第五話 名前も知らぬ誰かへ
帝国歴七八四年五月二十日。
名前も知らぬ誰かへ。
突然のお手紙に驚きました。
これまでにも脅迫を受けたことはありますが、今回は流石の私もお手上げでした。
降参のために白旗を同封したいほどです。
おかげで私は心にもない行いに神と友へ懺悔しなければならなかった。友人であるドミトリー公子には婚約破棄を叫ぶことを自制させ、それを確実にするためにヘリックスに公子が暴走しないように言い聞かせた。結果は、あなたの思惑の通り婚約破棄を叫ぶはずの公子が、逆に婚約破棄を叫ばれることになった。
それがあなたの企みなのか。別の誰かの思惑なのかは私には分からない。
だが、一つだけ言えるのは、辺境の片田舎で国境防衛に明け暮れている私のような田舎貴族に目をつけたということはなかなか筋がいい。私は帝国の端で隅っこ暮らしをする貴族だが、生まれついた社交性によって人脈は下手な金鉱脈よりも深く豊富である、と自負している。だからこそ、あなたの思惑は成功裏に終わった。
だが、これはあなたの勝利ではない。
帝都にいるあなたと帝都にいない私だから成功したのだ。
もし、私が帝都にいればあなたの脅迫など、広大無辺の私の顔ですぐに白日のもとに晒されていただろう。あなたはこの成功から私を使えばさらに大きな陰謀を巡らせることができるかもしれないとホクホク顔で悦に浸っているかもしれないが、何度も同じ手が使えるとは思わないでいただきたい。
私の過去の恋人たちに危害を加える、という脅迫は今回だけ使えたに過ぎない。
あなたに脅迫されてから私は、公子の動きを操りながらも対抗策をいくつも張り巡らせた。
それは非常に繊細で大胆な手法だ。
私はすべての恋人たちに手紙を送った。それは一見にはただの手紙だ。近況の報告や、領地の特産品、いま私に恋人がいないこと。そんな些細な話が書かれている。あなたのことは一行も書かれていない。だが、彼女たちはざわつくだろう。なにせ、かつて燃えるような恋をした男性からの突然の手紙だ。
何かを感じてそわそわする者。
私が白馬に乗って迎えに来るのではないか、と窓の外を眺める者。
塔の天辺で私が来るのを待ち焦がれる者。
彼女たちは私のことを思い。それぞれの準備をするだろう。
それは彼女たちを害しようとしたあなたの仄暗い計画にとって大変都合が悪いことだ。
このように私は遠くの猫の額のような小さな大地にいたとしても、時間があれば彼女たちに影響を与えることができる。二度目はないと思ってほしい。心ならずも友を裏切ってしまった後悔はいつかあなたに返す日が来る。それまで健康に留意して、変な野心によって人知れず誰に殺されたり、怪我をしてはいけない。
まずは健康であることだ。
私は朝起きると歯を磨き、軽く乗馬をこなし、領地の見回りを行う。この軽い運動が眠っていた体を覚醒させ、しっかりと朝食を摂る気持ちにさせてくれる。きちんと栄養を取るとその日一日が活力に満ちたものになる。なにか目標があるなら身体は大事にするべきだ。
とにかく私は良いことも悪いことも借りは返す男だ。
あなたにはきちんと今回の脅迫が間違いだったと思わせるつもりだ。
もうすぐ初夏に入るが、これからの季節、帝都は雨が降りやすく食べ物が痛みやすい。塩づけ肉だから大丈夫とか新鮮だからと侮らず、ちゃんと加熱した食べ物を食べると良い。あと、この手紙を持たせたあなたの部下にはもう少し隠れるのが上手になるようにしてほしい。まったく、あんな変装で私の領地に来るとは笑止千万も良いところだ。
わが家の女中が怪しい人いるんですけど、と連れてきて困ったので、よくよく言い聞かせていただきたい。
復讐心に燃える男 アキレウス・ベル・アーチミティア。




