#9
オリヴィアが振るう戦鎚を、フィエルはカリストの柄で受けた。
単純なパワーなら、フィエルがドワーフのオリヴィアに勝てる道理はない。ただし、カリストもオリヴィアの戦鎚と同じく聖剣であり、やはり破壊は不可能である。生身に受ければ致命的な骨折は避けられない戦鎚の一撃でも、カリストで防げば打ち飛ばされるだけで済む。
フィエルは致命傷を免れたが、衝撃までは防ぎきれず結界の外まで跳ね飛ばされた。
民家の壁を粉砕し、床に転がるフィエル。外で待機していた魔導人形たちが魔法銃を手にとどめを差そうとフィエルに近づく。
「フィエル!」
「他人の心配を、してる場合かッ!」
オリヴィアは振りかぶった戦鎚をアスカに向かって振り下ろしていた。
アスカはヒューマン族である。転移者で超常の力を与えられてはいるが、やはりアスカでもドワーフのオリヴィアと力比べで勝てるはずはない。アスカはオリヴィアの一撃をするりと避け、戦鎚は寺院の天井を砕いて凹ませた。
さらには、フィエルの張ったバリアの中ではグロリアス・シューティングスターも能力を制限される。アスカはそれを自由に飛ばして攻撃させることはできず、手に持った暗器としてしか使うことができない。アスカはオリヴィアから距離をとり、両手にクナイを構えた。
「……その聖剣、普通じゃないな。お前も」
「この聖剣はお兄に貰ったんだ。ずっと、ずっとずっとずっと、私はお兄のために生きてきた。それはこれからも変わらない。
お兄を脅かすものは、全部私が排除する」
グロリアス・シューティングスター。【星】の聖剣。その刃が、ラーヴァクの太陽の光を反射して煌く。
「『グラムの雫』から生まれた聖剣は、持ち主の願いを叶える力を持つ。お前の場合は、『あらゆる外敵を排除したい』って祈ったんだな。
『敵を倒したい』じゃない――――ただ『殺す』という結果が欲しい。お前がすることはそれを投げるだけ。一切手を動かすことなく、お前が『敵』と認定したものを自動的に殺害する、邪悪な聖剣だ。
そんな力を家族のために望むお前は、狂っているよ」
「オリヴィアだってお姉さんがいたでしょ。なら分かるはずだよ。
世界にただ一人、血のつながった家族。守るためなら、どんなことでもできる。バケモノでも悪魔でも、何にでもなれる」
「分からないな。いや、分かりたくない!」
オリヴィアは戦鎚を構えて槍のように突き出す。
戦鎚の巨大な頭部は盾の役割も果たす。大振りな攻撃ではアスカも隙を突けるが、目の前を塞がれたのではアスカも手が出せず、距離をとるしかない。
☆ ★ ☆
アスカがオリヴィアの猛攻をしのいでいるころ、崩れた民家の土煙の中でフィエルは上半身を起こしていた。
「痛……。けど、生きてる。まだ」
目深に被っていたフードを上げると、被っていた砂がぱらぱらと落ちた。フィエルは周囲を見回し、自分がバリアの外まで放り出されたことを認識する。
戦鎚の形をしたあの聖剣――――どんな異能を備えているのか、フィエルにも見当がつかない。最初は魔導人形を遠隔操作する能力かと考えたが、結界の外にいる魔導人形が機能停止していないところからしてフィエルの推測は外れているし、魔導人形たちはゴーレムのように、ただの遠隔操作されている人形というわけではないらしい。
フィエルが痛む体を無理やり動かして立ち上がると、その額に冷たいものが突き付けられた。
魔導人形の構える魔法銃の、銃口だった。
「お前の聖剣を渡せ」
「いや、です」
「お前、魔族だろう。魔族が勇者に味方するのか」
銃を突き付けている魔導人形が、フィエルの被ったフードを力任せに剥がした。
フィエルの頭から生えた二対の角が露わになる。一対は前髪の生え際から螺旋を描いて前を向き、もう一対は巻貝のように耳の上に渦を巻いている。大きく、かつ複雑な形状の角は、高位の魔族の証。
フィエルが魔王の娘である証だ。
普通の人間ならば、フィエルの角を見れば誰もが驚いて息を呑む。世界を恐怖で支配した魔王の血族が、まさかこうして生きていると思うものは誰もいないからだ。まして、今やフィエルが父親を抹殺した勇者に与しているなど、誰が予想できるだろうか。
フィエルの目の前の魔導人形もまた、角を見て言葉を失っていた。だが、彼女らには想定外はあっても驚きや恐れの感情はないらしく、しげしげと角を見た後で言葉を繋いだ。
「その角……魔王の血筋か」
「だったら、何」
「なぜお前が聖剣を持っている。七聖剣になど入っている。天路アキラは魔王を討伐した、親の仇だろう。なぜ勇者を信奉する?」
「魔王は弱かった。アキラは強かった。だから魔王は、敗けて死んだ。それだけ」
弱肉強食。この世界の根底に流れる、もっとも簡単なルールだ。
弱いものは強いものに食われるか、阿るしかない。それがイヤなら強くなれ――――魔族の世界はそうやって作られている。暗く閉ざされた魔界では、魔族は無制限に繁栄することはできない。強いものだけが生き残り、弱いものには生きる資格すら与えられない。
