#3
海征城艦「ガーバイス」。大層な名前に違わず、その船の中は豪華絢爛なものだった。
まさしく「動く城」の表現に偽りがない。エントランスにはスルヴェート城と同じ技法で作られたステンドグラスから光が差している。天窓のように取られたその光が映すシルエットは、巨大なクジラの絵だった。
「ガーバイスは購入した外洋船五隻の素材を集めて建造しました。なので、この近辺ではおそらく最大級の外洋船になるでしょうね」
「こんなバカみたいな船を作ってどうする気?」
「アキラ様はこの世界を救った救世主なんですよ? その座乗艦が貧相であってはいけませんから。アキラ様、今日はいらしてませんけどね」
相変わらずの挑発的な態度。気が付くと、グレースの後ろを歩いてエントランスを抜け通路を進む私とファル、さらにその後ろからベラナが付いてきていた。
弓は構えていない。二つ折りにされて、左の翼に加わっている。おそらく、あの左羽の4枚がセットで聖剣なんだろう。
グレースに案内されて私たちが通されたのは、艦の中に作られた礼拝堂のような場所だった。フロアを2デッキ分も貫いた高い天井。前を向いて並べられたいくつもの木製の長椅子。そして、部屋の最奥に鎮座する巨大な聖女像。
でも、教会によくある祈りを捧げる像ではなく、剣を空に掲げた戦う聖女を象ったものだ。近づいてみると、顔立ちがどことなくユズリハに似ている気がする。耳は尖っていないし、髪も短いけれど。
「エリーさんとお話ししたかった理由は二つあります」
聖女像の足元、一段高くされた演壇の段差に腰を下ろすグレース。私とファルはその向かいの長椅子に、並んで腰かけた。
「一つは私と別れた後、エリーさんはユズリハさんとどんな冒険をしたのかを聞きたかったんです。どんなことがあって、どんな話をしたのか……。
セリアがいなくなった今、私は誰よりもまず、ユズリハさんの意志を尊重して七聖剣を運営していきたいので」
私はリュシーユを出てからの旅をかいつまんでグレースに話した。
オリヴィアに会ったこと。スルヴェート城でのユズリハとアイリスの決闘、そして――――。私はユズリハに七聖剣に誘われた。正体を知ってなお、ユズリハは私と友人であろうとしたこと。それもグレースに話した。
グレースはただ静かに聞いていた。ふらりと私たちの背後から、グレースの隣に場所を移したベラナが、グレースの大腿を枕に微睡み始める。
「……そうですか」
ベラナの髪を撫でるグレースは穏やかな声だった。
甲板で見たときの姿とは別人のよう――――修道服のせいか、本物の聖女のようにも見える。
「ユズリハさんはエリーさんを七聖剣に。
確かに、その相談は受けました。リュシーユの村に滞在していたときです。あんなに楽しそうにエリーさんの話をして……。貴女の正体を明かすべきか、迷いました」
「でも結局明かさなかった」
「ええ。ユズリハさんは貴女の正体がアキラ様の命を狙う赤竜だなんて、きっと認められないと思ったんです。それが、ねぇ。
まさか敵とでも仲良くはできる、なんて」
「滅茶苦茶な子だったわ」
「はい。でもそれがユズリハさんのいいところで、七聖剣第一席である所以だったんです」
七聖剣のメンバーは多様だ。種族も、出自も性格も。唯一、天路アキラから聖剣を授けられたという共通点くらいしかない。
その第一席、皆を纏めるリーダー的存在がユズリハだった。彼女の剣術は確かに上位ではあったけれど、世界最強というには貧弱すぎる。第一席を務めていたのは、ユズリハの人望によるところだったんだと思う。
「もしユズリハさんが生きていたら……。ベラナのことも、七聖剣に誘ってくれたかもしれませんね」
「何なの、その子」
「ベラナは翼人の子です。でもご覧の通り、左羽がありません。生まれつき片羽だったそうなんです」
