閑話:ハリー司祭とエレベルスト公爵
エリザを女子修道院まで送り届けたあと、ハリーはジョージと一緒に中央教会の建物に戻った。
これから応接室で面会の予定がある。
一般信者に愛想をふりまきながら、足早に庭を通過する。
後ろからジョージのため息が聞こえた。
「愛読者の令嬢たちに、シスター・エリザと恋仲だと誤解させましたね。パートナーとか、愛を知って伝えているとか」
「嘘は言ってませんよ。……読者に付きまとわれるのも面倒ですから早めに対処しておこうと思いまして」
「だったら、『黒百合司祭』の三巻は差し止めてくださいよ!」
二巻が発売してから、ジョージも注目の的になっていた。ハリーと常に一緒にいるのだから、遅かれ早かれだ。
一巻の原稿をエリザから渡されたときは、こんなに売れるとは思っていなかった。エリザばかりに負担がかかっているので、他に文才がある修道女を探す意味合いもあり、――大半は『おもしろそうだから』が理由だったけれど――、出版してみたら人気になった。
登場人物の司祭は、素性も階級も性格も自分とは全く別で、もう『黒髪の司祭』という部分しか共通点がない。名前を出さずに時代設定を百年前にした結果、ハリー本人から遠ざかったのかもしれない。あまりにも自分そのものだったらさすがに許可しなかったと思う。
「今や『トータン帝国後宮シリーズ』よりも人気なのですよ。差し止めるわけがないじゃないですか」
「だったら、せめて、騎士の髪色を俺と違う色に変えてください」
「わかりました。交渉しましょう」
ぼやくジョージをなだめながら、ハリーは応接室に向かった。
前からやってきたメイドがハリーを目にとめ、客がすでに到着していることを教えてくれる。
ハリーはノックをして、扉を開けた。
中央教会で一番豪華な応接室のソファには、エレベルスト公爵――エリザの父が座っていた。
「エレベルスト公爵閣下、お待たせいたしました」
「いや、今来たところだ」
許可を得て、向かいのソファに座る。
「今、シスター・エリザが隣の女子修道院に滞在しているのはご存じですか?」
「エリザが?」
公爵は不快だとでも言うように、片方の眉を上げる。表情と心情があまり一致しない人らしい、と気づいたのは最近だ。
「先ほどまで、経典愛読者のご令嬢たちとお茶会を開いていたのですよ。シスター・エリザは明日まで滞在していますので、公爵閣下がご希望なら、経典愛読者のお茶会を開催しましょうか?」
「いや、いらん」
「そうですか。残念です」
ハリーが微笑むのを、公爵は睨んでから、テーブルの上に手紙を載せた。
「新刊の感想だ」
「はい。確かにお預かりしました」
宛名は『シスター・エリザ』、送り主の名前はイニシャルになっている。わざわざ筆跡を変える手の凝りようだった。
――公爵は名前を伏せて、エリザにファンレターを送り続けていた。
ハリーがエレベルスト公爵に初めて接触したのは、エリザが翻訳した経典が片手の指を超えたころだ。
経典は街の本屋に卸す前に、中央教会で寄付金と引き換えに配っている。公爵がエリザの経典を集めていることを知り、エリザの髪色の話、王太子の婚約者交替の顛末と表舞台から消えた公爵家の長女……と、順に繋げていけば、予想ができた。
ハリーは確かに幼いエリザに会ったことがあるが、彼女も成長している。素顔を見たところで、確信は持てなかった。
経典の翻訳者の件で、と公爵に連絡をとってみたら、あっさり釣れたのだった。
どうやら公爵は聖カオルコ修道院に面会を申し込んで門前払いされたらしい。手紙も未開封のまま返送されてきたとか。
(あの修道院はそのあたりは徹底していますからね。誰が面会を申し込んだかシスター・エリザまで伝わってもいないでしょう)
事前に面会や手紙を許可する人間を申請しておき、それ以外は全く通さないのだ。
おそらくエリザは誰も許可申請していない。
修道院の外の人間で彼女に自由に会えるのは、ハリーくらいのものだ。
「今日初めて、シスター・エリザからエリザ・エレベルスト嬢がどういう扱いになっているのかと聞かれました」
「うむ。それでなんと?」
「王家から発表されているままをお伝えしましたよ」
