#2
タルヴの港に現れたのは、私が今まで見たこともないような大型船だった。
最上甲板の広さは、スルヴェート城の大広間がすっぽり収まりそうなほど。横から見える階層は10以上、港に吹く風にも揺るがない巨体は、さながら動く城ってところ。
それでいて、巨体のわりにマストは少なくて帆は小さい。外洋船、といっても悪天候にも負けない代償として速度は度外視して建造されたもののようだ。
「ようこそ、海征城艦『ガーバイス』へ」
下ろされたタラップを登った先で、私とファル(例のごとくバイリンは姿がなくなっている)は見知った顔、否、見知った覆面に出迎えられた。
覆面の修道女、グレースは相変わらず口元を緩ませ、外洋船には場違いな修道服をはためかせて上部甲板で私を待ち構えていた。
「久しぶりね、グレース」
「ええ。ユズリハさんは本当に、惜しい人を亡くしました」
声のトーンこそ下がっているけれど、グレースの唯一見えている口元は半笑いで、とても仲間を喪って悲しんでいるようには見えない。
「でも、いずれこうなるだろうとは思っていました。セリアは野心の強い子でしたからね、いつかユズリハさんを手にかけるだろうと」
「グレース。そんな世話話をしに私に会いに来たのではないでしょう?」
「ふふ、せっかちですね相変わらず。
エリーさんの目的、それが復讐であることを私は知っています。アキラ様はエリーさんのご家族を惨殺した……だからエリーさんはアキラ様を恨んでいる。殺したいほどに。
でも、私はエリーさんが話の通じない怪物ではないことを知っています。だからこうして貴女に会って、話をするためにここへ来ました」
「回りくどいわね。早く本題に入ったらどうなの」
グレースは不敵な笑みを崩さない。
あの余裕はどこからくるのだろう。私が訝しんでいると、グレースはきっぱりと、さも当たり前のことを告げるように言った。
「エリーさん。復讐は今日、この場ですっぱり、諦めてください」
有無を言わさないグレースの口調に、返事は押し止められてしまった。
いくら聖剣といえども、イシュメイルではレーヴァテインの竜哮砲に対抗する術はない。真正面からぶつかれば、絶対に私が勝つ。
それが分からないグレースではないはずだ。その彼女が、こうも自信満々に私を挑発してくるということは。
何か策がある。
グレースには、私とこの場で戦闘になっても勝てる目算があるから、こんな態度なのだ。
「……『いやだ』と言ったら?」
「嫌でも従わざるをえなくなりますよ。
タルヴの街には新大陸へ渡れる船は一隻も残っていません。この意味がわかりますか、エリーさん?」
「今すぐ海路で新大陸へ渡るには、この船―――もっと言えば、この船を所有している貴女に頼るしかない。そう言いたいんでしょう?」
「ふふふ。話が早くて助かります」
疑問の一つは解決した。
グレースがタルヴの街で外洋船を買い占めたのは、タルヴの街からの海運を支配するためだ。それも利権のためじゃない――――おそらく、好ましくない人間たち、獣人を迫害するものや、新興国に干渉しようとするような国家の手のものを排除するため。
「タルヴの街から新大陸へ渡ることはできません。さらに、あと半年もすれば他の街からも渡航は不可能になる。この『ガーバイス』を旗艦とした艦隊が海洋封鎖をし、私たちの獣人の国、ヨータルを外敵から守る壁となるでしょう」
「大層な計画ね。でも、関係ないわ。
海を渡るのに、何も船に頼る必要はないもの」
「変身……いえ、竜の姿に戻って空を飛べば、ですね。でも、それを私が想定していないと思いますか?」
思えない。
グレースはそこまで愚かではない。それも、私が船がないと聞いて即空路を選ばず、躊躇した理由だ。
あのグレースが、飛んで新大陸へ侵入しようとする私を想定した対策を、何もしていないなんて考えにくい。絶対に何か策を講じている。その手の内を見ないうちから、無謀な突撃をしたくない。
口元を緩めるグレース。彼女が一言、「ベラナ」と呟くと。
どすっ。
私の足元、甲板に一本の光の矢が突き刺さった。
反射的に、矢が射られたであろう方に視線を向ける。不可識の速度で放たれた光の矢は、軌跡もまったく追えなかった。でも矢の突き刺さった角度から、それを放った者がどの方角にいるのかはなんとなく想像がつく。
私が目線を向けた先。甲板の向こう、船首から突き出したバウスプリットの先端。静かに揺れるその場所に、爪先を揃えて一人の少女が立っていた。
ゆるく全身を覆うように巻かれたケープのような服。左手には鳥の翼を模した装飾を備えた弓を持っている。それと同じ形状ものが、分割されて二対の翼となって背中から左に突き出していた。
ばさっ。
少女が背中の翼を広げる。翼を持った獣人――――翼人族。ただし、翼は右側だけ。片羽の翼人だった。
純白の衣装に身を包んでいると、まるで天から下りてきた天使のようだ。
「紹介します。彼女はベラナ・ブレンスティ。先日、アキラ様から【虹】の聖剣『ビフレスト』を授かった、獣人の聖剣使いです」
【虹】の聖剣――――名前からは分からないけれど、あの弓がおそらくそうだ。
魔力を練り上げて作られた光の矢。魔力を使えない獣人がそれを放てるとすれば、それは聖剣の力に他ならない。
「ベラナには『指示があるまで殺すな』と命じてあります。もしエリーさんが私の提案を受け入れて下されば、このまま船から下りて頂いて結構です。ベラナにもあなたを見逃すよう命令します。
ですがもし、武力に任せてここを突破しようというのなら……。耳の穴が一つ、増えることになるでしょうね」
あの矢の速度。ビフレストの放つ矢は、竜の目でも完璧に追うことは難しいだろう。
空から行けば、確実にあの矢に貫かれる。私は竜になればあんな矢の一発くらい大した怪我にもならないけど、ファルは別だ。乗せているファルを狙撃されたらひとたまりもない。グレースの自信はそこにある。
私が絶対に防ぐことができない矢が、常にファルに向けられている。いつでも、好きな時にグレースはファルを殺すことができる。私は、ファルを人質に取られているようなものだ。
「どうです、少しは私の話を聞いて下さる気になりましたか?」
「武器を突きつけながら、良く言うわ」
「エリーさんは、今のその仮の姿でも、私のことなんて一捻りで殺してしまえるでしょう?
だからこうしてようやく、同じ立場で話ができるというものです」
くるりと踵を返すグレース。彼女は私に「艦内を案内します」といって無防備な背中を見せた。
余裕の態度だ。ベラナがファルを狙っているから、私には手が出せないことを理解している。
拳を握ると、手が震えた。
どうすればいい。どうすれば――――。
グレースの提案をそのまま飲むのは不愉快だ。ここまで来て復讐を諦めるなんてできっこない。
では今すぐ聖剣を抜いてグレースを斬り殺すか。イシュメイルの能力は反響定位、彼女に死角はないといっていいから、奇襲なんて無理だ。それに、ベラナからファルを守りながらグレースと戦えるだろうか。