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『パタヤ日本人殺人事件〜消えた線路の幽霊〜』タイ・トラベルミステリー・シリーズ  作者: 十夢矢夢君ーとむやむくんー


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第六話 英霊の凱旋

坂本とリサは、山西殺害の主犯・酒井を追い詰めるが、酒井は傭兵部隊を操り、人質のマイと引き換えに「黄金の地図」を強奪。絶体絶命の瞬間、坂本に憑依した藤堂伍長の号令が響き渡り、闇の中から現出した英霊たちが圧倒的な武力で酒井らを制圧します。混乱の中、本性を現したマイは金塊への執着ゆえに崩落する闇の底へと消えるが、酒井は坂本と兵士たちの霊に引き上げられる。リサによる冷徹な罪状告知によりエリートの仮面を剥がされた酒井の正体とは?

第六話 英霊の凱旋


1.偽りの守護者


「地獄の切り通し―ヘル・ファイアー・パス―」  


 かつて日本軍が、ビルマへの鉄路を急ぐあまり、重機すら使わず人力だけで削り抜いた全長約五百メートルに及ぶ岩壁の裂け目である。  


 すでにレールは取り払われ、薄暗い岩陰にひっそりとバラストだけを敷いただけの遊歩道となっている。


 懐中電灯の細い光が、拷問の痕のようなツルハシの跡をなぞる。


 一歩踏み込むごとに、鉄錆と腐葉土が混じり合った死の臭いが鼻を突いた。


「……坂本さん、本当にこんな場所に金塊なんて隠されているの? 観光客が歩く遊歩道から目と鼻の先よ」

 

 リサが小声で、しかし苛立ちを隠さずに囁いた。


 彼女の指は、グロック19のトリガーに手を掛けたままだ。


「山岸の地図と伍長の記憶が一致している。……それに、何よりあの男が嗅ぎつけている。酒井は必ずここへ現れるはずだ」


「金塊よりも、殺人犯のホシを挙げるのが先決ってわけね。……日本の警察の執念には恐れ入るわ」


「俺の目的は最初から変わっていないさ。歴史の闇に紛れて、私欲のために人を殺めて平気な奴を法の下で裁く。……それだけだ」


 坂本がそう言い切った瞬間だった。


 前方の闇の中から、皮肉と冷気を帯びた声が響いた。


「……ここまでの道案内、ご苦労だったな」  


 闇の奥に、不自然なほど揺らめく篝火かがりびが浮かび上がった。


 炎に照らされて佇んでいたのは、仕立ての良いサファリスーツに身を包んだ男――酒井だった。  


 彼の背後には、暗視ゴーグルをつけた黒ずくめの傭兵たちが、獲物を囲い込む猟犬のように、自動小銃を構えている。


「酒井だな……」    


 坂本は拳銃を構えたまま、一歩ずつ間を詰める。


「山西を殺したのはあんただな。金塊を独り占めしようとした彼をパタヤで殺し、レムチャバン港のコンテナに遺棄した。そうだな?」    


 酒井は動じず、杖にした仕込み刀を軽く握り直した。


「……山西は、金塊の価値を履き違えていた。あのような強欲な人間が、一族の聖域を汚すことは許されない。私はただ、不浄なものを排除したに過ぎないのだ」


「自分の独占欲を『聖域』なんて言葉で飾るな。あんたは誇り高き軍人の末裔(まつえい)じゃない、ただの独善的な殺人犯だ!」


 坂本が吐き捨てると、酒井の瞳に暗い悦楽にも似た狂気が宿った。


「ほう、理解し合えないのは残念だな。なら君たちも歴史の(ちり)となってもらうしかない。さぁ、地図を渡してもらおうか」  


 酒井が右手を高く上げた。  


 その瞬間、切り通しの頭上から無数の装填音(そうてんおん)が、乾いた岩の狭間に反響した。


 崖の上に伏せていた傭兵たちも、銃口を一斉に下へと向けた。


『……坂本、代われ。この男の顔、一秒たりとも見ておれんわ』    


 藤堂の怒気が、周囲に冷気を滲ませた。


 坂本は伍長の意識を受け入れ、真っ直ぐに酒井を睨み据えた。


 その瞳には、戦場を潜り抜けた男の峻厳な光が宿っていた。


「酒井……。貴様の祖父も、そうやって仲間の背を撃ち、皇軍(こうぐん)の重宝を私物化したのか。血は争えんな。貴様が纏っているその香水の匂いの下から、浅ましい盗人の腐臭が漂っているぞ」


