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エリザ、婚約解消される

「エリザ、君との婚約を解消したい」

 婚約者の王太子パトリックからそう言われ、エレベルスト公爵家の長女エリザは目を瞬かせる。

 ここはスプリング王国、王宮の奥庭。エリザは王太子妃教育のあと、いつもパトリックと茶会をすることになっていた。

 いつも通り(・・・・・)、エリザについて来た異母妹のローズも茶会の席についている。

 本来なら王族しか入れない奥庭は、五代前の王妃の趣味で花より緑の多い庭だ。森の小道を歩くような野趣溢れる中に、今エリザたちがいる四阿があった。

 パトリックが早々に人払いしたから、少し不思議に思っていたのだ。

(この話をするためだったのね)

 驚きはしたけれど、取り乱すほどではない。

 どこか他人事のように思いながら、エリザはパトリックに尋ねた。

「婚約解消ですか? でも、この婚約は政略です。解消してよろしいのでしょうか?」

 エレベルスト公爵家が王太子の後ろ盾になるために必要だからと、エリザが五歳のときに決まった婚約だ。

 エリザは今、十八歳。――婚約期間は十三年になる。

(でも、エレベルスト公爵家の娘は私だけじゃないものね……)

 エリザも展開が読める。

「ローズと婚約するから問題ない」

 王太子はそう言うと、隣の席に座るローズの手を取った。

 その様子にエリザは、やっぱり、と納得する。

 エリザも前から思っていたのだ。パトリックの婚約者はローズのほうがいいのではないか、と。

 パトリックとローズが並ぶのを見るとしっくりくるのだ。夜会などで自分がパトリックにエスコートされても違和感しかないのに。

 見た目がどうこうではなく、自分が恋愛や結婚の当事者になることに実感が持てないのだ。

 幼いころに婚約して、将来は王太子妃そして王妃になると言われてきたから、エリザはそのつもりで生きてきた。でも、そこにパトリックへの恋愛感情はなかった。

 成長してから閨教育も受けたけれど、それをパトリックとするのかと思うと不安しかない。エリザとパトリックの間で、身体的接触はエスコートやダンスのときくらいしかなく、キスの経験もない。

 そもそもエリザはパトリックとキスをしたいと思ったこともなかった。

 幼馴染でもあるパトリックに親愛の情はあるけれど、家族愛に近い。

(殿下は兄みたいなものだわ。兄弟の口にキスはしないのと同じよ)

 エリザの実母はエリザが十歳のときに亡くなった。そのすぐあとに父は再婚し、義母が連れてきたのは父の実子の異母妹と異母弟。異母妹ローズはエリザの一つ年下、異母弟キースは三つ下だった。――父は、母が亡くならなくてもいずれキースだけ引き取るつもりだったらしい。父は嫡男が欲しかったのに、エリザを産んだあと母が父を拒んだため、外に愛人を作った、と使用人たちが噂しているのをエリザは聞いたことがある。

 エリザとパトリックが婚約したときは、ローズはまだ正式な公爵令嬢ではなかったからエリザしか選択肢がなかったけれど、あのときにローズがいたら最初から彼女が選ばれていたと思う。

 王太子妃教育を受ける姉を応援したい、大好きな姉と離れたくない。そう言って、頻繁に王宮について来たローズ。

 エリザが教師から教えを受けている間、ローズはサロンで他の令嬢や夫人とお茶を飲んだり、パトリックと一緒にエリザを待っていてくれたりした。

 エリザのためだと思っていたけれど、ローズはパトリックに会うために王宮に来ていたのだろうか。

「殿下とローズは以前から好き合っていたのですか?」

 エリザがそう聞くと、ローズはばっと顔を両手で覆った。

「ごめんなさい、お姉様! 私が殿下のことを好きになってしまったのがいけないの!」

「ローズは悪くない! 悪いのは私なんだ!」

 パトリックはローズの肩を抱く。

(どちらも悪いのではないかしら)

 そう思いながらも、エリザは何がきっかけで二人が好き合うようになったのか、とても気になった。

 さらに質問しようとしたけれど、エリザより先にパトリックが、

「エリザは、私と会うときも、いつだってそんな格好だろう? もっさりした前髪に地味なドレス。体型のことを言いたくはないが、不健康に見えるような太り方はさすがにどうかと思う。努力するつもりがないということは、私との婚約に乗り気ではないという意思表示なんだろう?」

 パトリックに言われて、エリザは驚いた。

「え? でも、お義母様もローズも、私にはこの髪型とドレスが似合うって褒めてくれますよ」

「そんな、お姉様! 私はいつも髪型やドレスを変えたらいいのにって思っていました」

「そうなの? だったら言ってくれたらよかったのに」

「私、お姉様はそういう格好がお好きなのだと思っていました」

 義母は「前髪は伸ばしたほうが似合う」とか「地味な色合いのシンプルなドレスの方がエリザはかわいい」とアドバイスしてくれるし、夜遅くまで王太子妃教育や学園の課題に取り組んでいると、深夜なのに手ずからケーキや焼き菓子と甘い飲み物を差し入れてくれる。「たくさん食べないと体力が保たないわ」とエリザの夕食は野菜よりも肉を多めにしてくれる優しい義母だ。

