後編
店主から花畑のことを聞いたリィーは、翌朝支度をして向かった。
辿り着いたそこは、記憶よりもずっと綺麗だった。
「………?私、ここに来たことがある…?」
無意識に自身の記憶と目の前の景色を比較していたらしい。しかし、彼女はここに来たはずなんてない。ないというのに、リィーの足は何処へ向かうのか知っているように迷いなく進む。
「ん…?君、観光客?」
「う、うん。リィーっていうの。貴方は?」
「僕はラート。ここの花畑を管理してるんだ。良かったらうちの子たちをじっくり見てよ。」
ラートの言う通りに、リィーは咲き誇る花を眺める。色鮮やかな花は風に揺られながら、生き生きと大地に根を張っている。
「いたっ。」
「あっ、それ棘があんだよね。言ってなかった、ごめん。」
「ううん。私も、確認してなかった。………ねぇ棘が抜けないと心臓まで行くって本当…?」
「………刺さったの?」
「私もう駄目かも…。」
「すぐ抜けば問題ないから!」
指に刺さった棘を抜いてもらったリィーは、棘が心臓へ到達しなかったことに安心する。
そしてラートに感謝をした。
「ねぇ、ラート。貴方は私と会ったことある?」
「え?うーん…僕はない、と思うけど…。」
「そっか。」
「何か悩み事?」
「うん。よく思い出せないことがあるんだ。もやもやして、気持ち悪くって。」
「そうなんだ…。そうだ!悩み事が消える町があるらしいよ。」
「へぇ。何処にあるの?」
「えーっと、説明するの苦手かも。良かったら僕が案内してもいい?」
「うん。お願い。」
ラートの言葉に甘えてリィーはその悩み事が消える町へと連れてってもらうことにした。彼は用意をすると言って花畑に突っ立つ。
少しすると腕に花や蔓を巻き付けて帰ってきた。
「それは…?」
「あぁ。皆がさみしがるからさ。ちょっとでも連れて行きたくてさ。」
「な、なるほど。」
花をこよなく愛するラートと共に、リィーは悩み事の消える町へと向かう。
「そういえば、何でわざわざ案内までしてくれるの?」
道中、不思議に思ったリィーはラートへ聞く。
「理由…?それがさ、僕、変な人たちに会ってさ。その人たち、人助けのためによく分からないモンスターと戦ってたんだ。」
ラートの語る変な人。リィーには思い当たる節が無かった。だと言うのに、その正体が彼女にとっては大切な存在であるような気がした。
「僕も人助けをするのが好きでね。人は花をみると安心したような顔をするんだ。僕はその顔を見るためにも、この子達を育ててるんだ。」
そう言いながら、腕に巻きつけた植物を見る。
彼の言っていることは分かる。リィーにとっても安心した人の顔を見るのは喜ばしいことだ。
そういう意味では、リィーはラートと似ているかもしれない。しかし、ラートだけでない。それよりも前に、人助けを率先していた人と出会ったような気がする。その人が、今のリィーを形作ってくれた気がする。
どうか目的の町で件の人物に会えるように。そう願ってリィーはラートと町を目指す。
「ようこそ!シィフ様が治める楽園が如き町へ!」
「えーっと、この町に行くと悩み事が消え去るって聞いたんだけど、本当?」
町に到着したラートは迎え入れた町民へ単刀直入に聞く。すると町民は明るい声のまま答えた。
「勿論!ここに居ればシィフ様の美貌に圧倒され、悩み事などどうでもよくなるのです!」
「…………ここじゃ、私の悩みは解決しなさそう。」
「そっか。そういうことだから僕達は帰るよ。」
踵を返そうとするリィー達に、町民の背後からやって来た人物が声をかけた。
「待ちなさい!試してみなければ分からないわよ!せっかく来たんだから、この私を眺めていきなさいな!」
華々しい登場をしたのは一人の女性だった。確かに町民の言う通り美しいが、リィーの悩みが消えるほどではない。
「…………見たけど、悩み事はまだあるから帰るね。」
「ま、待ちなさい!その悩み事とやら、この私が聞いてあげるわ!ほら、こっちに来なさい!」
「知らない人にはついて行っちゃ駄目だって、」
「私はこの町の統治者シィフよ!ほら、貴方達の名前は!」
「…………私はリィー。こっちはラート。」
「よぅし!これで知り合いね!さっ、ついてきなさい。」
はんば強引に、シィフに手を引かれてリィーたちは豪華な宿へと連れて行かれる。宿というより城のようなそこは、見た目通り広々とした空間を有していた。
その中の最上階。一番広いであろう部屋に2人は通された。