 坂本の声は変わらないが、話す口調は藤堂そのものだった。


「……何だと?」


 酒井の眉が不快げに跳ねた。


「幽霊にでも取り憑かれたような妄言はそこまでだ。最後だ、地図を渡せ!」



2.魂の号令


 酒井が指を鳴らすと、闇の中から後ろ手に拘束されたマイが引きずり出された。


「マイちゃん!」


 岩陰に潜んでいた山岸が、小林の制止を振り切って飛び出した。


 酒井は薄笑いを浮かべ、マイの喉元に刀の切っ先をあてる。


「この女が恋しいか、山岸。……ならば、その地図と引き換えだ」


「わかった、渡す! 渡すから彼女を放してくれ!」    


 山岸は、なりふり構わぬ必死さで坂本から地図を奪い取ると、転がるようにして酒井の前へと差し出した。


「坂本さん、ごめんなさい! でも、彼女を見捨てられないんだ!」  


「待ってください、山岸さん、これは罠です!」


 小林が叫ぶが、山岸の耳にはもう届かない。


 震える手で差し出された地図を、酒井は満足げに受け取った。


 地図と引き換えに解放されたマイが、ふらりと酒井の傍らへ歩み寄る。


 山岸は安堵し、両手を広げて彼女を迎え入れようとした。


「さぁ、こっちへ! もう大丈夫だよ、マイちゃん!」


 だが、マイは山岸の方へは一歩も動かなかった。


 彼女は唇を歪めて冷たく笑うと、おもむろに酒井のホルスターからベレッタM9を滑らかに抜き取って、山岸に銃口を向けた。


「え……マイちゃん、なんで?」    


 呆然と立ち尽くす山岸へマイは蔑んだ目を向けた。


「いつまでそんな顔してるの? 暑苦しいのよ、あんたの純愛なんて。私が欲しいのはね、あんたみたいな薄っぺらな男と歩く未来じゃない。一生かかっても使い切れないほどの『金塊』よ」


 かつて彼女から漂っていた、安らぐような石鹸の香りはもう届かない。


 代わりに、酒井と同じ、きつい高級な香水の匂いが山岸の鼻腔にまとわりついた。


 そして、マイは迷いなく銃口をリサへ向けた。


「リサとか言ったわね。私、最初からあんたが大嫌いだったの。あんたが余計な首を突っ込まなければ、もっと簡単に済んだはずなのに……。正義の味方みたいな(つら)して、いちいち鼻につくのよ。……まずはあんたの愛らしい顔を傷物にしてあげようかしら。フフフ……」


