椅子に腰かけていた。つかない足をばってんに組んで軽く揺らしているが、両手は固く握りしめてひざ上に置いている。
「あら、言っちゃった」
彼女の横で丸机を支えにして立っているのは仮面屋の女主人ネアだ。アイリスの言葉にぽかんと口を開けている。
対してスカルは妙に納得していた。彼は出口の扉のすぐ横に背中を預けている。
あの強さ、冷酷さ、そして襲い来る時の漆黒の瞳。魔王をも想起させた強い殺気。奴の娘なら合点がいく。しかし、こうもあっさりと打ち明けるとは思わなかった。スカルは今こそ落ち着いて考え込んでいるが、その言葉を耳にした瞬間は明らかな動揺を見せたものだ。ガタッと肩が震え、壁にぶつかった衝撃で店が軽く揺れたほどである。
冷静さは取りもどしたものの、やはり心のどよめきは鎮めるのが難しい。もし今、彼に心臓があったのなら、それはもうドラムロールのように鼓動していただろう。スカルは魔力で作り上げた喉に準備をさせるように小さな咳ばらいをした。
「しかし、よかったのか。俺にそんなことを話して」
「はい、いいんです。私、負けちゃいましたから」
アイリスはやけに素直だった。出会ってすぐに刃を向けられた時とは大違いだ。だが、安心してはならない。なぜなら、彼女は隙をついて騙してくるから。
スカルは念押しとばかりに口を開いた。
「だが、言っておくが……俺はもしかしたら身分を隠した”追っ手”かもしれないぞ。ただ、君たちを泳がせているだけの。そんな信用ならない奴に言っていいことじゃないだろう」
だが、アイリスは自信なさげに俯いて言った。
「いいえ、ネアお姉ちゃんが言ってましたから。『お兄さんは”追っ手”じゃない。信頼できる人』だって。それに――」
「それに?」
「”追っ手”は、そのこと知ってますし」
アイリスの言葉にスカルは眼窩を見開いた。「そうなの?」と無言の問いかけをネアに向けるが、返ってきたのは呆れたような頷きだった。
少女は続けて言う。
「お兄さんの反応を見て気づきました。疑ってごめんなさい。お兄さん、ふつうのひとだったんですね」
「と、言うと?」
スカルの問いにアイリスはより俯いて答えた。
「分かるんです。私、人の顔色ばっかり見てたから……私のことをお兄さんが聞いた時、あれは本当に知らない人の反応でした」
スカルはまだ彼女の言葉が信じ切れていなかった。ネアにもう一度顔を向け、「ほんとに?」と疑念の目を向ける。ネアはやはり頷きと共に大きなため息をついた。
「大丈夫ッスよ、”勇者スカル”さん。アイリスちゃんはもうあなたに剣を向けません」
アイリスも頷いた。
「はい。お兄さんは敵じゃありませんから。私のこと、見逃してくれたんですよね? それもお姉ちゃんから聞きました」
見逃した――と言っても、語弊がある。正確に言うなら阻まれた、だ。
スカルは口には出さなかったが、心の中でそう唱えた。あの後、彼は心の涙を流し終えると、アイリスの処遇について考えた。ネアに諭され、手は止めた。殺す気もさらさら無くなった。しかし、このままこの少女を放っておく訳にもいかない。彼女は脅威でしかないのである。
それを察してくれたのか、ネアが言った。
「アタシがこの子のこと、説得します。だから、あなたは――」
この子を守ってあげてください。
交換条件だ。確かに、それならアイリスとの敵対関係も薄れるし、なんなら味方として旅の手助けもしてくれるかもしれない。だが、彼はできればアイリスとは離れたかった。現状はギリギリだ。まだなんとか人間として見てもらえているが、それも風前の灯。何かの拍子に魔物であることがバレでもすれば、それこそ一巻の終わりであろう。なんせ、彼女は――
「私、魔物をこの世界から消し去りたいんです」
そう願っているのだから。
「なぜそう思うんだ?」
確かに、スカルも魔物を憎らしく思う気持ちは十分にあった。しかし、ある時に気がついたのだ。それは際限がないのではないか、と。
スカルの時代には”魔王”というとてつもなく巨大な壁があった。まずはそれを乗り越えなければ、人に害をなす魔物を駆逐することなど叶わない。だが、仮に魔王がいなくなったとしてもどうだろう。彼はそう疑問に思った。
魔物との戦いの歴史は長い。それこそ、人類が生まれた時から続いてきたようなものだ。どこから湧いてきたかも分からない魔物。もはやその数も一時は人類をしのぐ数にまで膨れ上がったと言われている。もし、それを絶滅まで持っていくとするならば、世界中のネズミを駆除しきるのと同等か、それ以上の労力を必要とするだろう。
だからスカルは目を背けたのだ。憎きものは”魔物”ではなく、そのリーダーである”魔王”。それに注視し、剣を振り続けたのである。そして、なにより彼女の願いに含まれた”矛盾”。魔王の血を引く彼女は、いったいどちらなのだろう。もし魔物を殲滅するとしても、それがこの子自身も含まれるのかもしれないということを分かっているのだろうか。
しかし、彼女の瞳は純粋だった。そんな疑問に気づくことなく、自分の力ならそれが出来ると確信している。強い瞳だ。まるで大海原のような……。だが、さざなみが起ころうとしている。彼女の眼には危うさがある。
アイリスは言った。
「魔物は私の村を焼きました。お母さんも巻き込まれて、焼けた家の下敷きになって死にました。だから、嫌いなんです」