何だか落ち着かなくなりつつもリィーとラートは椅子に腰掛ける。
「それで?悩み事は?」
「その、思い出したいことがあって。でも、どうにも思い出せなくて、」
「思い出す必要があるのかしら。」
「えっ。」
予想外の言葉に驚く。リィーにとって、思い出せないことは思い出さなければいけないと思っていた。
だが、シィフは違うのだ。
「思い出せないことを無理に思い出さなくてもいいと思うわよ。それはきっとそういうものなんだもの。」
「でも、なんというか、不安で、」
思い出せないこの時、忘れてしまった人がどうしているか分からないから。それが不安で堪らないのだ。
もし、危機にひんしていたら助けたい。そして礼を言いたい。何の礼なのか、はっきりとは覚えていないが大切なことに対してなのは分かる。
「そうねぇ。あっ、そういえば旅をしてる人達に会ったのよね。彼らの色んな話を聞けば何か思い出すかもしれないわ。」
「その人は何処に…?」
「うーん、この辺りに居るんじゃないかしら。近くは私が詳しいから、案内するわよ。」
「いいの?」
「えぇ。その旅人と同じく人助けがモットーだもの!任せなさい!」
胸を張っているシィフと共に、リィーとラートはその旅人のもとへ行くのだった。
「トキナも好きなように生きると良い。」
俺の言葉に、彼は悲しげな表情を浮かべた。
「はははっ。私もそうできれば良いんだけれどね。だが、難しい話だ。」
「…?それは、どういう、」
「こういうことさ。」
そう言ってトキナは服をめくって腹を見せた。彼の白い肌には黒い斑点が侵食している。そして、それらは今にも結合しようとしている。
斑点が結合すれば、球体になる。そうすれば、そこからモンスターや別の世界の使者がやって来る。
「トキナ…その体は、」
「私自身が歪みというわけだよ。本当は、私が元の世界に留まっていればこんなことにはならなかった。」
「なら、どうして俺についてきたんだ。そんな体になってまで、」
「やだな。前にも言っただろう。君はもうその答えを持っているはずだ。」
トキナに言われて、俺は唇を噛む。そうだ、知っている。使命ではないのに彼がどうして俺に協力をしてくれるのか。
今まで過ごしてきた中で、俺の答えはより確実なものへと変貌していた。
それは、
「私は、君の友人だ。だから、色んなところを巡ってみたかった。色んな話をしてみたかった。行き詰まった時、助け舟を出してあげたかった。」
「…………教えないんじゃなかったのか。」
「ははっ。これが最後なら言うべきことは言っておこうと思って。」
最後。トキナはそんな縁起のない事を言う。彼の斑点を見れば、それは冗談ではないことは分かっていた。だが、冗談であってほしかった。
「君とのちょっとした旅は楽しかったよ。終着点はここさ。私を倒せば歪みは消え去り、この世界が脅かされることはなくなる。」
手が震えて仕方ない。俺はまた、他人を手に掛けようというのか。
「もしかして、負けると思って怯えてる?大丈夫だよ、だって君はこの世で最も強いんだから。」
違う。強さになんて意味はないんだ。強さでは孤独を紛らわせることなんて出来ないんだから。
真に意味のあるのは、仲間や友人。繋がりなんだ。
だからこそ、俺は繋がりを再び壊したりはしたくない。
「トキナ。俺はお前を倒せない。」
「…………それじゃあ元の悲惨な世界に逆戻りだよ。本当にそれで良いの?」
「…………………。」
言葉を返すことが出来ない。だが、だからといってトキナを倒したくはない。リィーの時のような過ちを犯したくない。
するとトキナは溜息をつきながら俺を見る。
「ふぅん。それじゃあ私は使者らしく、人間を襲うことにするよ。」
そう言うと彼の黒い斑点は中心に集まり、球体へとなる。そしてそこからはモンスターが溢れ出る。
「近くの人間を一掃だ。一人残らずね。」
トキナはモンスターへ指示を出す。俺は彼から這い出るモンスターを見て、すぐさま剣を抜く。
モンスター如きに負けることはない。そう思っていたが、トキナはそう簡単にはいかせないようだ。
俺とモンスターの間に入って邪魔立てをしてくる。思わぬ乱入に剣筋が鈍る。
「それじゃあ駄目だよナレザ。」
トキナは鈍った俺の胴体を思い切り蹴り上げる。彼は本気なのかもしれない。このままでは、モンスターやトキナに殺されるかもしれない。
それでも、同じ過ちを繰り返したくはなかった。また大切な存在を失うのは嫌だった。
