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1 欲望の坩堝

 欲望の坩堝(るつぼ)、それがこのダンジョンの名前だった。

 数多の冒険者が自らの欲望を叶えるため、ここに挑んでは(やぶ)れていった。攻略者は誰もいない。一度入れば後戻りはできず、帰ってきた者ももちろんいない。ゆえに人々は夢を見た。この洞窟(るつぼ)の奥には何が眠っているのだろう、と。贅沢に事欠かないほどの金銀財宝? 一国を支配できるほどの権力か? それとも、天下無双の武器たちか。

 (よく)は尽きない。それが、どんなに歪んでいようとも。


 地下100階。ここに到達できただけでも奇跡だろう。ダンジョンの最奥、欲望の間だ。

 光のない螺旋階段。誰が手掛けたのかも分からない整然とした石造りの壁を伝い、満身創痍の体を重力に任せて無理やり動かす。壁に伝う粘着質な液体が手を伝う。はじめは生温く気味が悪かったが、もう慣れたものだ。正体も分かった。これはダンジョン自体が出している粘液だ。おそらく、この欲望の坩堝自体が生き物なのだろう。道中で数え切れないほど相手した触手型のモンスターたちも、推測するにダンジョンの防衛反応のようなものだ。挑戦してきた冒険者たちは欲望の坩堝(こいつ)にとってはウイルスで、それを排除してきたのだろう。


 ただ、慣れたといっても厄介には変わらない。ただでさえモンスターたちの血で濡れたブーツ。この粘液のせいで、さらに滑りやすくなっている。この階段だけで何度も滑り落ちそうになった。このズタボロの体、一度の衝撃だけで気を失い、果ては命まで失くしてしまいそうだ。踏ん張るのがやっと。前に進むなど言語道断である。しかし、心の内に燃え滾る使命感が足を進ませた。今でもまぶたの裏に焼き付いている。勇者と讃え、送り出してくれた人々の顔を。燃えるように喚起する観衆の声を。覚えている。覚えているのだ。


「ついた……。ここが――」


 ついに階段を降り切った。漆黒の視界にわずかな輝きが入り込む。しかし、それは太陽の光のような清潔さとはほど遠いものだった。

 血の光である。光源などどこにもないように思えた。だが、炎があがっているかのように赤々とした輝きが、地平線まで広がる膨大な空間を包んでいる。がらんどうの空に目を向けてみる。光源がないと言うのは語弊があるかもしれない。遠く先に見えた円形の輝き。黒い太陽が漆黒の空に浮かんでいた。

 

 階段の付け根はまだ石畳だったが、そこから一歩踏み出せば、今度は今まで散々戦ってきた触手たちが地面を作っていた。甘ったるさと鉄の匂いが混じり合ったような臭気が充満し、立っているだけで気を失いそうだ。だが、足を進めた。見えたのだ。喉から手が出るほどに欲しかった、あの欲望(ゆめ)が。


 触手の床を進んだ先に見えた小さな祭壇。そこに一本の(つるぎ)が刺さっている。

 まるでここにたどり着いたことを祝福し、迎え入れるように伸びる階段。根元は触手の海に埋まっているが土台はちゃんとしてそうだ。


 ブーツを触手の肉にうずめる。一歩一歩、これまでの冒険を噛みしめるように進んでいく。

 使命を受けたあの日から一人で鍛錬を続けた。手足に何百もの豆を作り、それを数百回と破ってきた。血がどれだけ垂れても剣を振るい、ついに魔物を倒せるほどに成長した。だが、それでも人間の力では限界があった。魔王の直属の部下には歯が立たず、それを超えるために求めた力。それは”呪い”。”呪い”こそが奴らを倒す力と成りうる。

 ”呪い”を探し、探し求めた。そして、ついに見つけたのだ。このダンジョンを。


 地面を形成する触手たちは襲ってこなかった。うごめきはするものの、まるで歩く姿を観察するように背を伸ばし、こちらに先端を向けている。祭壇の周囲を取り囲む四本の触手の柱。空は暗く、どこまで伸びているかは分からない。暑い、熱い。体の内側から火を点けられているかのようだ。


 階段に足をかける。細い触手たちがツタのように這い、石畳を穢している。それらはまるで血管のようにどくどくと脈打っており、剣に向かって伸びていた。だが、剣に近づいても先端を折り曲げて逃げ帰っている。剣に触れられないのだろうか。それとも拒絶されているのだろうか。