 エリザの実母は、幼いエリザの世話を乳母に任せて社交に出かけ、晩年の数年は病で寝込んでいた。弱った姿を夫や娘に見せたがらなかったため、寝室にはあまり入れてもらえず、かわいがってもらった記憶はほとんどない。それに比べたら義母の方が交流が多かった。

 ローズも義母と同じように、今の格好を褒めてくれていたのに。

「私にはこの格好は似合っていなかったのね……」

 エリザは視線を落とす。

 分厚い前髪を目の下まで伸ばしているため、目元はいつも隠れている。波打つ黒髪はとかしただけで下ろしっぱなしのため、毛刈り前の羊のようにもこもこしている。太めの体を紺色の飾り気のないドレスが包んでいた。

 パトリックはなぐさめなのか「正直なところ、似合っていないわけではない。ピンクのフリルたっぷりのドレスよりよほどましだ」とため息をついてから、

「子どものころのエリザはもっとかわいかった。髪を整えろ、痩せろ、と私がいくら言っても君は聞いてくれないじゃないか」

「それは……」

 殿方の意見より同性の意見に従うべき、と義母が教えてくれたからだ。また、「ほぼ初対面の王宮のメイドよりも身近な家族の意見のほうが信用できるでしょう?」と言われて、王宮で髪を結っても、次に行くときにはまたもっさりした髪型で出かけたりした。そのうち義母とローズ以外は何も言わなくなったから、これでいいのだと思っていた。

「君が王太子妃教育で優秀なのは知っている。でも、王太子妃である前に私の妻になるんだ。私に好かれる努力をしてほしかった」

「好かれる努力……」

「その点、ローズは私の好みに合わせてくれる」

 パトリックは微笑んでローズの髪を撫でた。

 父と同じ黒髪のエリザと違って、義母に似た明るい茶髪のローズの髪はハーフアップに結われて薔薇の生花が飾られていた。

 パトリックの好みなんて、エリザは知らないし、気にしたこともなかった。

「ローズは殿下に好かれる努力をして、殿下はローズに好かれる努力をしたから、二人は相思相愛になったということでしょうか?」

「その言い方だと、エリザに好かれる努力をしなかった私が悪いというのか?」

 パトリックが眉をひそめた。エリザは慌てて否定する。

「いいえ、違います。単なる興味で……」

 後半は小声で、エリザは言った。

 エリザは確かに好かれる努力なんてしなかったけれど、パトリックだってしていないと思う。パトリックから男性の好みを聞かれたことなんて一度もない。

(そもそも、殿下は私に好かれたかったのかしら?)

 自分はどうなのだろうか。

 もちろん嫌われたいとは思っていないけれど、恋愛感情を向けられたいとも思っていなかった。

(お互い様ね)

 エリザはもとより婚約解消に異論はなかった。

「私は婚約解消していただいてかまいません」

「そうか……」

「お姉様、ありがとう!」

 エリザがうなずくと、パトリックはほっとした顔をし、ローズは笑顔を浮かべた。

「父と陛下には殿下からお伝えいただけますか?」

「ああ、もちろん、そのつもりだ」

「よろしくお願いいたします」

 エリザは「私はこれで失礼いたします」と席を立つ。

 指先まで気を配った綺麗な礼をすると、

「殿下、今までありがとうございました」

 返事を待たずに、四阿をあとにした。

 まっすぐ戻れば侍女や護衛騎士に行き会うだろう。そう思ったら少し一人になりたくて、エリザは脇道に逸れた。

 背が高い木々は葉を広げて初夏の日差しを遮ってくれる。ところどころにエリザの背丈くらいの木があり、ほどよい閉塞感があった。今のエリザのように一人になりたい王族のための奥庭だ。

 小道の周囲には可憐な野草が花を咲かせている。その中からスズランを探すのが宝探しのようで、エリザは昔から好きだった。

 この庭に入るのもこれが最後だと思うと寂しい。

 婚約解消は構わないけれど、十三歳から始まった王太子妃教育が無駄になってしまうのは、むなしいものがある。

 十五歳で入学した学園でも好成績を求められていたエリザは、毎日必死に勉強して常に学年五位以内につけていた。先日行われた最終試験は三位だった。――ちなみに主席はパトリックだ。

(そういえば、来週の卒業パーティーはどうしたらいいのかしら?)

