【02】第一回捜査会議
事件の翌日午前9時、〇山署に設置された『県道1号線車両衝突事故捜査本部』で、第一回目の捜査会議が催された。
出席した刑事たちの人数は、県警、所轄合わせて四十名以上。
異例の規模の会議だった。
そもそも事故案件では、余程大規模な事故でもない限り、このように捜査本部が立ち上がることはない。
まして県警と所轄の合同本部となれば、尚更である。
会議室の前段には、県警の捜査一課長、〇山署所長らの錚々たる面々が連なっていた。
そのことが、この場に集まった捜査員たちの緊張を、嫌がおうにも高めているのだった。
「これより、第一回捜査会議を始める」
会議の第一声は、県警捜査一課長の高階邦正警視だった。
「まず最初に言っておくことがある。
今回の事案は、未だ事故か事件か判然としていない。
その点を踏まえ、全捜査員は、一切の予断を持たずに捜査に当たること。いいか?」
捜査一課長の言葉に、全捜査員が無言で肯いた。
「それでは、状況確認から始める」
続いて、捜査一課班長の熊本達夫警部補が立ち上がり、会議を進行する。
「まず、ガイシャについて報告せよ」
熊本の指示に、初老の刑事が立ち上がった。
「県警捜査一課の島崎です。
ガイシャは徳丸文雄、三十歳。
徳丸加奈子、同じく三十歳。
二人は夫婦です。
住所は、〇山市〇本町二丁目のマンション、〇本ハイム405号室。
徳丸文雄は〇山市内で不動産業を営んでおり、妻の加奈子は美容院を経営しています。
夫婦の間に子供はおりません。
事故当日、現場南にあるファミリーレストランで食事を摂った後、帰宅中に事故に遇った模様です。
レストランを出たのは、昨日の午後一時前。
これはガイシャの財布に収められていた、レシートの時刻と一致します。
その後車で県道を北上中、事故に遇った模様です。
以上、報告終わります」
着席した島崎に続いて、鏡堂達哉が立ち上がった。
「県警一課の鏡堂です。
昨日〇〇大学において、ガイシャ二人の司法解剖が行われました。
その結果について報告します。
ガイシャの死因は、いずれも大量の水を気道及び肺に吸い込んだことによる、溺死と判定されました。
そして死亡推定時刻は、昨日の午後零時から二時の間。
島崎刑事からの報告と合わせると、レストランを出た直後に死亡したと思われます」
鏡堂の報告に、会議室がどよめいた。
「鎮まれ」
そのどよめきを制して、高階課長が鏡堂に鋭い疑問を投げかける。
「つまりガイシャは、レストランを出た直後に、車を運転中、車内で溺死したということか?」
高階は、一言一言区切りながら、鏡堂を睨むようにして質した。
「司法解剖の結果からは、そのような推論に至ります」
鏡堂も、高階の強い視線に怯むことなく、そう返した。
二人のやり取りを聞く会議室に、静かなどよめきが広がった。
高階は鏡堂の答えを受けて一瞬沈思したが、すぐに顔を上げた。
「この件は一旦置く。続いて、現場の状況について報告せよ」
今度は鑑識課の小林誠司が立ち上がった。
「鑑識課の小林です。
事故車両の状況について報告します。
車種はレクサスES、色はホワイト。
〇山市田原町字5061の、県道1号線沿いのガードレールに、車両左側前部から衝突後、停止しております。
衝突時に、運転席及び助手席の、エアバッグが作動しておりました。
その結果、ガイシャ二名に外傷は殆ど見受けられませんでした」
そこで小林は言葉を切り、鏡堂を見た。
「その点は、解剖結果とも一致します」
鏡堂もその意図を察して、すかさず捕捉する。
それに肯いた小林は、報告を続けた。
「車内の状況ですが、一言で言うと、一面水浸しでした。
座席シートや床は勿論のこと、ハンドル、ギア、フロントガラス、天井に至るまで、水に濡れた痕跡が認められ、特に床には検証時、相当の水が溜まった状態でした。
一方外側は、天井やリアガラス、ボンネット、タイヤに至るまで、水に濡れた形跡は認められませんでした。
ただし、衝突によって破損した部分から、漏れ出したと推測される部位は除きます」
「それはどういう状況か説明しろ」
高階の鋭い視線を浴びた小林は、一瞬ビクンと背筋を伸ばした。
「現段階ではあくまで推測に過ぎませんが、事故車両は車体ごと水没したのではなく、車両内部のみが水に浸ったと思われます」
彼の推論に、また会議室がどよめく。
それを制して、高階が訊いた。
「車内のみが水に浸るというのは、どういう状況が考えられるんだ?」
小林は一瞬考えた後、恐る恐る結論を口にする。
「何らかの方法で、車両内部に、一気に水を注入した、ということでしょうか」
その回答に、高階の表情は一層険しくなる。
沈黙した彼に代わって、熊本が口を挟んだ。
「事故当時の目撃証言に、それらしいものはあったのか?
