#3
そのバイリンが、自分を裏切るとは!
アキラは目の前に現れたバイリンのしてきた提案に、思わず笑ってしまった。
「俺が? その決闘場で? 赤竜と戦えって?」
「そ。一足先におねーさんたちは向こうに行ってもらっとるよ」
「なんでだよ?
そんなの、赤竜をその決闘場送りにして閉じ込めておけば済む話じゃないか。赤竜はこの世界からいなくなってくれれば、俺は命を狙われなくて済む」
「いい忘れとったわぁ。決闘場な、日本なんよ。アキラくんの故郷の」
バイリンはただの獣人ではない。
世界を飛び越えて移動できる神――――アキラをこの世界に転移させ、またチート能力として【覇】の聖剣グラムを与えた女神その人である。
いたずら好きの女神バイリンは、世界で最も消えてもいい人間としてアキラを選定すると、神の炎で彼の自宅を焼き、死んだ彼に魂を消されるか異世界に行って勇者になるかの二択を迫った。
当然アキラは後者を選んだ。
それは彼にとって、渡りに舟だった。自分にはあらゆることに対して才能がなく、何をやっても上手くいかない……そんな自分でも、他人を無条件に圧倒できる力さえあれば、人生は必ずうまくいく。そういう自信があった。
実際、アキラの人生は華やかになった。
アキラが最初に降り立った街の娼館で出会ったハーフエルフの女の子、ユズリハ。
ドワーフ族の女戦士で、姉貴分としていつも頼りになるオルガ。
盲目の修道女で、アキラが与えた【響】の聖剣で光を取り戻したグレース。
魔王軍に虐げられていた魚人族の娘、セリア。
兄を追いかけて自らも異世界転移を果たした実の妹、アスカ。
アキラは自らの聖剣「グラム」から零れる雫を行く先々で困っている人々らに与え、彼らに希望の火を灯して回り、しまいには世界を混沌に包まんとした魔王すら打ち破った。
アキラの望むものは、何でも手に入った。
富。名声。武力。そして、人生の答え――――自分の人生が上手くいかなかったのは、才能がなかったせいだ。才能さえあれば、聖剣という圧倒的な力さえあれば俺の人生はバラ色だった――――それが証明されたのである。
それがどうだ。
オルガが死に、ユズリハが死に。セリアが死に、グレースとアスカ、そしてフィエルの三人は行方不明。
自分には溢れる才能があるのに、この世界は俺の望みが何でも叶う世界なのに、どうしてこうなったのか――――答えは単純だ。アキラに楯突く、この世界の歪み。赤竜エリザベス・イラウンスのせいだ。アイツさえいなくなれば、また俺の人生は必ず上手くいく。
赤竜が他所の世界へ飛んだのなら、もうそれで解決である。アキラは赤竜のいなくなった世界で、またも人生において大勝利を重ねられるはずだ。
「故郷がどうなってもええの?」
「いいに決まってるだろ。あんな世界。俺を排除した世界なんて、赤竜に滅ぼされればいい」
「ほーん、そんなもんかね」
「大体、お前が言ったことだろ。俺は『この世で一番要らない人間だ』って。
あの世界は、もう俺を必要となんかしてないんだ。助けなくていい」
アキラに赤竜を恐れる気持ちはない。
赤竜がどんなに強大だろうと、【覇】の聖剣の前には無力だ。戦っても負けるつもりはないが、戦わずに勝てるのなら、わざわざ命を取りに行くような面倒なことはしなくていい。
「ホントにええの?」
「いいんだよ」
「アスカちゃんの仇でも?」
アキラは思わずバイリンに振り返った。
「仇?
バイリン、今『仇』って言ったか?」
「アスカちゃんな、赤竜に負けたんやよ。だから――――」
「バイリン!」
アキラはバイリンに掴みかかった。
普段ならするりとアキラの手を躱すバイリンが、大人しく捕まった。だがその表情には焦りの色がない。まるでこうなることを予想していた、予想通りの展開になって喜んでいるかのような……。
「アスカの仇って、どういうことだよ!」
「どうゆうもにゃぁよ。アスカちゃんは赤竜に負けた。
アスカちゃんの左腕を斬り落としたんは、意趣返しってやつなんかねぇ」
「斬り……っ!」
アキラの脳裏に、イメージが浮かぶ。
敵に捕まったアスカ。卑劣な条件を飲まされたアスカは、その腕を切り落とされる。
泣き叫ぶアスカ、下衆な笑みを浮かべる赤竜。事情が変わった。アキラは赤竜討伐の意志を改めて固める。
「……バイリン、案内できるんだな。赤竜のいるところに」
「もちろん。おねーさんとアキラくんが命がけで戦うところ、でら楽しみであかんわぁ」
そういってバイリンはへらへらと笑った。
◇ ◆ ◇
世界を飛び越えて移動するというのは、決して慣れるものではない。天路アキラは、ふらつく足で手すりに寄り掛かった。
前の世界にいたときよりも体が重く感じる。重力が違うのかな……とアキラは思ったが、バイリンがその疑問の答えをすぐに与えた。
「そりゃ、今のアキラくんは『転移者』じゃにゃぁもん。
向こうの世界じゃすんごいステータスで体も軽かったけど、こっちじゃ普通の人間でしかにゃぁのは当たり前じゃにゃぁの」
「なんだよそれ!」
けたたましく鳴り響くクラクションとジェットエンジンの音。鼻を突くような鉄と排気ガスの臭い。
剣と魔法の世界に満ちた、風と大地の生命力に溢れたそれとは対照的だ。極めて無機質な世界。アキラの嫌いな世界。
あまりこの世界に長居すると健康を害する。アキラはバイリンに詰め寄った。
「こっちの世界でも前の世界と同じように戦えるようにしてよ」
「なんで?」
「俺と赤竜が戦うところ、見たいんだろ。
こんな一般人がドラゴンと戦ったら、すぐに殺されるに決まってる。せめて互角に戦えるくらいじゃないと楽しめないだろ、お前が」
「ふふ。アキラくん、ウチのこと分かっとるね。
ええよ。少しだけ身体能力も、アップしといたげる」
バイリンは服の袖から、呪文の書かれた札を取り出した。
書かれた文字は、サンスクリット語に文字が似ているが文法が異なる。バイリンたち「神」が使う言語だ。
焦げたお札の文字が空中に浮かび、アキラの体に取り込まれる。バイリンが自身の神の力の一端――――彼女が「ちーと」と呼ぶ力を授ける儀式だ。
「これでおっけーよ。あとはウチ、ゆっくり見とるけ、思う存分戦いんしゃい♪」
空間の裂け目へ消えていくバイリン。
それを見送り、天路アキラは深呼吸を一つ。背中のグラムを抜き放ち、空へ掲げた。




