#8
背後で気配が動く。
さっき地面を転がった時か、抜け落ちたグロリアス・シューティングスターが空中に静止して、私に刃の先を向けている。
しゅっ、と素早く動く四本の短剣。グロリアス・シューティングスターが背中から突き刺さり、私の胸を貫通した。
胸に開いた傷口から噴き出す鮮血――――のような色をした炎。傷は瞬く間に塞がった。
「リズさま……っ!?」
「何ともないわ、大丈夫よ。
ファル、あなたはしばらく休んでて」
儀礼甲冑も竜の皮膚も、聖剣は易々と貫く。
けれど、炎を命にしている今の私は、聖剣で心臓を貫かれても死なないらしい。
「心臓、刺しても死なない、なんて。そんなの、あり?」
「フィエル、どうしよう。私たちであんなの、倒せるのかな」
「いま、考えてる」
五本に戻ったグロリアス・シューティングスターを自分の回りに浮かべ、アスカは私を睨んでいる。
いや、それとも私の後ろにいるバイリンのほうか。
「……炎が命、なら。火を消せば、倒せる」
「フィエルの水魔法の出番だね!」
「うん。呪文を紡ぐ間、任せるね」
フィエルが呪文を唱え始めると、周囲の黄金色の魔方陣がかき消え、変わりに青い魔方陣が浮かび始めた。
そのフィエルを背に隠すように、アスカが立っている。けれど、その脚は微かに震えていた。
「……怖いのね、私が」
「そんなわけない! お前なんか、お前なんか……!」
アスカの飛ばしたグロリアス・シューティングスター。五本の光条となったそれが、私の四肢を次々切り裂く。
けれど、受けた傷はすぐに塞がり、切り離された手足も炎ですぐに再接合される。私はゆっくりと、レーヴァテインを握ったまま歩いてアスカに近づいていった。
「死ね、死ね、死ねっ、死ねぇっ!
お兄の敵は世界の敵だ! 邪悪な赤竜め! お前がそんな能力、もらっちゃいけないんだ! 死ねッ!」
「軽いわ、貴女」
「なにっ!」
「ユズリハから聞いたわ。聖剣は『雫』を手にした者の夢を叶える力を与えてくれるって。
貴女が望んだのはその聖剣。どんな敵も必ず見つけ出して必ず殺す、必殺の暗器。自分で振るわなくても、勝手に敵を殺してくれる聖剣。
相手を殺したいと思ったら、聖剣に念じるだけでいい。後は敵が屠られるのを見届けるだけ――――自ら手を血で穢す覚悟がない。臆病者よ、貴女は」
「言わせておけばーッ!」
五本の短剣がアスカの手元に集まる。
アスカの手のひらを中心に、放射状に広がる星型に集合したグロリアス・シューティングスター。【星】の聖剣という名を表す姿だ。
「私は、私は手に入れたんだ! この世界! 私の望みが叶う世界を!
それをお前に、お前みたいな魔物ごときに、奪われてたまるか!」
振りかぶって星型に集まったグロリアス・シューティングスターをアスカが投げた。星型に集まった刃は巨大な回転鋸であり、触れるものをみな切り刻む。
でも、今の私にとっては脅威じゃない。
全身の炎を大きく噴かし、勢いをつけて突撃する。レーヴァテインを構え、炎を纏った私は飛んでくるグロリアス・シューティングスターをひらりと躱し、そのまま距離を詰めていく。
慌てて聖剣を戻し、防御を固めようとしたアスカの横を通り過ぎる。横目で見えた彼女の表情は、私の真意を悟って一瞬のうちに青ざめた。
「フィエル!」
体を翻したアスカが、私の背後から叫ぶ。
アスカがどんな聖剣を持っていようが、ただ切断することしかできない聖剣など敵じゃない。今私にとって脅威になるのは、何かしらの対抗策を講じようとしているフィエルのほうだ。
何かしらの大がかりな魔法を唱えようとしていたらしいフィエルは、まだ詠唱の途中だ。表情に一瞬焦りの色が見えた彼女に一気に近づき、レーヴァテインを振り上げる。
アスカの下に集まっていたグロリアス・シューティングスターが、私の眼前に再度集結した。アスカがフィエルを守るために送ったのだ。
私はそれに構わず、レーヴァテインに渾身の力を込めて振り下ろす。赤熱したレーヴァテイン、否、ツヴェルゲンシュタールの刀身は聖剣の刃をも熱したバターのように融かし斬り、そのエネルギーの余波は炎となってフィエルの鼻先に顕現する。
咄嗟に、召喚していた魔法陣を自身の防御に転用するフィエル。だけど、レーヴァテインの放つ炎はそれより一瞬早く、フィエルを防御魔法陣ごとその奔流に飲み込んだ。
どっ。
圧縮された閃光が堰を切ってあふれ出し、フィエルを中心に大爆発を起こす。
解放された爆風が荒れ狂う暴風となって、周囲の家屋をなぎ倒す。爆炎の渦は私をも飲み込んで、巨大な火球になった。
光が収まると、私の目の前には誰もいなかった。
フィエルは跡形もなく消え去っていた。
「……あと一人」
振り向いた私に、アスカは完全に怯えた目を向けている。
「フィエル……フィエル! ああ、そんな……」
「さっきの威勢はどうしたの。私を殺すんじゃなかったのかしら」
「言われなくても……っ」
アスカが腰に手を伸ばす。だがそこにはもう、彼女の聖剣はない。
フィエルを守ろうと放ったグロリアス・シューティングスターは、五本ともレーヴァテインに融断され、爆発に巻き込まれ。でろでろに融けて固まった金属片となって、地面に転がっている。アスカの呼びかけに応えようとかたかた動く金属片だけど、もはや「剣」としての形を失ったグロリアス・シューティングスターは、必殺の暗器ではない。
「う、うそ……私の、私のグロリアス・シューティングスターが!」
「絶望なさい。絶望というのは、生きていないと出来ないものよ。
貴女はもうすぐそれも出来なくなる。今のうちに悔いがないよう、思う存分絶望なさい」
アスカの震える足は、体重を支えられなくなった。
腰から崩れ落ちたアスカが、私に尻を向けてのそのそと逃げようとする。その伸ばした手の先にいるのは、バイリンだ。
「バイリン、バイリン! お願い、助けて!」
「んっんー。どーしよっかねぇー」
「見て、今の私! ともだちも、聖剣も、もう何にもないの! 弱いの!
