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リネアは身支度を済ませると慣れた手付きで白色のレースが付いたベールを被り部屋を出た。
「リネア様、よく眠られましたか?」
廊下に出てしばらくしてから侍女長のライラさんが笑顔で話しかけてくれる。
「ええ、ライラさんは?」
「私もよく眠れました」
生まれた時からずっと私の世話をしてくれるライラさんはこの邸宅に来る前は侍女長としてここにいるよりももっと大勢の侍女たちを束ねる役職を担っていた。
そして私の顔があのような状態になったのかを知っている唯一の人なのである。
「本日は何をなさるのですか?」
「今から温室に向かうところなんです」
「そうでございますか!では、のちほど紅茶をお持ちいたします」
「ありがとう。お願いしてもよいかしら」
ライラとの会話を終えたリネアは再び歩き出した。
窓からの日差しが差し込む廊下を進み、階段を下り一階に来ると右側に曲がり真っ直ぐに進むと外につながるドアがあり開くと、一面薄緑色の芝生と両側には花壇があり紫や赤などの色とりどりな花を咲かせています。
この間を進んでいくと生垣に囲まれた黒色の錬鉄製のガーデンゲートがあり抜けると、地面が石畳に変わります。
そのまま進んでいくとバラのガーデンアーチが現れて潜ると邸宅の裏側に造られた温室に到着するのです。
温室に入る前に入り口のノブに掛けてあるプレートを【使用中】に裏返すと温室に入っていきます。
プレートがあるのは、リネアが使用しているときに他の人が無断で入らないようにするためでした。
リネアは温室の中に入ると中央に置かれた二人掛けのソファに座るとベールを外す。
邸宅の大きさよりは小さくて丸い鳥かごのような形をした温室は自由に外出が出来ないリネアにとって心休める場所の一つでした。
天井を見上げると丸くなっているガラスの部分が反射して煌めいて温室の中に光の粒が降り注がれているようです。
「はぁ」
思わずため息が漏れ、リネアは上を向くとそっと目を閉じた。
ここにきて十年ほどが経った。
五歳を迎えようとしていた時、私はお父様にいわれたのです。
「リネア、リネアが五歳になったらリネアと私たちは離れて暮らさなくてはいけない」
その言葉はおぼろげな記憶であってもしっかりと記憶されていて幼い私にとってどれほどの衝撃的な言葉だったことだろう。
「いっしょにここでくらせないの?」
私は二人と一緒に暮らせないことが嫌だった。
お母様は手を握り私の目をじっとみると
「ごめんね。リネア、あなたのためなのですよ」というだけであった。
「私のため」
(本当にそうなのだろうか。私がいらなくなったからではないのか)
リネアがそう考える理由それは、リネアに二歳年下の弟が生まれたのでした。
隠されて育った姉と隠されず育った弟、それは明白なことでした。
いずれ弟のノア・クラークが第一王子として活躍していくことであろう。
でも、今考えるとあの日のお母様が一瞬見せたあの表情は悲しい気持ちを見せないように隠していた表情だったのだろうか。
それは、お母様に聞いてみないと分からない。
この邸宅にやって来て数年間は礼儀作法など習っていたが成長するにつれて習うことを辞めてしまった。
(ある時思った習ったところで私が使うことはないと)
両親が暮らしているアイン城から遠く離れた辺境の地の森の奥にある邸宅ため頻繁に訪れることが難しく馬車に乗って四日程かかるのです。
ここに来たばかりの頃は三ヶ月に一回といった頻度で二人で来てくれたり、お母様一人で来てくれていました。
しかし、十二歳になる頃には一年に一回と訪れる頻度は減っていき現在では一度もここを訪れることはなくなってしまいました。
リネアは来れないなら自分がアイン城に行けば良いと考えた手紙を送ったがお父様は城に来ることを認めてはくれなかった。
物心着くと、自分の頬にある魚の鱗のような模様が気になるようになって誰かにからからかわれた訳ではないけれど、侍女たちの顔にはなく、自分だけある魚の鱗のような模様は本物の鱗のように日に当たると輝き、触れてみると硬くザラザラしているのです。
最初は十mm(1cm)で小さかった鱗は五歳には倍になり、成長するにつれて頬の殆どを覆ってしまう程に大きくなりそれが嫌で仕方なく、長い間部屋から出ずに過ごす日々が続いた。
