#4
目の前の暗闇が晴れると、私は雲の上にいた。
「なッ……!?」
ゆるやかに、でも確実に。
私の体は自由落下を始め、周りの空気が強風になって全身に叩きつけられる。
これはバイリンの仕業だ。魔力の痕跡を一切残していない、あの女狐の「センジュツ」とかいうやつ。
バイリンはいつも弱い方の味方だとか言っていたっけ。あの場では、私は確実にグレースとベラナに勝てた。だから、あの場では私のほうが「強者」だった――――ということか。
変身を一部解いて翼を広げると。私に叩きつけられていた風は、私を支えるクッションになった。
空中に留まって気配を探る――――微かにだけど感じる、ドラウプニルの気配。足の下、ずっと下。
ファルがいる。そのすぐ側、距離も測れない近距離にもう1つ、イシュメイルの気配。どうやらファルがグレースと交戦しているみたい。今私がいるのは、ガーバイスの直上、遥か雲の上だ。
ビフレストの気配はそこにはない。少し範囲を広げて――――
ひゅっ。
咄嗟にのけ反り、飛んできた魔力の塊を避ける。
ビフレストの魔法矢だった。初見では気配を捉えることすらできなかったけど。今は肌がびりびり、神経がざわざわするほど、殺気を感じる。
「エリザベス・イラウンス……!」
翼を広げたベラナがいた。私から十分に距離を取り、すでに次弾に備えて弓を引いている。
次の一射はすぐだった。けれど、見えているところから放たれた矢に当たるほど、私はノロマではない。射線を避けながら、抜き放ったレーヴァテインを手に、ベラナとの距離を詰める。
「赤竜の復讐者め! お前は、わたしがここで殺す!」
「できるかしら、あなたに」
彼女が次の矢を放つより前に、私はベラナに迫った。下から上へ、切り上げるように振るったレーヴァテイン。その刀身の軌跡が炎を纏って、身を翻して避けたベラナの風切羽を焦がした。
「バケモノめ!」
ベラナは矢を射るのをやめ、弓のリム部分で殴りかかってきた。
私はそれを、レーヴァテインを盾にして受ける。リムとはいえ、ベラナが振るっているのは聖剣だ。並みの武器なら、それを振り下ろす斬撃だけで容易に打ち砕かれただろうけど。私のレーヴァテインは、いまや刀身も聖剣で作られているので激しくぶつかって火花が散っただけだった。
レーヴァテインを足場に蹴り、私の上を取ったベラナ。背にした太陽光を目眩ましにしながら、次の矢を放ってくる。
射撃と斬撃。それをシームレスに繋いだ一連の戦術。まさに変幻自在――――【虹】の名は、そんな弓の聖剣でしかなし得ない、七色の戦闘術を表したものなのかもしれない。
私が竜でなければ、勝負は決まっていた。でも、竜人態になった私には、飛んでくる魔力のを拳で打ち払うことくらい、目を瞑ってもできた。
「ママから聞いてる。お前は魔法が使えない! だから、距離を取ればわたしが有利!」
「ママって……グレースのこと?」
「そうだ! ママはわたしを一人の翼人として扱ってくれた。仲間からも見下されていたわたしを……!
勇者さまにも会わせてくれて、こんな翼もくれた!」
ぶわっ、とベラナの背で機械の翼が火を噴く。
聖剣で作られた翼が風を切る。凄まじい加速だ。私が目で追うのが精一杯なほどのスピードで、空を縦横無尽に飛び回るベラナ。
ベラナの攻撃を防ぐのは難しいことじゃない。
でも、あのスピードは厄介だ。どうにかして足を止めないと、こっちが防戦一方になってしまう。
「ママの敵はわたしの敵! ママの夢はわたしの夢!