翼人は自在に空が飛べる。容姿も優れた仔が多いけれど、知能は獣人の平均よりもさらに低い。労働力としてよりも、観賞用として飼われていることが多いせいだろうか。
そんな中で、ベラナは飼い主から特別に愛されていた。
生まれつき片羽の個体は珍しい。その上、容姿も翼人の中ではかなり端麗だ。ヒューマン族なら14歳くらいのまだ子供に見える外見だけど、目鼻筋が通っていて、髪も夕焼け色の美しい金髪。背中の羽を広げた姿は、天使にも見紛うほど。
だからこそ、ベラナは迫害もされていた。
不完全な翼故か、あるいはそれ故に寵愛を受けていることへの嫉妬か。仲間の翼人から、彼女はいつも仲間外れにされていたとグレースは語る。
「ベラナが特別に可愛がられていたのは、何も容姿のためばかりではありません。飛べない翼人は、管理が簡単ですからね。
リュシーユからタルヴに来る途中で、私はベラナと出会いました。飼い主は彼女を大変可愛がっていましたが……。無理を言って譲ってもらいました。
片羽という障害を抱えても強く生きようとするこの子が、なんだか他人のように思えなくて」
「その話、私に何の関係があるの?」
「……エリーさん」
ベラナの髪を手櫛で梳かしていたグレースの手が止まる。
「ベラナは聖剣で翼をもらったんです。翼人として、空を飛ぶための翼を、アキラ様から。
私も同じです。光を失った私に、アキラ様は再び光を授けてくださった。私はイシュメイルのお陰でこうして旅もでき、かけがえのない仲間や友人とも出会うこともできました。エリーさんとだって……。
アキラ様は私たちにとって、希望なんです。光なんです。それを貴女は、エリーさんは私たちから奪うというのですか。
エリーさん、どうか……どうか、考え直してはもらえませんか」
グレースの顔は、覆面のせいでまったく見えない。それでも、いつもの挑発的で、斜に構えたような態度はその声色から消えていた。
どうやらグレースは本気で私を説得するつもりらしい。
「……希望、ね。バカ言わないで。
貴女たちに光を与えたのがあの聖剣の勇者なら、私の光――――シンディの未来を奪ったのも、あの聖剣の勇者なのよ。
その報いを、私は絶対に受けさせる。そう誓ったの」
「エリーさん。失った命は戻らないんです。
アキラ様を殺したところでシンディさんが蘇ったりはしませんし、私たちは永遠に光を失うことになる。貴女はいま、取り返しのつかないことをしようとしているんです」
「そうよ。失ったシンディの命は戻らない。
取り返しのつかないことをしたのは、聖剣の勇者サマのほう。私の逆鱗に触れて、のうのうと生きていられるとは思わないことね」
グレースの放つ雰囲気が変わる。
華奢な体の筋肉を強張らせ、今にも剣を抜きそうに気を研ぎ澄ましている。隣に座ったファルは耳を立たせ、膝を枕にしていたベラナがむくりと起き上がる。
「交渉、決裂ですね。やはりエリーさんとは刃を交えるしかないようです」
「ええ、私も同じ意見だわ」
私とグレース、立ち上がったのはほぼ同時。
背中のレーヴァテインに手をかけると、グレースも着けていた覆面を外して剣の姿に変える。お互い、隣に立っているファルとベラナも得物を抜いていた。
【虹】の聖剣の能力は未知数だけど。この近距離なら、おそらくベラナが弓を引く前に彼女を斬れる。ベラナを屠れば、あとはグレースと2対1だ。
イシュメイルは、視界の利かない暗闇や不可視の相手にこそ真価を発揮する。私のような力押しには弱い。
この勝負、この一瞬なら確実に勝てる。勝機を逃さないように、私は一歩踏み出しながらレーヴァテインを抜き放った。
―――その勝負、待った!
突然目の前に暗闇が広がって、私はそこに飲み込まれた。
最後に聞こえた声。あれはバイリン。
あの女狐、まさか私を裏切ってグレースに味方するつもりか!