つまり衝突後に外から、第三者が事故車両に水を注入したというような」
その言葉に、会議室の多くが頷いた。
集まった刑事たちの、常識の範囲に当てはまる、妥当な推論と思われたからだ。
そして熊本の質問に、若い刑事が立ち上がって答えた。
「〇山署捜査一係の富樫です。
事故の目撃者の鈴木民夫、千恵子夫妻の証言では、現場付近にそれらしい人物、車両は見当たらなかったようです。
鈴木夫妻の車は、事故車両の後ろを走っていて、事故の発生を最初から目撃していました。
鈴木氏は、車が蛇行してガードレールに衝突した時、すぐに自分も車を停めて、救出に向かったようです。
もし他の車両が近くに停まっていたら、その時に気づいていたと思われます。
それから、鈴木夫妻と事故車両の間を走っていた車が、事故当時、救助もせずにそのまま走り去ったことを、随分と憤慨しておられました」
鏡堂は、昨日自分が鈴木から聞いた話と、富樫の報告内容を頭の中で擦り合わせ、矛盾がないことを確認していた。
「その鈴木という人物以外に、事故現場に立ち会った目撃者はいないのか?」
高階が会場に向かって質問を放った。
すると今度は、中年の刑事が席を立った。
「〇山署捜査一係の加藤です。
事故当時、通報を受けて最初に現場に駆け付けた、交通課の警官によりますと、鈴木夫妻以外の目撃者は、現場にいなかった模様です。
もちろん県道1号ですので、通過車両は多数あったようですが」
「事故の通報があってから、交通課の警官が現着するまでの時間は判るか?」
「県警の通信指令室に、スズキと名乗る人物から事故通報があったのが、昨日の午後零時58分です。
そして警官が現着したのが、午後一時10分前後となっております」
「約10分前後か。すると、その鈴木という夫婦が、関与した可能性も否定できんな」
熊本が独り言ちるのを、隣に座った高階が制した。
「予断は禁物だ」
そして高階は、〇山署の河合署長に向かって要請した。
「本日午後零時から、現場付近の県道で交通検問を張って頂けますか。
通行車両から、目撃証言を集めたいと思いますので」
「会議後、すぐに手配しましょう」
河合は、そう言って彼に肯いた。
「熊本班は所轄と協力して、目撃証言の収集と、ガイシャ及び目撃者の鈴木夫妻周辺を洗ってくれ。
今の状況では、まだ事件と判断できんが、その可能性が高い。
先ずは情報収集が最優先だ。
他に何かあるか?」
その時会議室の片隅から手が上がり、小林の隣に座った若い女性警官が起立した。
「鑑識課の国松です。
一点よろしいでしょうか?」
高階が頷くと、彼女は緊張した声で話し始めた。
「一応念のためですが、事故車両内で採取された水の分析結果について、ご報告させて頂きます。
まず、車内の各所から採取された水分の組成は、ほぼ同一という結果が出ております。
そしてその組成ですが」
そこで一旦言葉を切った国松は、意を決した報告を続けた。
「採取された水の成分組成ですが、河川湖沼、海水、上水、下水のいずれとも合致しませんでした」
「それはどういう意味だ?」
高階の指摘に、国松は躊躇しながら答える。
「敢えて言うならば、成分は雨水に最も近いと思われます」