フィエルは復讐より明日を生きることを選んだ。強者であるアキラに阿り、アスカの側にいることを望んだ。
そしてアスカのために尽くしたフィエルは聖剣を得て、強者となった。
「復讐は、何も生まない……そんなことより、もっと大事なこと、ある。
もっと未来を見るべき。失った命は、帰らない。復讐なんて下らないことは、やめさせないと」
「最近の魔族は綺麗事を並べるようだな」銃口がフィエルの額を押す。「失われた命に縋ることが、心の支えになることもある。我々は、そのために作られている」
「え?」
「我々『戦乙女シリーズ』は、主様が姉上を模して作ったもの。姉上と離れ離れになった主様の心の傷を癒すために、我々は生まれた」
どことなく、オルガの面影を持つ魔導人形たち――――彼女らが「主」と呼ぶオリヴィアは、姉を失った悲しみを魔導人形で癒そうとした。
「たとえオルガ様が元七聖剣だったとしても、主様とお前たちは相容れない。主様はオルガ様を殺害した犯人に自ら手を下すことを望まれていた。復讐を否定するお前たちと、盃を交わすことなどありえない」
「だからオリヴィアは、赤竜の味方に、なったの? 家族を殺された、復讐をしようと、してるから」
「そうだ」
フィエルは、自分にオリヴィアを憐れむ感情があったことに驚いた。
見るからに「一人前」ではないドワーフ族の子。姉を殺した犯人に復讐したいと口では言っていても、その実、オリヴィアの体がまだ子供のままなのは、復讐に対して自分でも迷いを持っている証だ。
今も――――赤竜のためにラーヴァクで殿をしようとしている今も、彼は迷い続けている。自分の為すべきことを見つけていない。彼が心の底から赤竜のために戦おうと思っているのなら、すでにオリヴィアは大人になっているはずだ。
「……撃たないの」
「主様の望みはお前たちが聖剣を捨て、事の成り行きを静観することだ。お前たちの死ではない」
おそらく、この魔導人形たちも。直感的に、フィエルはそう思った。
今引き金を引けば、殺せるかもしれないのに。フィエルの前にいる魔導人形はそれをしない。
魔導人形がゴーレムのような使役されるものでなく、こうして主と結界で区切られていても自律行動できるということは。つまり魔導人形自身にも意思があるということだ。
魔導人形たちはフィエルを追い詰め、銃を突き付けている。それが主の命令だからだ。だがそれと同時に、主の命に従うことに疑問も持ち始めている。主の迷いが、魔導人形たちにも通じているのかもしれない。
「それは、できない。
勇者は殺させない。それがアスカの望みだから」
「親の仇を守るために、お前は命を懸けられるのか?」
「アスカの、ためなら……!」
フィエルはカリストを握りしめた。
へたり込んだ床にワームホールを作り、取り囲んでいた魔導人形たちごとフィエルはその中へ落ちる。バランスを崩した魔導人形の突き付ける銃口が外れ、フィエルは出口のないワームホールの無限の縦穴を落下していく中、カリストを構えて魔導人形に対峙する。
魔導人形たちが飛行能力で体勢を立て直し、フィエルに向かって発砲する。
無数の微小な魔法陣が、フィエルの体を貫こうと迫る――――
「この空間は、わたしの世界」
フィエルは自分の前にある空間を捻じ曲げ、飛んでくる魔法陣の軌道をめちゃくちゃにした。魔法陣同士が空中で激突し、弾かれ、軌道を反らされて暗闇の世界へ拡散していく。
カリストを横薙ぎに振るう。フィエルが捻じ曲げた空間は魔導人形たちの頸を同時に捉え、フィエルは一太刀のうちに数十の魔導人形の頸を切断し、機能停止させた。
ばらばらになった魔導人形たちは、ぶつかりあい、砕けて小さな部品となって、ワームホール内の異空間に散らばった。
「迷っている時間は、ないんだよ」
無限の闇へと飲み込まれていく魔導人形たちの残骸を見ながら、フィエルはそっと呟いた。
自分の意思を持ちながら、オリヴィアを主とし、彼の望みを叶えようとした魔導人形たち。彼女らと自分は似ているとフィエルは思った。
アスカとフィエルを足止めしたいオリヴィアと、その望みを叶えるためなら自分が破壊されることも厭わない魔導人形たち。
実兄アキラを暗殺しようとしている赤竜を討伐したいアスカと、その望みを叶えるためなら命を懸けられるフィエル。
違いがあるとすれば、魔導人形たちは主の前に立ちはだかったフィエルを撃つことに躊躇し、フィエルは己の前に立ちはだかった魔導人形を破壊することに躊躇しなかったことだ。その迷いの有無が、生死を分けた。
迷っている時間はない――――無限の闇に手向けた言葉は、受けとり手を失ってフィエルまで帰ってきた。
魔導人形たちはなぜフィエルを撃つことを迷っていたのか。彼女らと自分の立場が似ていることを考えると、フィエルにもその理由が見えてくる。
きっと彼女たちも、主であるオリヴィアを止めて欲しかったのだ。赤竜に与することなく、平穏に暮らして欲しかったのだ――――その推測が正しかったのか、答えはもう出口のないワームホールの彼方へ消えてしまったけれど。




