#8
私が目を覚ました部屋、窓の外に見えた光景に目を疑った。
活気のある街――――ラーヴァクがそこにあった。街路には露店が立ち並び、商人や冒険者らしき旅人たちがあっちへこっちへ、街路を抜けようとごった返している。既に日も落ちた夜なのに、喧騒は収まる様子がない。
「これは、一体……」
「こっちが本当のラーヴァクの街。おねーさんとトラ子ちゃんがおったんはウチの仙術で作った街だったんやよ」
つまり、私とファルが入り込んだのはバイリンが作った幻の街だったというのだ。現実のラーヴァクをまるっとコピーして、少し離れた位置に仙術で街を築き上げたんだと。しかし、住民含む生き物の再現は難しいらしく、出来上がった街は無人の廃墟となるそう。
耳を疑う。ラーヴァクに入ったとき、私は確かに宿に放置されていた本に触れた。読んで街の名の由来も知った。「触れる幻」だけでも不可思議なのに、本の中身まで再現するなんて。バイリンの「仙術」は超常の域に達している。彼女は本当にただの獣人なんだろうか?
私が疑いの目をバイリンに向けていると、ドアをノックする音がした。
「姉さん、入ってもいいかな」
オリヴィアだ。
私とファルが寝間着を整えて迎え入れると、オリヴィアは額に包帯を巻いた状態だった。
「怪我してるじゃない」
「心配いらないよ。エーギルの傷は治癒が遅くてね、まだ完治してないんだ」
包帯にはエルフ族謹製の治癒魔法陣が刻みこまれているそうで、アイリスがオリヴィアに施したものだそう。
「それよりリズ姉さん。新しいレーヴァテインの調子はどうかな。
大急ぎだったから素材が集まらなくてね、姉さんのツヴェルゲンシュタールを代わりに使ってみたんだけど」
「良かったの? ツヴェルゲンシュタールは貴方のお姉さんの形見なんじゃ?」
「いいんだよ。神代遺物の発する炎に耐えられる金属なんて、すぐに用意できるものじゃないから。
それに……それに、ボクはこれ以上大切な人を失うのはごめんだ。姉さんの形見は大事にしまっておくより、リズ姉さんの助けになればいいって思ったから」
「ありがとう、オリヴィア。大事にするわ」
私はオリヴィアに、セリアがオルガさんの殺害を自白したことを話した。オリヴィアは体を強張らせて私の話を聞いていたけれど、ファルが彼女を屠ったことを聞くと、肩からすぅと力が抜けた。
「そっか……セリアさんが姉さんを。セリアさんがいないんじゃ、ボクの旅はもう終わりだな。
今の気持ち、なんて言えばいいんだろうな。ボクはそれと気づかずに姉さんの仇と戦っていたんだね。でもボクはセリアさんには全然勝てなかった。
ボクの代わりに、リズ姉さんが仇を取ってくれた。『ありがとう』って、言うべきなのは分かってるんだけど……。
ごめん、リズ姉さん。どうしてもそういう気持ちにはなれない」
「いいのよ」
家族を殺された恨みを、自らの手で果たしたい。そう思ってしまうのは自然なことだ。オリヴィアが私たちに同行していたのはオルガさんを殺害した犯人を見つけるためだったし、「仇を討つ」ことについて考えている最中だった。
オリヴィアにとっては、獲物を前にどう狩るか考えている最中に、横から私にかっさらわれたようなものだ。仇を討つべきか悩んでいるうちに仇がいなくなってしまえば、結局討てなかったモヤモヤだけが残ってしまう。
「レーヴァテインのことはありがとう。でも、貴方はもう私たちに関わるべきじゃないわ」
「どうしてさ」
「私は天路アキラを抹殺するために七聖剣に近づき、懐に入り込むつもりだった。でもその計画が知られてしまった今、もう冒険者の真似事なんかできない。
七聖剣だって黙ってはいないはずよ。必ず刺客を送り込んでくる」
私の後ろで、バイリンはにひひと笑っていた。
「一緒にいたら、ボクにまで危険が及ぶって。そういいたいのかいリズ姉さん」
「ええ、そう。貴方は私に騙されたか脅されたかして、レーヴァテインを無理やり修理させられたことにしなさい。
反逆者に与したなんて知られたら、貴方の人生は破滅に向かうだけよ」
オリヴィアは黙っていた。
彼の着ている皮鎧はオルガさんの遺品だ。武骨で簡素。表面にはいくつもの傷が刻まれている。仲間を護る、戦士の鎧。刻まれた傷は、それだけの攻撃を受け止め、守ってきた勲章でもある。
最初にオリヴィアに会ったときはぶかぶかだった皮鎧。相変わらずサイズが合ってないけど、以前より裾の余りが小さくなっている気がする。
成長しているんだ。ドワーフであるオリヴィアは、精神の成長が他種族より明確に体に現れる。その成長は筋骨隆々の戦士への変化ではない。オリヴィアの指は細く長く、繊細な作業に適した手をしている。オリヴィアは鍛冶師になろうとしている。
だからこそ、彼は私と関わってはいけない。
これから一人前の鍛冶師として生きていくべきオリヴィアを、私の復讐に巻き込むわけにはいかない。
かつてオルガさんは幼いオリヴィアをドワーフの村に置いて天路アキラの旅に同行したという。その目的も、やはりオリヴィアに一人前の鍛冶師になってもらうために世界を救う旅に出たためだった。
「……同じだ」
沈黙を破ったのは、オリヴィアだった。
「同じだ。姉さんのときと。
姉さんはボクを村に置き去りにして勇者についていってしまった。本当に悲しくて、辛くて……リズ姉さん。あなたは置き去りにされた人がどれだけ寂しくなるか、考えたことはあるかい?」
「私の家族は、私とファルを置き去りにしてあの世へ行ってしまったわ」
「……それなら分かるだろ。もう関わるなって言われて、ハイ分かりましたって言えるわけないことくらい。
でもボクはもう、あの時みたいな何もできない、何も分からない子供じゃない。リズ姉さんに与することがどれだけ危険なことか、ボクなりに理解しているつもりだ。だからボクはリズ姉さんの言う通りにするよ」
「ありがとう、オリヴィア」
「でも約束してほしいんだ、リズ姉さん。
絶対に勝って。生きてまた、会いに来てほしい。あの砦で、姉さんが戻ってきてくれるのを待っているから」
「ええ、約束するわ」
オリヴィアと握手を交わす。
さっきまで見えなかったオリヴィアの手のひらはカサカサで、ところどころ火傷の痕もあった。きっと、私のために大急ぎでレーヴァテインを直してくれたんだ。
オリヴィアが託してくれたツヴェルゲンシュタール。私はその厚意に応えなければいけない。
堅く握った手に、私は誓った。勇者をこの手で殺す。そして――――。
私は、自分って大ウソつきだなと思った。