だからわたしが、守るんだ! ママも! ママの望みも!」
「……殊勝なことね」
家族――――そう、家族だ。ベラナにとって、グレースは家族なんだ。私とファルがそうなっているように。だからベラナは、私に殺気を向けている。グレースが守りたい、勇者天路アキラを脅かす私に。
私もかつて同じことをした。ファルが救いたいと言った獣人解放戦線のみんな。彼らを支配から解き放つために、私はテオドールに刃を向けた。それはグレースに取り入るという目的もあったけれど、ファルのためでもあった。
私がファルのために戦うように、ベラナもグレースのために戦っている。だから、彼女が一番してほしくないことは何なのかも良く分かる。
真下に向かって飛ぶ。雲を突き抜けると、視界にタルヴの街が飛び込んできた。
この高度からはあのガーバイスも指の爪の先くらいにしか見えない。でも、気配は消えていない。ファルはまだグレースと交戦中だ。
「待て! 逃げるな!」
背後から撃ってくるベラナの魔法矢を、急減速で避ける。追ってきたベラナはそのまま私の前を通りすぎ、私が彼女の背後を取った。
私が振り下ろすレーヴァテインをひらりとかわし、ベラナは振り向き様に魔法矢を放つ。私は避けることができず、レーヴァテインを盾にそれを防いだ。
「なんのっ!」
ベラナがビフレストのリムを上下二つに分割し、両手に握って近づいてくる。
太刀筋は読めない。けれど、所詮は子供だ。どんな攻撃を仕掛けてくるか分からなくても、狙いが読めれば防御は難しくない。
私の心臓を狙ってビフレストの刃を突き出してくるベラナ。その切っ先を、レーヴァテインの刀身で受け、弾き飛ばす。
私が繰り出すレーヴァテインの斬撃は大振りで、ベラナには容易く避けられてしまう。だけど、軌跡が纏う炎は別だ。飛び散った火の粉が、ベラナの袖を焦がした。
私とベラナは、もみくちゃになって刃を交えながら落下していった。
「負けない! お前がどんなに強かろうと! 私は!」
「負けられないのは、私も同じよ」
海面すれすれで、私は翼を強く打ち下ろす。
吹き上がった水飛沫がレーヴァテインの火で瞬時に蒸発して、即席の煙幕になった。
すばやくその場を離れ、少し離れた位置に陣取る。
レーヴァテインの切っ先を煙幕の中心に向けると、刀身が二つに割れた。その瞬間、煙幕を突き破ってベラナが突撃してくる。
竜哮砲をチャージする余裕はない。けれど、オリヴィアに強化してもらった今のレーヴァテインなら、収束させないそのままの炎を発射することもできる。
私が火炎弾を発射すると、ベラナは驚いたように急上昇してそれを避けた。
「魔法っ⁉ どうして……⁉」
「……貴女、『守る』と言ったわね。グレース、貴女の『ママ』を」
「ママはわたしのすべてだ! ママのためなら、わたしの命なんて!」
「あらそう。じゃあその言葉、今から現実にしてもらうわ」
レーヴァテインの切っ先をずらす。
私の視線の先。そこには木製の巨大な船体がある。
海征城艦ガーバイス。その中ではグレースとファルが戦っている。
私はガーバイスの喫水線めがけて、火炎弾を発射した。
「なっ⁉ お、お前っ!」
慌てて船のほうへ飛んでいくベラナ。それに構わず、艦を狙って私は火炎弾を次々と発射した。
ベラナが一番嫌なこと。それは、自分を無視してグレースを攻撃されること。それから、彼女が大事にしているもの――――勇者天路アキラの座乗艦であり、獣人の国を守る象徴でもある、ガーバイスを破壊されることだ。
ベラナは簡単に火炎弾に追いつき、私の放ったそれをビフレストで打ち払うけれど。私が放った弾の数は彼女の処理能力を上回っている。何発かはガーバイスの側舷に命中し、木製の船体に穴を開けた。
「正気か! あの中には、お前の従者もいるんだろ!」
「大丈夫よ。ファルはそんな簡単に死ぬ子じゃないもの」
さっきより、少し収束率を高めた大きな火炎弾を放つ。
ベラナはそれを聖剣で二つに切り裂いたけど、二つに分かれた火炎弾は無数の火の玉にばらけて、ガーバイスの船体に散弾のように突き刺さって火災を発生させた。
「やめろ! これ以上は! 船が……船が沈んじゃうから!」
「嫌よ。止めたければ勝手にすれば?」
もう一度、収束を高めた火炎弾を放つ。
今度はベラナはそれを斬らなかった。代わりに、防御を固めて自ら火炎弾を受け止める。
轟音と爆炎がベラナを包む。それが晴れるのを待たず、私は火炎弾を数十発もベラナに打ち込んだ。
煙が晴れると、ベラナはまだそこにいた。肩を上下に揺らし、ぼろぼろになった両腕で体を守りながら、私をにらみつけている。
ここで打つ、私の最後の一手は、もう決めている。
「《この世を統べる理よ、我が意を聞き届けよ》」
レーヴァテインの放つ炎を極限まで収束して放つ竜哮砲。まともに食らえばたとえ聖剣の護りがあっても無事では済まない。
かといって、今のベラナに避けるという選択肢はない。私のフルパワーの竜哮砲がガーバイスに直撃すれば、船体は真っ二つに両断されて、中にいるグレースを含む乗員たちは少なからず船と運命を共にすることになる。
今のベラナには、収束が終わる前に私を抹殺するか、あるいは身を挺して竜哮砲から船を守るかの二択しかない。
そして彼女は、後者を選択した。
ぼろぼろの今の彼女では、竜哮砲のチャージが終わる前に私を抹殺することはできない。
「《我が敵を遍く焼き尽くし、我が望みを叶えたまえ》」
レーヴァテインの纏う火の色が橙色から青色に変わっていく。
ベラナは背についていたビフレストをすべて左腕に集め、盾を作っていた。
「《猛き破壊の奔流よ、我が轡を受け入れよ》」
我ながら卑怯な手だとは思うけど。私は、正しい道を進みたいわけじゃない。
私は復讐をする。それは綺麗事で成し遂げられるようなものじゃない。卑怯と謗られようが、悪魔と罵られようが、知ったことじゃない。
「《弱きものよ、我が嘶を背に受けよ――――》」
ぎゅうぎゅうに詰め込んだ袋が破れるように。押さえつけていたレーヴァテインの炎の奔流が、その刀身に沿ってあふれ出す。巨大な炎の紅蛇となった竜哮砲は、その口を大きく開けてベラナを飲み込み、そしてガーバイスに食らいつく。
閃光。
爆音。
そして、肌をひりつかせるほどの衝撃。
ベラナに威力を減衰させられた竜哮砲は、ガーバイスの側舷に修復不能の大きな穴を開けた。