 マイの瞳に宿っているのは、篝火(かがりび)を反射して飴色にぎらつく、底なしの強欲と歪んだ優越感だった。


「では、地図を頼りに“黄金の道”を歩かせてもらおう…」


 酒井はマイの手を取り、岩壁の小さな裂け口へと歩き出した。


「――片付けろ」    


 酒井が傭兵たちに静かに手を挙げ合図した。


 銃声が響く直前、藤堂(坂本)の咆哮(ほうこう)が岩肌を震わせた。


『……笑わせるな、酒井、そしてそこの小娘! 貴様のような奴らに、我らが戦友の眠る地を一歩たりとも踏み入れさせぬぞ!』  


 藤堂(坂本)が虚空に向けて気迫鋭く腕を振った。


 『全軍……迎撃(げいげき)準備!! 奴らの不浄な弾丸を、一発たりとも通すな!』


 その号令が岩壁を伝い反響した瞬間、それまで静まり返っていた密林の闇が揺れ膨らんだ。


 ―その時だ。


 密林の奥から、ザッ、ザッ、ザッと、軍靴が線路のバラストを踏み鳴らす音が近づいてくる。


 数百の軍靴が、一斉に地面を叩く行進の音だった。


「……酒井!貴様は一つ、重大な間違いをしている」  


 坂本の口を借り、藤堂が不敵に笑う。


「この地は貴様の祖父が、裏切り見捨てた“わが戦友たち”の墓場だ。……そして我が戦友は、貴様のような欲に塗れた愚者を、決して生かしては帰さぬぞ!」


 霧の中から、泥にまみれ虚ろな目をした旧日本兵たちの影が、一人、また一人と姿を現し始めた。


 当時の日本軍が用いた、三八式歩兵銃を構えるその姿は、岩肌の裂け目に鮮明な青白い炎として映っていた。


『貴様ら、よく聞けぇ! わしらの「戦争」は、まだ終わっておらぬ!』


 坂本の口を借りた藤堂が不敵な、それでいて晴れやかな笑みを浮かべる。


『第一工兵隊、作業を止めよ。武器を取れっ!! 八十年ぶりの晴れ舞台だ! 溜まりに溜まった鬱憤、一気に晴らすがよし!!』


 その瞬間、死者たちの咆哮が地響きとなって大地を揺らした。


「兵士の亡霊か……!? バカな、そんなものが!」  

 

 酒井が絶叫し、狂ったように仕込み刀を振り回す。


 崖上の狙撃手たちは、暗視ゴーグル越しに迫る、無数の銃剣の幻覚に驚き慌てふためいた。


 洞窟の奥から、別の野太い声が轟いた。  


『遅いぞ、工兵! 敵陣制圧はわしらの仕事だ!』  


 現れたのは、輜重隊(しちょうたい)の馬に引かれた砲兵団――ビルマ・インパール戦線を戦い抜いた山砲隊(さんぽうたい)の英霊たちだった。


 彼らは手際よく四一式山砲を組み立て、黒ずくめの傭兵に向けて照準を合わせる。


「砲撃用意! 仰角(ぎょうかく)修正なし、零距離射撃っ! 放てっ!!』


 ―ドォォォォン!!  