多くのモンスターに群がられる。中にはトキナもいる。これでは剣なんて満足に振るえない。
なすすべもなく、俺は死を迎える。ことはなかった。
「『聞きなさい!そして目に焼き付けなさい!私の美貌を!貴方達は人間に一切危害を加えることは出来ないわ!』」
その声は俺の知っているものだった。いや、声だけではない。
「っ!?この蔓は!?」
驚くトキナを捕らえたのは伸縮自在の蔓だった。これは、ラートの蔓だ。
「捕まえたよ!」
「うん。ありがとう。」
そしてラートの後に続いた声は、リィーのものだ。
「何で、ここに、」
「分からない。でも今はそれよりも人助けが優先。」
「…………そうか。」
「あの人は、一緒にいた人だよね?」
リィーの問いに俺は素直に答える。
「あぁ。だから殺さないでくれ。虫のいいことは分かっている。だが、」
「分かった。」
彼女はふたつ返事で俺の頼みを聞いくれた。何故か聞こうとしたが、そんなこと分かりきっていた。
人助け。ただ、それだけのためだ。
「私の力であの人を再生できる。だから、貴方はあの人のお腹にある黒い奴を取り除いて。」
「………それじゃあ駄目なんだ。一度、アイツを殺さなければあれは取れないんだ。」
「じゃあそうする。生き返させるから、あの人を倒して。」
「生き返らせるって、そんなこと、」
「出来るよ。私の力は、命を奪うだけじゃないから。だから、あの人を生き返らせるために殺して。出来る?」
「…………………あぁ。」
リィーの言葉で俺の手には力が籠もる。命を奪うことしか出来ないと思っていた彼女が、人の命を吹き返すようになれるとは思わなかった。
いや、それだけじゃない。ラートの棘のついた植物は人を安心させられたし、人を惑わすシィフも愛する人々の為に体を張っていた。
皆、使者としての力を傷つけるためだけに使っては居ないのだ。居場所があったのだ。だからこそ、それはトキナにとっても同様なはず。
「ラート!蔓、お願い!」
「分かった!なるべく早くねナレザさん!」
「あぁ!」
ラートの蔓で動きの止まったトキナ。彼へ向けて俺は剣を向ける。ただ殺すためだけでない。これは彼の新たな明日のため、縛られた力からの脱却のため。
俺は一突き、トキナの心臓を刺す。その瞬間、2つのことが起きた。
1つはトキナの腹にある球体の喪失。そしてもう1つは、周囲を包んだ温かな風。それは、生命を芽吹かせる風。命を奪う寒風とは違ったもの。
そこは楽園のようだった。木漏れ日のような陽気と散りゆく花弁。そして安らかに休むモンスター達。
リィーの力によってトキナの止まった心臓は脈をうち始めた。今はまだ眠っている。
俺は彼に近付いて手をかざす。そして、俺に関する記憶を消す。
ふと、後ろを振り向くとリィーが立っていた。
「………………どうかしたのか。」
「ううん。何でもない。ただ、安心しただけ。」
「安心…?」
「うん。何でかは分からない。よく思い出せない。それでも、良いかなって。」
「そうか。」
当たり前だが、リィーには俺に関する記憶はない。それで良い。
「あっ、あとね、お礼言おうと思って。」
「何の礼だ。」
「分からない。でも、きっと貴方のお世話になった事がある気がするから。ありがとうナレザ。」
「此方こそ、ありがとうリィー。……………達者でな。」
「うん。また村に寄ってね。お祭りしてるから。ばいばい。」
リィーへ手を振った。彼女は彼女の居場所がある。
「シィフ。トキナをお前の町に連れて行ってくれないか。これは有り金だ。」
「構わないけれど、貴方はどうするのよ。」
「俺は…旅に出るさ。」
「そう。」
「あっ、トキナさんを運ぶんなら僕も手伝うよ。」
シィフとラートを見て、俺は2人へ頭を下げる。贖罪と感謝。どちらでもある。
「2人とも、すまない。ありがとう。」
顔をあげると、2人は見つめあった後からから笑いながら言った。
「礼なんて良いわよ。私、人助け嫌いじゃないもの。」
「うん。僕も。」
そう言った2人はトキナを抱えて去っていった。残ったのは俺一人だ。
「…………行くか。」
俺は記憶の使者として罪がある。それが消えることはない。故に、これからも旅をする。
寂しくはない。何処へ行こうとも、彼らがこの世界の何処かで、自分の居場所で生きているなら。
それなら俺は夜だって怖くない。何にだって負けることはない。何せ、俺はこの世で最も強いのだから。
仄かな繋がりを感じつつ、俺は歩き始めた。