そんな時、ライラさんが部屋の前までやって来てくれて絵本の読み聞かせや一日の出来事を話してくれたり、今流行していることを教えてくれたりした。
そして話を聴くにつれてライラさんの話をもっと聴きたいと思った。
そして久しぶりに部屋を出たのが五年前のことである。
ここまで来るのに随分時間を費やしてきたけれど私には、確かにその時間が必要だった。
ドアが開く音が聴こえると、リネアは耳にかけていた髪の毛で急いで前に寄せると頬が見えないように隠した。
ライラさんは約束通り紅茶と茶菓子を持ってきてくれた。
ラズベリーがのったタルト、いつもとは違うの香りがする紅茶。
リネアはカップを持つとはじめに紅茶を香りを楽しみカップに口をつけると一口飲み込んだ。
舌でどんな味なのかを確かめる。
「美味しい。初めての味わうお味です。これは何という紅茶なのですか?」
リネアはライラに質問を投げ掛けるといつもライラは嫌な顔をせずに答えてくれる。
「こちらは、アールグレイというベルガモットという柑橘系で香り付けられた茶葉で入られた紅茶でございます」
「アールグレイ、私のこの紅茶好きです」
「それは、よかったです」
ライラはリネアが笑顔にただそれだけ嬉しいのである。
それはきっと色々な姿のリネアのことをずっと見続けてきたからであろう。
「では私はこれで失礼いたしますのちほど片付けに参ります」
ライラはそう告げると温室を出ていった。
またひとりになった温室でラズベリーがのったタルトを一口大に切り分け口に運んだ。
ラズベリーの甘酸っぱさが口に広がりタルト生地と合わさりいい感じに調和している。
リネアはパクパクとタルトを口に運び食べ終え皿をテーブルに置くと紅茶を一口飲むと、すっと立ち上がり温室の植物を見て回ると、ある植物の前にリネアは立ち止まり見上げると大きく成長し伸びた刺々のサボテンで、なんとこのサボテンはリネアの身長を優に越していたのでした。
リネアは「大きくなったね」とサボテンと会話をしています。
この日は昼近くまで温室で過ごし、そのあとは自室で古書を読んだり絵を描いたりして過ごした後は夕食を食べ、用事を済ませるとベッドに入り一日を終えたのでした。
◆◆◆
数ヶ月後。
朝早くから侍女数人とライラは食材の調達に町に出掛けていました。
邸宅には侍女二人とリネアだけが残っていました。
侍女二人は朝の庭の掃除を終え、昼を過ぎると一階の室内から順番に掃除をしていました。
一人の侍女が、階段の掃除を始めたところ二階から物音が聴こえて、慌てて音のする部屋を探すと、そこの部屋は何とリネアの部屋からだったのです。
部屋のドアは開いていて、声も聴こえて侍女はおそるおそる部屋を覗くと、リネアが部屋の中で大きな声を上げながら暴れ回っていたのでした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー」
ベッドのシーツはビリビリに裂かれ、古書は床に散乱し、キャンバスに描かれた絵は切り裂かれ近くには持ち手の部分に血がついたペインティングナイフが転がり、鏡つきドレッサは粉々に砕かれ天板には血のあと、リネアの息は荒く肩で息をするようにしていて手は鏡を割ったことで切れて一瞬見えた白色のワンピースは血だらけでした。
侍女はリネアの名前を呼びましたが、どうやら聴こえないようで、この部屋の状況を見てどうすれば良いのか分からなくなってしまいます。
考えた末に残っている侍女に助けを求めるために一階に下りていきます。
一階に下りて調理場の前を通っている途中で裏口のドアが開き、大きなカゴを持ったライラが入ってきました。
侍女はライラにリネアの状態を伝えると、持っていたカゴを置くとライラは急いで二階に上がっていきます。
階段を上り息を吸うのもままならないなかでリネアの部屋を見ると中が散乱していて後ろ姿でも明らかに様子の違うことは見て分かりました。
リネアはもう暴れてはいなくただ窓の外を真っ直ぐに見て佇んでいました。
ライラがリネアの名前を呼ぶとリネアは振り返り、ライラの目にまず飛び込んできたのは血だらけのリネアの姿なのでした。
ライラはリネアの血だらけの姿を見て驚きましたが、ハンカチをエプロンのポケットから素早く取り出しながらも覚悟を決めてゆっくりと少しずつ少しずつ距離を詰めていきます。
「リネア様。リネア様近くに参ります」
そんな状況の中、後からやって来る侍女たちの足音がリネアの部屋まで響き渡ります。
