#2
聖剣の勇者、天路アキラ。
彼はいかにして『転移者』となったのか――――。
いたずら好きの女神との邂逅が、世界の運命を変える。
天路アキラが高校に行かなくなったのは、二年生の十一月のことである。
インターハイ予選が終わり、三年生が引退し。アキラの所属するサッカー部も、チームの中心は二年生へと切り替わり、新たなスタートが始まった……そんな矢先のこと。
アキラの通っていた南高校は、全国レベルには程遠いものの、地元ではそこそこサッカーで有名な高校だった。アキラは入学して迷うことなく、サッカー部に入部した。
初心者ではなかった。決して。サッカーの腕、否、脚に自信のないものが、強豪校のサッカー部の門を叩くはずはない。アキラは地域でもそこそこ有名な、サッカー少年だったのだ。
入部して1年目。アキラたち1年生の仕事はサッカーの練習ではない。先輩たちが練習する様を見、応援し、基礎トレーニングを繰り返すだけである。来る日も来る日もランニング、ドリブル、パス、コート整備。ランニング、ドリブル、パス、コート整備。ランニング、ドリブル、パス、コート整備……。
コートを駆ける先輩たちに必死に声援を送りながら、アキラの中には声援で送る声とは相反する感情が生まれた。
――――俺なら、もっと上手くやれるのに。
三年生のプレーは、お世辞にも「上手い」とは言えなかった。体は固く、パスはよくミスする。ドリブルが遅くてすぐに相手チームに追いつかれる――――その年の南高の大会成績は、県内ベスト8近辺をうろうろするものだった。
チームが勝つと嬉しい。チームが負けると悔しい。
ほんとうに?
本当はそうじゃない。
チームが負けるとムカつく。なんでオレを使わないんだ!
チームが勝つともっとムカつく。こんな試合、オレならハットトリックを決められる!
二年生になっても、アキラはベンチ要員でしかなかった。三年生は十五人もいる。選手交代があったとしても、アキラにその鉢が回ってくることはない。俺を出してくれと直談判もした。だが「三年生は試合出る最後のチャンスになるかも」、そういわれると、引きさがるしかなかった。
インターハイ予選で敗北したときは、部活の仲間たちと泣いた。
だがそれは、チームが負けた悔しさでも、これで部活引退となる三年生に対する同情でもない。
怒りだった。
俺が出ていれば、試合に勝てた。俺だったら、あんな無様なシュートなんかしない。あんな簡単にカットされるようなパスもしない。
なんで俺は試合に出られないんだよ。こんなに必死に、練習してるのに――――怒りのあまりに、涙がこぼれた。
三年生が引退すると、アキラたち二年生がチームの中心になった。
ようやくフィールドに出られる――――真夏の積乱雲のように大きく昂ってきたアキラの感情は、あるチームメイトの一言によって粉砕されることになる。
「1年生にも、プレーさせてみようよ」
アキラは反対した。1年生はフィールドに出さない。それが南高の伝統だ。
俺たちだってそうしてきただろ!猛反対したアキラに、そのチームメイトはたった一言、諭すような口調でこう答えた。「だからだよ」。
自分たちだって、先輩のプレーを見て悶々とした1年間を送ってきた。僕は、南高で勝ちたい。僕のプレーで、じゃなく、僕とチームのみんなで。
かくして、二年生チームvs一年生チームのスタメン争奪試合が組まれた。アキラのポジションはミッドフィルダーである。
結果は言うまでもなく、二年生チームの圧勝で終わった。だが――――アキラはその試合で、一点も決めることはできなかった。
シュートどころか、得点に貢献するパスも、ディフェンスで活躍することもできなかった。折角ボールをもらっても、ドリブル中にボールを奪われる。パスをしてもカットされる。一体どうして――――アキラは試合が終わってようやく気が付いた。
いつの間にか、見下していた先輩たちと同じになっていた。
自分は必死に練習していただろうか。少なくとも、練習を休んだことはない。毎日言われたとおりにランニングをこなし、ドリブルとパスの練習をし、コート整備をしてきた。
こんなのサッカーじゃない、と投げ出した同級生もいた。そんな中でも、アキラは毎日欠かさず部活に出向いた。不満がなかったといえば嘘になるが……。あんなヘタクソでも試合に出られるのだから、1年ここで頑張ればチャンスは必ず来るんだ。そう自分に言い聞かせて。
部活のスタメンが発表される日。そこにアキラの名前はなかった。アキラが入るはずのミッドフィルダーには、1年生が収まっていた。
失意のアキラにさらに追い打ちをかけたのは、学校の授業だった。
英語、数学、国語――――黒板に書かれた文字も、教師の説明も、一切何も、頭に入ってこない。
きっとスタメン落ちして気分が落ち込んでいるからだ。気持ちが回復すれば元通りになる。だって中学までは、勉強で苦労したことなんてなかったし――――そう楽観しているうちに、アキラは授業についていけなくなった。
世の中とは、なんと不公平なのだろう!
努力は人を裏切らないなんて大嘘だ。所詮この世は才能次第。才能を持って生まれた人間は何をやっても成功し、持たざるものは永遠に成功できない。
俺にもサッカーや勉強の才能があったら。きっと今頃サッカー部のエースとしてチームを牽引し、クラスの女子からは勉強教えて♡と言い寄られていたのに違いないのに。今の俺はどうだ。サッカーも勉強も、人並みの青春すら手に入らないではないか。何もかも、才能がなかったのがいけなかった!
アキラは高校に行かなくなった。
何もする気が起きなかった。どうせ、何をやったって上手くいかないに決まっている。だって、自分には才能がないのだから。
才能を持って生まれた人間が憎い。生まれ持った才能のお陰で成功しているくせに、したり顔で「もっと努力しろ」と言ってくるヤツらが。
ヤツらは知っているんだ。才能がない人間が、いくら努力したって無駄なことを。俺たちみたいな才能のない人間が、実るはずもない努力をしているのを、けらけら笑って見ているんだ。
いつか、いつか絶対復讐してやる。
でも、今じゃない。俺には「復讐の才能」がないから。
いつかきっと、誰かが来て。何かが起きて、俺をこの絶望の淵から救ってくれる――――そんな夢物語と馬鹿にされる夢想が、現実になるなんて。誰が思うだろうか。
「じゃんじゃじゃーん! 当選おめっとさんやねぇ」
真っ白い空間。床も天井も壁もない、ただ白い光に満ちた空間に、アキラはいた。
確か家が火事になって、それで――――。アキラは自分の体に触れてみた。そこにあった体だと思ったものは、実体がなかった。触れたはずの自分の手が、胸を貫通する。
アキラの他に、ここにいるのは目の前の少女だけ。頭頂部にキツネ耳を生やし、尻尾を9本も生やした九尾の狐。
ただし、衣装は中国風だ。創作によくある巫女装束風のそれではない、痩せぎすの体を這うように纏わりつく、シルクのような見た目の橙に金縁の刺繍の入った服。
「天路アキラくん。おみゃぁさんは『この世でもっとも消えてもいい人間』に選ばれとうよ!」
それがアキラと、後に蘇焙燐と名乗ることになる、イタズラ好きの女神との出会いであった。