このままじゃ私、殺されちゃう! だから助けて!」
地面を這うアスカに追いついた私は、その背を踏みつけた。
体重をかけると、アスカは首だけ振り向いて私をにらみつける。その顔は涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃで、今にも潰されようとしているカエルそのものだった。
「バイリン! バイリン!
何でもする! 私、何でもするから!」
「……何でもするなら、潔く死になさい」
レーヴァテインの切っ先を下に向けて、バイリンに向かって伸ばされたアスカの左腕に突き下ろす。
ざくっ、と音がして、腕は骨まであっさりと切断された。
地面に突き刺さったレーヴァテインの刀身に、突然視界を、希望を遮られたアスカの驚愕の表情が映る。
「ぎゃあああああああぁぁぁぁっ!!」
アスカを蹴転がし、仰向けにする。
首を掴んで持ち上げると、切断された腕の傷から、とめどなく血が流れ落ちた。
「痛い、痛い痛い痛い痛い! やだやだやだやだやだ!
わた、私、わたし、わわたし、私は……まだ! まだやりたいこと、たくさん、あるのに!」
「……シンディは、笑顔で逝ったわ」
「へっ……」
「貴女のお兄さんに皮を剥がれて、手足を切られて。それでも最期に、私に笑ってくれた。今でも瞼を閉じれば浮かんでくる――――シンディは最期の最期に、私に笑ってくれたのよ。痛かったでしょうね、苦しかったでしょうね。でも、笑ったの。私のためにね。
それを見て私は、泣き喚くことしかできなかった。シンディは強い子だった」
「邪竜が……家族ごっことか、キモいんだよッ!」
「ユズリハも、最期は笑っていたわ。あの子はセリアの攻撃からアイリスを庇って死んだのよ。今にも死にかけたあの子は、最期に何の話をしたと思う?
シンディが殺されたとき、自分もそこにいた、だから自分も私の仇だって……それを聞いても、私はあの子を殺すことはできなかった。
ユズリハには、笑顔で逝ってほしい、そう思ってしまったの。だから子守歌なんて歌って……馬鹿みたいでしょう」
アスカの首を絞める手に力を込める。
もうアスカは脱力し始めていた。「げぇ」と力なく呻くアスカは苦しそうだ。
「貴女には子守歌よりもっと素敵な詞をあげる。骨も残らず、この地上から完全に消えてなくなる、そんな貴女に送る葬送曲」
普段はレーヴァテインの炎で放つ竜哮砲。でも、今の私なら素手でも撃てる。
全身の炎が手の平に集まる。アスカの首が焦げて、肉が焼ける煙が上がった。
「が……げ、や、やべで……だ、たずげッ」
「《この世を統べる理よ、我が真言に――――」
すぱっ。
私の視界に、一筋の閃光が走る。今度は私の右腕が、切断されていた。
竜の詞を中断して閃光の出所を見る。けれど、そこにもう姿はなかった。切断された私の腕から、黒い風がアスカを掠めとる。
「……フィエル」
切られた腕を炎で繋ぎ直す。
アスカを助けたのはフィエルだった。煤だらけになったフィエルは、私の放った炎から逃れていたらしい。
おそらくあの、大鎌の聖剣の力で逃げたんだ。「転移魔法のどえりゃぁの」ってバイリンが言っていたっけ。
私が追撃を加えるより早く、フィエルは大鎌を振るって空間を斬る。私を睨み付けながら、フィエルはアスカを抱えたまま空間の裂け目へと消えていった。