「これが”欲望の剣”か」


 剣を前にして、こう思った。


――大したことはない。


 それは、ただの古びた剣だった。

 ここに来るまでに正体は分かっていた。このダンジョンに武具を求めて侵入する者は少ない。金欲、支配欲、肉欲、そんなものを満たすために入る者が大多数だ。だが、彼らの求める物はここにはない。あるのはただの剣だけ。数々の文献、ダンジョン内に散りばめられた情報。それらをいくら照らし合わせても、この何の変哲もない剣を示す以外のものはなかった。


 しかし、この剣は魔王をも容易く殺せるほどの力がこもっている。欲の力は強い。このダンジョンに求め、そして散っていった(よく)たち。それらがすべて”呪い”と化してこの剣に宿っている。いわば、これこそが”欲望の坩堝”なのだ。


 逆向きになった剣の柄に手をかける。持ち手の布は風化しているにもかかわらず、とても良く手になじんだ。まるで生まれた時から手に握っていたかのような落ち着きを感じ、武器屋で唐突に出会ったかのような運命をも感じた。掴んだ瞬間に分かる全能感。誰もこれには敵わない。これを振れば天をも裂けそうだ。魔王など目でもない。これを手にした者こそが真の王なのだ。そう思ってしまった。


 しかし、違う。断じて違う。これは権威を得るために振るうものではない。魔を倒し、世界を救うためのものだ。今この瞬間にも蹂躙されている人間たち、そしてこれから葬られていく人間たち、果てや滅ぼされる人類。それらを守るための剣である。これは使命の剣なのだ。


『殺せ』


 人々を守るための使命の――。


『魔を殺せ。仇を討て』


 柄を握る腕に力をこめる。足を踏ん張り、雄たけびを上げた。


「うおぉぉぉぉ!」


『思い出せ。燃やされた村を。嬲り殺された村人たちを!』


 焼かれた村。

 人々の泣き叫ぶ声。切り裂かれ、潰され、焼かれ、犯される。両親、妹、そのさらに小さい赤ん坊。

 そして、初恋だった幼馴染、フレイ。


『その声を聞け! 思い出すのだ! 奴らが何をしたのかを!』


「ぐおぉぉぉぉ!!」


 剣は容易く抜けた。まるで心の内に反応するかのように。

 刃が勢いのままに高々と上がる。銀色の鏡が反射する。見えた顔、瞳。それは怒りに燃えていた。

 

 その時だ。


「なっ!?」


 突然のことだった。体が燃え上がる。まるで油を注がれ、火を点けられたかのように。視界をオレンジ色の炎が支配し、全身の皮膚に焼き付けられるような痛みを感じた。熱い、熱い!

 皮膚が焼け、脂肪が焼け、筋肉が焼ける。息もできない。苦しくてたまらない。まるで溺れているかのようだ!


 身動きがとれない。それを見計らっていたかのように、触手たちが襲ってくる。今か今かと待ち望んでいるように熱い視線を送っていた触手の集団。まるで腐肉をむさぼるハゲタカのように体中をついばんでくる。焼けただれた肌、肉たちが小刻みに切り取られ、鋭い痛みが何重にも襲いかかってくる。

 悲鳴は自然と飛びだした。


「うわああああ! ぐああああ!!」


 吐きだされた声と共に意識が抜けていく。まるで天に吸いだされているかのようだ。痛みを受け入れ、自然に身を任せろ。そうすれば、楽に逝ける。そう告げられているように。

 

 剣が手から離れようとしている。燃える指が一本一本外れていき、剣の先が揺れ動いた。これを離せば終わるのか? この痛みから逃れられ、もう何も考えなくていいのだろうか。


 辛い鍛錬、群衆の身勝手な重圧、苛酷な戦い、思い出したくもない記憶……それらすべてから解放されるのだろうか。そうなればどれだけ楽だろう。想像だけで達しそうだ。まるで鳥のように空を羽ばたき、どこまでも行ける。そんな自由が待っているのだろう。ああ、もういい――


『思い出すのだ!』


――助けて! スカル!――


『その声を!』


 もう……逃げてたまるものか!

 燃える指。裂かれる肉。だが、まだ動く。支えとなる骨がある。剣を握れ! 決して離すな! どれだけ燃やされようと、どれだけ喰われようと、この復讐心(よくぼう)だけは決して!


 火が止む。触手たちが離れていく。もう痛みはなかった。体が軽い。吹きつける風が心地いい。

 剣は手に。欲は心に。全てを脱ぎ去り、勇者スカルは骸骨(スケルトン)に成り果てた。

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