スカルは疑問に思った。魔王の妻を魔物たちが殺しただと? すると、ネアが言った。
「この子のお母さんは普通の人ですよ。アタシの叔母さん。魔王がまだ権力を得る前、その時にあの人の住んでた村が襲われたんです」
「つまり、二度襲撃にあったということか?」
「はい。運良く……って言っていいんですかね。一度目は生き残れたみたいなんです。なんですが……」
言葉を濁すネア。ああ、そうかとスカルは察した。
どうやら、アイリスは望まぬ子だったらしい。二度に渡って魔物たちの襲撃にあい、そして悲惨な末路を辿ったというわけだ。その結果、この世に生を受け、力を授かってしまったアイリス。魔物たちを憎み、絶滅までをも望むのも無理はない。
スカルはこれ以上そのことについて聞かなかった。充分すぎる理由だし、幼い野望に現実を突きつけていいはずもない。いずれそれに気がついたとしても、昔おなじことを志した者同士で慰め合うこともできるだろう。少なくとも、今ではない。
だが、これだけは聞かないといけないだろう。”追っ手”についてだ。追っ手の正体について大体の予想はできていた。
「君たちの言う”追っ手”。魔物たちだろう」
うつむくアイリスの横で、ネアがこくりと頷いた。
「正確に言うと、元魔王軍ですね。南の勇者さまにより一度は潰滅しましたが、残党どもが再び結集したようで」
また”南の勇者さま”、か。スカルはその名前に辟易としながらも毅然としていた。
「この子を追う理由は何か知っているのか? まあ、こちらとて予想はつくが……」
「ええ。奴らの考えてることぐらいは分かります」
「”排除”か」
「”再臨”か」
どちらかしかない。魔王に成り上がろうとするハングリー精神を持った魔物がいるならば前者だろう。だが、候補としてより強いもの……それは後者の”魔王の再臨”だ。奴らはいわば寄せ集めの烏合の衆。魔王という絶対的な強者、そしてリーダーシップを持つ者がいたからこそまとまることができた。現在を見れば、それは顕著に表れている。
魔王が死んでからというもの、魔物たちは雑魚として獣よろしく狩られる始末だ。知性もそこまで備わっておらず、群れの強みを理解しない者も少なくはない。だが、魔王軍が強かったのは、それを束ねる魔王と、集団で動くことの強みをより理解した参謀がいたからこそだった。そして、奴らは再び群れで動こうとしている。捥がれた頭を挿げ替えようとしているのである。
スカルはその考えに至りそうな魔物に心当たりがあった。彼が昔敗れた相手、魔王軍近衛師団長兼参謀、怪鳥のミスタである。もし、奴がまだ生きていたとすると、これまた厄介だ。
鷹のような上半身、翼と顔を持ち、下半身はまるでライオンのように強大で、腰には細い尾が生えている。燃え上がる炎のような情熱の体色を誇り、大局を見渡す知能と鳥由来の機動力、そして何より他の魔物と一線を画す戦闘能力によって魔王から絶対の信頼を寄せられていた魔物だった。
奴は魔王に陶酔していた。それも世界が見えなくなるぐらい。少しでも魔王の機嫌を損ねた者がいれば、仲間であろうと、友人であろうと処刑する。敵に対してはもっと酷い。蹂躙に次ぐ蹂躙。近衛師団長として大成する前にも個人で軍を率いていたが、進行した場所は草の一つも残らないほどの惨状であった。そんな奴が万が一生き残っているのなら――人類はいまだ魔物の脅威の前に立っている。
だが、幸いなことに奴らはまだ鳴りを潜めている。おそらく、アイリスを連れ去らい、新たな魔王として君臨させてからが本番なのであろう。しかし、アイリスが仮に連れ去られたとして、そう簡単に魔王に成り代わってくれるのだろうか。資質はある。だが、ここまで魔物を憎み、殺意を抱く彼女が? 何か秘策があるのだろうか。……考えていても仕方がない。交換条件だ。力では劣るだろうが、スカルはアイリスを守るしかない。それに、奴と再びまみえるのは本望とも言える。今度こそ、あの時の借りを返してみせる。あの苦い敗北、こてんぱんにやられ、下等種族と見下された屈辱を。
「……スカルさん。スカルさん!」
「はっ! すまない」
スカルはつい考え込んでしまっていた。ネアに呼びかけられるまで、悩まし気に唸っていた。
「それで、これからどうします?」
ネアはじっとスカルを見つめている。その眼光は、まるで鎖のようだった。好ましい答えを言わなければ、分かっているな? と。分かっているとも、とスカルは心の中でため息をついた。しかし、それでもなお、彼は叶えなければならないことがあった。
「……ひとつ、わがままを言ってもいいか?」
ネアの表情が険しくなる。
「なんでしょう」
「俺は、行きたい場所がある。というより、行かねばならない場所がある」
「……それは、どこ?」
「南の国、サマセット」
「なぜか、聞いてもいいです?」
「南の勇者に会うためだ」
スカルの淡々とした答えに、ネアとアイリスは互いの顔を見合わせた。
「それは、またなんで」
「俺は……」
部屋を包む沈黙。スカルの仮の喉に空気の溜まりができる。今から発そうとしている言葉は、みっともないことこの上ないものだった。スカルにとって、屈辱に違いないもの。だが、言わねば。本音で話さなければ、この意思は伝わらない。彼は意を決した。
「俺は、魔王の死にざまが知りたいのだ」




