#2
アスカとフィエルが新大陸の土を踏んだのは、アルとエリザベスの間で交渉が為されてから三日後、すなわち獣人の国ヨータルから勇者天路アキラが国外追放される、その日だった。
ヨータル中心部に直接ワームホールを開いたフィエルとアスカは、城の貴賓室で旅支度を整える天路アキラと合流した。
「追放⁉」
事の経緯を聞いたアスカは素っ頓狂な声を上げた。
荷物を小さく纏め、空中に出現させた「アイテムボックス」に次々と収納していくアキラは妹を見ることもなく答えた。
「そうだよ。ヨータルは今回の騒動には関わりたくないらしい」
「『関わりたくない』って……。お兄に向かって何て恩知らずな!」
「まあ気持ちは分かるよ。赤竜はグレースを倒したっていうし、獣人たちも及び腰なんだよ」
フィエルは天路アキラを観察した。
背はユズリハより高いけれど、ヒューマン族の平均よりは少し低い。体つきもヒューマン族青年の平均より細く、ひ弱そうな印象を与える。
半面、装備は豪華だ。アルカディア・ゴートのヒゲで織られたマント、アダマント合金製の軽鎧。グリフォン一体分の骨や羽を素材にして作られたアクセラレート・ブーツに、極めつけは赤竜の真紅の鱗で覆われた篭手。今回アキラの命が狙われる切欠ともなっている、いわくつきの逸品。
そして忘れてはならないのが、背中の鞘に納められた【覇】の聖剣「グラム」。一見何の変哲もないブロードソードであるこの聖剣は、二つの能力を持っている。
一つは、アキラの意思次第で、無限に自分のコピーを生み出すことができること。そしてもう一つは、「雫」と呼ばれる、触れた人間に合わせた聖剣へと変化する漆黒の液体を分泌する能力。
自分に敵対するものには徹底的な破壊と破滅を与え、味方するものには無双の力を与える。剣の最強とは戦場にての強さにあらず。最強とは、すなわち戦の前に勝利を確定する覇者の剣なり。
「それに、今回の騒動は俺が自分で決着を付けなきゃいけないと思うんだ」
「お兄自身が?」
「ああ。赤竜討伐……あのとき、俺はてっきりあの場にいた三匹が全部だと思ってたのに、生き残りがいたんだ。思い返してみれば、使用人の獣人の子も俺は見逃しちゃってたしね。
あそこで情けをかけたせいで、セリアやグレース、それにユズリハまで……。赤竜に命を狙われ続けるんじゃ、俺も七聖剣のみんなも、いつまでも穏やかに暮らせないよ。今度こそきっちり、決着を付けないと」
「さすがお兄!」アスカが囃し立てる。「私たち七聖剣のことまで考えてくれてるんだ!」
「当たり前だろ。みんな大切な、俺の家族みたいなもんなんだし」
「わぁ!」
がばっ、とアキラにアスカは抱き着いた。
フィエルはそれを恨めしく見ていたが、アスカの目には自分を羨んでいるように見えているらしい。実際には、フィエルはアキラに対して少なからずの殺意を抱いているというのに。
「その、家族である、七聖剣について、報告があります。天路アキラ」
「ん。何、フィエル?」
「今の七聖剣、残っているメンバーはアスカとわたし、それから、スルヴェート城の留守番を任せたアイリス、それとバイリンの、四名、だけです。
さらに、バイリンは裏切り、赤竜の、味方に、つきました」
「そうなんだ」
「驚かない、のですか」
「アイツはそういうヤツなんだよ。移り気っていうのかな……。どんなときも俺たちの味方をしてくれるってわけじゃないんだ。
で、つまりは俺の味方として今ここで戦ってくれる七聖剣はもう二人だけってことか」
「はい、そうです。しかもバイリンは、空間移動能力を制限する術を、持っているようで、ここからの脱出に、カリストは、使えません。
船ももうないとなると、新大陸を、どうやって、脱出、すべきか」
「いいよ、それは」
最後の荷物をアイテムボックスに収め終えたアキラが、フィエルに答える。
「逃げる必要はないよ。赤竜は恐れるような相手じゃない」
「しかし、相手は、聖剣を、持っているん、です。油断は、禁物では」
「聞いたんだ、獣人の……えっと、何て名前だったかな。リーダーのヤツから。
ヨータルは赤竜と取引をしたらしいんだ。ヨータルは赤竜の邪魔をしない代わりに、赤竜は獣人を傷つけないって。それってつまり、街の中で奇襲をかけてきたりしないってことだろ。
それに獣人を巻き込むような攻撃もしないってことさ。赤竜は俺との一騎討ちを持ちかけてくるはず。それを待つんだ」
「そう上手く、行くでしょうか」
「行くよ、きっと。今までも大体上手くいったし、これからも絶対に上手くいく」
アキラのこの自信はどこから生えてくるのかと、いつもフィエルは心配になる。
聖剣――――つまり、絶対的な武力を持っているから? 否、そうではない。
今回の相手、赤竜の復讐者は聖剣を持っている。それも、アキラのグラムから作られたのではない本物の聖剣、神代遺物を。