部屋の前に侍女たちが群がり口々にリネアに対して心配の声が上がります。
「リネア様」
「どうなされましたか?」
「お怪我は……」
「……」
侍女たちの足音を聴いたリネアの動きがぴたりと止まり下を向いてしまいました。
廊下にいる侍女たちはリネアがライラの体に重なっていて頭しか見えません。
しかし次の瞬間リネアが顔を上げるとリネアのボサボサの髪の毛に感情が抜かれたような顔に青白く血色がなく虚ろで目の焦点があっていない姿に侍女たちは唖然とし言葉が出てこなく静まり返り口を抑える侍女もいます。
リネアのその姿はすべてのありとあらゆるモノから集められた闇よりももっと深く深く汚れたモノを暗く閉ざされた影の部分を全部一人で背負わされているようであった。
リネアの動きが止まったためライラは侍女たちにふたりにしてくれるようにお願いすると侍女ぞろぞろと散らばっていきました。
リネアはしばらくじっとしていましたがふたりになったことを実感したのか少しずつ少しずつライラのもとにふらつきながらも手でバランスを取りながら歩いてきます。
ライラはリネアの手を取り抱き締めるとふたりは床に座り込み、ライラはリネアを後ろから抱き抱えるような体勢に変えるとリネアの手をハンカチで抑え床に落ちていたシーツの切れ端でぐるぐる巻きにして一時的に止血します。
ライラは何も言わずただリネアを抱きしめていると、いつしかリネアの目から大粒の涙が溢れ出しずっと抑えてきたものをからだから出すように叫び泣き続けたのでした。
この日の夜、リネアは泣き疲れると別の部屋に運ばれ薬が効いたのかあの後も暴れることはなく眠りについていました。
ライラはリネアの手のケガの状態をみて、眠っていることも確認すると静かに部屋を出たのでした。
ライラはリネアがここまで落ちたことが始めての出来事で、数日前から食事は自室で食べるようになり、片付けに伺った時に
部屋のドアの前に置かれたワゴンの皿の上には食事が残されていて、ほんの少しだけだが量も増えていき体調が心配になり医者に診てもらうとしましが、リネアは「大丈夫」と頑なに拒んでライラは無理強いをすることは出来ませんでした。
ライラは沈んだ顔で廊下を歩いていきリネアの部屋の前までやってくるとゆっくりとドアを開くとそのままになっている散乱した室内をみて、床に落ちた古書などを一つ一つ片付けながら、胸が締め付けらる感覚になって立っていられなくなり膝から崩れ落ちた。
「いた」
痛みの感じた手を見てみるとついた拍子に床に落ちた鏡の破片で手のひらが切れていたのでした。
でもこんな痛みはリネア様の心の傷に比べたら何てことはないのです。
そしてライラは思うのです、もっとしっかりと見守っていればあんな状態になりケガもすることはなかったのではないかと悔いるのでした。
あの日を境にリネアは部屋から出ることはなくなって心を閉ざしてしまったのでした。
部屋は元通りにキレイに掃除がされましたが、ドレッサにはもう鏡は付いていません。
リネアは、一日中ベッドで横になっているか背もたれに寄りかかり一点を見つめるばかりでした。
侍女たちもライラさえも部屋に入れることを拒んだのでした。
振り返ってみると私自身落ち込むことは、何度もあったでもなんとか耐えてきた。
それは突然で私も私が分からなくなって、深いところにどんどん沈んでいく、沈んでいく。
もう自分の力では上がれないくらいに水の中の奥底に飲み込まれていくように重力が私を起き上がることを許さないみたいに希望も光も全部、全部奪われてしまったように踏み止めるために残しておいた最後の糸がぷつりと切れる音がした。
あの日の記憶は断片的にしか覚えていなくて久しぶりによろよろとベッドから起き上がりドレッサが目に入ってきて鏡に掛かっていた布を外すと醜い私が鏡に映っていた。
私は何を思ったのか無我夢中で頬にある魚の鱗の模様を消したくて、でも消えなくて擦りすぎて摩擦で真っ赤になってしまった。
鏡に映る醜い姿の私に耐えられなくなり鏡を割っていた。
衝動的で、手からは赤いものが垂れていても気にせず歩き回り、いつの間にか床に古書が落ちていて、制作途中の花壇の絵はペインティングナイフを手に取り引き裂いてそれから私は私はどうしたのか記憶がない。
でも確かなことは、ライラさんが側で寄り添っていてくれていたということだけははっきりと記憶の中に残っている。
一方その頃王宮に一通の手紙が届けられたのでした。