「そうか」
難しい顔を崩さない公爵は、ころころと楽しそうに笑うエリザの父とは思えない。
「殿下とローズ嬢の成婚の日取りは決まったのですか?」
「まだだな。ローズの教育が終わらん」
「大丈夫なのですか? エリザ嬢を連れ戻せなどという輩もいるとか」
ハリーが聞くと、公爵は鼻を鳴らした。
「教育が終わらなくても、二年後を目途に進める予定だ。執務ができないなら、笑顔で手を振る仕事だけやらせればいい。宰相も大臣も文官もいるのだから、わざわざ王妃が執務なんかしなくてもいいのだ」
公爵はこれでローズを気遣っているつもりらしい。
「そういえば、エリザ嬢が前髪で顔を隠していた件なのですが」
ハリーがエリザに尋ねた『王太子と婚約解消したくてわざとやっていた説』は、実は公爵が言い出したことだった。
公爵は、エリザの体型や髪型、地味な装いは、婚約解消のためだと思っていたそうだ。だから、ローズと王太子が近づいていることに気づいても黙っていたらしい。――エリザ自身が、二人が仲良くしているのを見守っていたらしいから、公爵の誤解も仕方ないとは思う。
(そこで、シスター・エリザ本人に婚約の意志を確認したりしないところが私には理解できませんね……)
公爵はローズよりエリザのほうが王太子妃にふさわしいと思っていたけれど、エリザが自分の手で婚約解消を勝ち取るなら認めるつもりだったそうだ。
「あの髪型やドレスは公爵夫人が勧めていたそうですよ。本人から聞きました。彼女は、夫人の気遣いだと思っているようですが……」
「なるほど。ローズが婚約者になり、エリザがいなくなってから、妻の態度が変わってきたからおかしいと思っていたのだ」
公爵は、今度は正しく不快感を込めて、片方の眉を上げた。
「エリザのときはおとなしくしていたのに、今はローズの立場を使ってあちこち出歩いているからな。散財も目に余るし、そろそろ潮時だ。あれは領地に引っ込めることにする」
「いいのですか? 愛があるから子どもを作って、愛があるから再婚したのでは?」
「私の愛には優先度がある」
公爵の返答にハリーは肩をすくめる。
「嫡男が一番、あとは優秀な順で、最後が妻ですか?」
「家に利をもたらすか、そうでないか、だ」
公爵はそう言い切る。
ハリーからはこれ以上の情報はないと確かめると、さっさと席を立って出て行った。見送りは不要らしい。
家の利益と言いながら、エリザへのファンレターでは名乗らないし、経典の感想しか書いていない。――ハリーは、公爵以外からの手紙も含めて全てのファンレターの中身を確認している。
会うたびにハリーにエリザの近況を聞いてくる。
公爵は愛情を持ってエリザを心配しているように思えるが、婚約者時代も手助けしていないようだし、切り捨て方は無情だ。一貫性がなく、ハリーにはよくわからない。
(まあ、人の気持ちはすっきり綺麗に整理できるものでもありませんし、そういうものでしょうかね)
ハリーも経典から愛を知る派だ。他人から恋愛感情を向けられるのはわずらわしい。
(その点、シスター・エリザは私に恋愛感情を持っていないから話しやすいですね)
ついからかってしまうのも、相手が勘違いしないとわかっているからだと自己分析する。
そんなことを言うと、ジョージから「何言ってるんですか? 普通にシスター・エリザを気に入っているからでしょ」とつっこまれた。
「気に入ってはいますよ」
「恋愛的に気に入っているって意味です。そうやって一歩引いた態度で余裕ぶっていられるのは、シスター・エリザが聖カオルコ修道院から外に出なくて、他の男に取られる心配がないからですよ。さっきだって真剣に『愛し愛される毎日』について質問していたじゃないですか。あれで彼女が男に興味がないと知って安心しませんでしたか?」
「呆れはしましたけれど……」
「それじゃあ、俺が彼女と、あなた抜きで親しくなったらどうします?」
「親しくなる予定があるのですか?」
ハリーが声を低くすると、ジョージは「ほらぁ!」と指をさす。
「許せないって思ったでしょ。それが『愛を知る』の第一歩ですよ」
ハリーは反論できなかった。