グラムから作られた聖剣は、グラムの意思に背くことはできない。だが赤竜のレーヴァテインは違う。出自の異なる聖剣を持つ彼女は、アキラを殺害することも可能だろう。
アキラの余裕は絶対的な強者を根としていない。では一体、何が彼をここまで自信家にするのか。
「ですが……。もし赤竜が、街に火を放って、アキラを殺そうと、したら」
「それはないよ。これも聞いた話なんだけど、人質を取ってるらしいんだ」
「人質?」
「赤竜は獣人の使用人の子を引き連れてるって話だろ。その子を捕らえてるんだ。
もし赤竜がヨータルの国民を傷つけるようなことがあれば、その獣人の子を殺すと」
「そんな脅しが、通じる相手でしょうか」
「それが通じるんだよ。どうもその赤竜は獣人の使用人の子を異常なほど気に入っているらしいんだ。まあ、そうでもないと復讐の旅に同行なんかさせないよね。
だから赤竜は獣人の子のために、ヨータルの国民を傷つけるようなことは絶対にしないだろうってさ」
フィエルは口を噤んだ。
ふと、ある考えが頭をよぎる――――赤竜が大事にしている獣人の子。その身柄は、復讐鬼と化した赤竜に分別を付けさせるほどの効力がある。それなら。
フィエル自身、自分でそれを思いついたことを恥じたほどの卑劣な方法ではあるが。その獣人の子を七聖剣が押さえてしまえば、赤竜の復讐を止めさせることができるのではないか。
「ねぇフィエル。私、いいこと思いついたんだけど」
アキラの元を離れたアスカが、フィエルの近くへやってきてこそこそと耳打ちを始めた。
「なに」
「その獣人の子、私たちで誘拐しちゃおうよ。
どのみち、赤竜を処刑したらその子も一緒に処刑しなきゃだし」
どうやらアスカもフィエルと同じ発想に至ったようだ。
「それは……そう、だけど」
「お兄が赤竜なんかに負けるわけないと思うけど……。でも、少しでも危険は排除しておきたいんだ。
獣人の子をこっちで押さえて、赤竜をお兄の下に来る前に討伐しちゃおうよ」
「そう上手く、いくかなぁ」
「大丈夫、大丈夫。お兄は『主人公』なんだからさ」
「『シュジンコー』……」
主人公。
その言葉の意味を知らないフィエルではない。物語の中心人物。作中の世界を行動一つで変えうる、唯一の存在。フィエルが大好きな本にも、何人もの「主人公」がいて、物語を動かしていた。
だが、現実の世界に「主人公」などいない。世界が自分を中心に回っていると思っている者はいくらでもいるが、そのすべては幻想だ。世界に中心があったとして、それが一つの世界にいくつもあったらそれは「中心」ではない。
自分が世界の中心だと思っている人間は、いつか必ずそれがマヤカシであったことを思い知らされる。そう、まさしくフィエルの父、魔王と呼ばれた男がそうであったように――――
フィエルはそこでようやく気が付いた。
アキラを自信家にしている理由。そして、バイリンの言っていた言葉の本当の意味。
アキラは自分をこの世界の「主人公」だと思っている。
ゆえに、アキラのすることは全て正義であり、すべて必ずうまくいく。だがそれは、かつての魔王がそうであったような、傲りでしかない。
アキラは弱者から、弱者を作るものになった――――バイリンはそう言った。かつて世界を闇で覆い尽くした魔王、それを討伐した聖剣の勇者、天路アキラ。今はその立場が逆転しつつある。赤竜の家族を惨殺した勇者アキラと、その復讐のために牙を研いできた赤竜エリザベス・イラウンス。
バイリンはいつでも弱者の味方。バイリンがアキラに味方していたのは、彼が強者を打ち砕く弱者だったからに過ぎない。でも今は――――
「アスカ、わたしに考えがある」
「なに?」
「赤竜を説得しよう」
天路アキラは強者だ。特別な能力を与えられた転移者であり、聖剣を持ち、赤竜と一騎打ちでも遅れをとることはない。
だからこそ、おそらくアキラは負ける。この世界は弱肉強食がいつでも適用できる魔界ほどシンプルではない。弱いものが、強いものを打ち砕く世界だ。
アキラの敗北。赤竜はアキラを殺すだろう。家族の仇を前にして、憎悪に任せて刃を振るうことを我慢できる者は少ない。
アキラの死はアスカを傷つける。深く、深く。治癒することのできない傷跡を残すだろう。それはフィエルの望むところではない。アキラを死なせるわけにはいかない。
アキラの敗北を防ぐには、復讐を止めさせることだ。
「……は?」
「そのために、まず、その獣人の子。仲間にしよう」
「えぇー。
殺しちゃえばシンプルなのに」
「それじゃ、だめなんだ。獣人の子が、アキラを救う最後の手段になる、かも」
フィエルはカリストを振るい、アキラから聞いた獣人の子の居場所にワームホールを繋いだ。
まだバイリンはこっちの作戦を妨害する気はないようだ。フィエルはアスカを引き連れ、獣人の子の下へ急ぐ。