 婚約者がいれば普通はペアで参加するため、エリザはパトリックと参加する予定だった。パトリックとデザインを合わせたドレスももうできあがっている。

 パトリックはローズと参加するつもりだろうか。エリザとお揃いにしたいと言ってローズもドレスを作っていたのを思い出す。

 一人で参加してもマナー違反にはならないけれど、噂にはなるだろう。――パトリックと合わせたドレスを着たローズと、それとお揃いのドレスを着たエリザ。

(周囲の人が気を使いそうで、申し訳ないわね)

 それとも、卒業パーティーが終わってから婚約解消を発表するのだろうか。

 その場合は、予定通りにエリザはパトリックと一緒に参加しないとならない。

 さすがに、それは気が進まなかった。

 しばらく――何なら年単位で――パトリックには会いたくない。ローズもできれば避けたい。

(お父様はなんておっしゃるかしら……)

 実母が存命のころも、義母と再婚してからも、父は仕事一筋だった。かろうじて晩餐には顔を合わせるけれど、特に話をすることはない。幼いころはエリザから父に話しかけることもあったけれど、「忙しい」「そういうことは母に言いなさい」と邪険にされ、いつしか自分から話しかけることはなくなった。義母とローズとキースがいなければ、静寂の中で食事をする毎日だったと思う。父は義母たちにも自分から話題を振ることがない。

 エレベルスト公爵家から王太子に嫁ぐのが、エリザであってもローズであっても、父は気にしないと思う。

(きっとお父様は、いつものように「そうか」とおっしゃって終わりね)

 義母は、深夜まで課題に取り組むエリザを見て、エリザに王太子妃は荷が重いのでないか、と心配してくれていた。だから、婚約解消になって安心してくれるかもしれない。

(でも代わりにローズが婚約するのだから、お義母様は喜べないかもしれないわね)

 エリザが五年かけた王太子妃教育を、ローズはそれより短い期間で終わらせないとならないはず。

 ローズに負担をかけたと知ったら、義母もエリザを良く思わないかもしれない。

(家にも帰りたくないわ……)

 婚約解消したあと、エリザはどうなるのだろう。

 誰かと婚約するのだろうか。

 そして、その誰かに好かれる努力をしないとならないのだろうか。

(無理だわ……。どうしたらいいのかわからない……)

 考えながら歩いていくうちに、奥庭の裏門まで行きついた。

 いつも建物に近い表門から出入りしているから、衛兵が驚いた顔をする。

「気分転換に散歩をしてきます」

 エリザはそう言ってごまかす。

「お一人で、ですか? 護衛を呼びましょうか?」

「いいえ、すぐ侍女と合流するので大丈夫ですよ」

 エリザのついた嘘を衛兵は信じてくれ、門を通してくれた。

 裏門の先は、貴族なら誰でも入れる庭園だ。

 今は薔薇が盛りだった。

 ローズの髪に飾られていた花を思い出して、薔薇はしばらく見たくないと思う。誰かに話しかけられても面倒だ、とエリザは足早に通り抜けた。

 ひたすら前だけ見て歩いていくと、再び衛兵のいる門を抜けた。こちらの門は出ていく者にあまり注意を払わないため何も言われず、エリザは王宮の前庭に出た。前庭は庶民も入れる観光地だ。いつも貴族用の門から馬車で入るため、エリザは初めて来た。

 人が多くて驚く。声もざわざわと騒がしい。皆、楽しそうだった。

 物珍しく見渡したエリザの視界に修道女が入った。王宮の教会に用事がある者かもしれない。

 その姿を見た瞬間、エリザはひらめいた。

(そうだわ! 修道院に行きましょう!)

 エリザはぽんっと手を打った。

 善は急げだ。

 今から修道院に行けば、家に帰らなくてすむし、卒業パーティーに出なくてもいい。

 父に連れ戻されないように、厳しい戒律で入った者は二度と出られないと言われている『聖カオルコ修道院』に行こうと決めた。そうしたら結婚も避けられる。

 エリザは前庭の門から出て、近くで客待ちをしていた馬車に乗る。

「聖カオルコ修道院までお願いできますか?」

「へえ。面会ですか?」

「いいえ、修道女になろうと思いまして」

「え? 修道女にですか?」

 エリザが言うと、御者は血相を変えた。

「あ、どうしましょう。お金を持っていないわ。このイヤリングでもいいでしょうか」

「いえ。お代は結構です。そういう場合は聖カオルコ修道院が支払ってくれるんで。修道院を開いた聖女カオルコ様がそう決めなさったそうですよ」

「まあ!」

「さあ、早く出発しましょう。お嬢さんも逃げて来たんですよね。もしかして、今、追いかけられていたりしますか?」

「え? いいえ、追いかけられてはいません」

「それなら良かった」

 御者は日に焼けた顔でにかっと笑うと、馬を走らせた。

 降りるときにエリザは御者に聞いてみた。

「どうして私が逃げてきたと思ったのですか」

「聖カオルコ修道院は不遇の女性の駆け込み先って有名ですからね」

 こうしてエリザは聖カオルコ修道院の門を叩いたのだった。

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