 霊的な衝撃波が切り通しを激震させた。


 八十年の沈黙を破る「執念」の光弾が放たれた。


 爆風が崖上の岩壁を容赦なく粉砕し、傭兵たちの最新銃器を鉄屑へと変えていく。


 リサが混乱する敵へ飛び込み、鮮やかな格闘術で次々と残党を制圧していく。


 小林もまた泣き喚く山岸を庇いながら、落ちていたシャベルを手に取って迫る一人の傭兵を殴り倒した。



3.黄金の道


 坂本は、最前列に立つ藤堂の影姿と共に歩を進める。


 圧倒的な「軍勢」の行進に、酒井の傭兵たちは恐怖のあまり腰を抜かし、逃げ場を失って叫び声を上げる。


「坂本さん、早く! 酒井とリサを拘束してください!」  


 リサが正確な射撃で、霊の出現に怯える傭兵たちを釘付けにする。


 坂本は歩を進め、酒井へと肉薄した。


 腰のホルスターから引き抜いたのは、日本の警察官の魂とも言えるニューナンブM60。


 彼は迷わず酒井の脚部へ狙いを定めた。


「動くな、酒井!」  


 だが、その射線を遮るようにマイが割り込んだ。


「来ないで。金塊は私たちのものよ!」  


 マイは坂本を睨みつけ、酒井を庇うように後退りする。


 その瞳にあるのは恐怖ではなく、金塊への病的なまでの執着だった。


 その時、先ほどの山砲による砲撃が、岩壁の奥にある古い岩肌を大きく割った。


 ガラガラと崩落する土砂の向こう側、割けた岩肌の隙間から金色の閃光が漏れ出した。


「ああ……ここだ!ついに見つけたぞ!」  


 酒井の顔が歓喜に歪んだ。


 マイもまた、銃を坂本に向けたまま、吸い寄せられるように背後の亀裂へと近づいていく。


「酒井さん、さぁ、奥へ! 金塊はそこよ!」


 酒井はマイの手を引いて岩壁の裂け目――“黄金の道”の深淵へと踏み込んでいく。


「待て!」  


 坂本は光路の先、最深部の扉の前に立つ酒井とマイに叫んだ。


 そこには、八十年前に裏切られ見捨てられた兵士たちの怨念が、『金塊の臭い』に狂った生者を、永遠の闇へと引きずり込もうとする地獄の扉が開かれていた。



4.欲望の果て


 山砲の爆風が岩壁を裂き、奥から月光に照らされた飴色の煙が滝のように溢れ出した。


 それは闇の中で、まるで溶けた金の奔流が流れ落ちるような幻影だった。


「……おお、これだ。ついに、ついに……!」  

 

 酒井はその「偽りの輝き」に突き動かされ、のめり込むように裂け目へ駆け寄る。


 マイもまた、取り憑かれたようにその光の渦に目を奪われている。


 その瞬間、足元の岩盤が轟音と共に崩落し始めた。


「うおぉぉっ!!??」  


 酒井の身体が宙に浮く。


 彼はとっさに隣のマイの腕を力任せに掴んだ。


 二人の足下に複雑に折れ曲がった巨大な亀裂が口を開け、底の見えない暗黒の亀裂へと引き摺り込もうとする。


 坂本が叫び、必死に手を伸ばし酒井の右腕を掴む。


「酒井っ!しっかり掴まれ!!」  

 

 その時、坂本の背後から無数の泥まみれの“透明な手”が現れた。


 藤堂の仲間の兵士の霊と共に、背後から坂本の腰を、肩を、腕を必死に支える。


 坂本の手が、宙をかく酒井の手首をガシリと掴み取った。


「あんたは死なせはしない! あんたには、生きて罪を償ってもらう!」


 だが、その腕にぶら下がったマイは、坂本の声など聞いていなかった。


 恍惚とした笑みを浮かべ、底から湧き上がる輝きに、呑み込まれる勢いだった。


「金塊よ、ほらそこ!私の、私の金塊……誰にも渡さない……っ!!」  


 マイは酒井の腕を、自ら力任せに振り払った。


「おい、マイ、何をする! 止めろ!」  


 酒井の叫び声をよそに、マイは自ら飴色の霧の中に吸い込まれ闇へと消えていった。


 坂本と藤堂の力が、闇の底を険しい顔で見つめる酒井を地上へ引きずり上げると、息を切らしぐったりと項垂(うなだ)れた。


「……酒井。あんたの欲望(ゆめ)は、今ここで終わりだ」 


 背後では、崩落した岩が完全に穴を塞ぎ、不気味な光も、狂った欲望もすべてを闇の中に閉じ込めた。


 リサが駆け付け酒井の前に立った。


「酒井浩二。あなたを山西徹に対する殺人、および死体遺棄の容疑で逮捕します……それだけじゃないわ」


 リサは氷のような視線で、鼻先数センチまで顔を寄せた。


「存在しない『パタヤ支店』を隠れ蓑にした有印私文書偽造。大使館を欺いた虚偽通報。そして、この史跡での軍用兵器不法所持……。あんたがエリート商社員の顔をして積み上げた嘘、タイ警察がすべて剥がしてあげたわ」

 

 震える酒井の腕に、坂本は腰の手錠を取り出した。


 カチャッ― 冷たい金属音が、静まり返った洞窟内に響いた。


 山砲がもたらした崩落の轟音が、長い余韻を残して霧の中に溶けていった。  


 ただ、崩壊した岩壁の奥に、小さな空洞がひっそりと口を開けて残されていた……。 

  

(第七話へ続く)


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