#6
シンディ。
私のかわいい妹。
私なんかよりもずっと才能があって、イラウンス家を継ぐはずだった子。
「お姉ちゃん」
「シンディ、ごめんなさい。私は現実に帰らないといけないの。貴女のいない世界に」
「いやだよ、お姉ちゃん。だってここはお姉ちゃんの夢なんでしょ。お姉ちゃんがいなくなったら、わたしまたいなくなっちゃうんでしょ?」
「……っ」
握った手を離せない。今手を離したら、この無限の闇にシンディは消えてしまう。
二度と会えない。シンディと再会する幸せを、二度と味わうことはできない――――
気持ちが揺らぐと、世界は元に戻った。
私はまた焚き火の前に戻り、膝にシンディを載せていた。
「それでいいんだよ、お姉ちゃん。ずっと、ずぅーっと。一緒にいよ?」
「シンディ……」
「ここにいようよ。ここなら、お姉ちゃんの望みはなんでも叶うんだよ?」
「シンディ。それはダメなの。お姉ちゃんは貴女を殺した、あの聖剣の勇者を抹殺しなきゃならない」
「そんなの、お姉ちゃんがやる必要ないよ。それこそ、ファルにでもやらせればいいじゃん」
叶えたい夢は――――。耳元で声が響いた。
声の主を探したけれど、いつの間にかこの世界からいなくなっている。
「叶えたい夢は、他人任せにしちゃいけない」
それでも私の口を衝いて出てきたのは、ユズリハが言っていた言葉だ。彼女は私に七聖剣を託そうとし、それを諦めて自分で叶える決意をした。ユズリハの夢は、半ばにして絶たれてしまったけれど……。
彼女の生き様は、私の中に深く刻まれている。
「復讐は、自分で果たすわ。シンディを殺めた報いを、必ずアイツに受けさせる」
「わたしが『そんなことしないで』って言っても?」
「シンディ。私は貴女のために復讐するんじゃないの。
私が、私自身のためにするのよ。貴女を殺して篭手に加工したあの男を八つ裂きにしたい。アイツの手首を切り落として篭手を作ったら、どんな顔をするかしら。それが楽しみで復讐するの」
「お姉ちゃん……なんか怖いよ。
いつものお姉ちゃんじゃない。お姉ちゃんはもっと優しくて、あったかくて……そんな風に、怖い顔なんかしなかったよ?」
「復讐しない、優しい私なんて。それこそ優しくて甘いだけの虚構よ。
私はエリザベス・イラウンス。聖剣の勇者に家族を殺された赤竜の末裔。私の牙は、仇敵の骨を噛み砕くまで折れることはない」
「お姉ちゃんの分からず屋……っ!
こんなにわたしがお願いしてるのにぃっ!」
私の膝から起き上がり、竜人化したシンディが飛び上がる。
崩壊しはじめた世界。月をバックにして、空中からシンディが私を見下ろした。
「ここからは逃がさないよ、お姉ちゃん。どうしても出ていくっていうなら、わたしを倒していって」
「シンディと戦うのも私の願望なのかしら。
ううん、そうじゃないわね。だって貴女はシンディじゃない」
ゆっくりと、その場から立ち上がる。
声も匂いも、肌触りでさえもシンディにそっくりだけど。今目の前にいる赤竜の少女は、シンディじゃない。
私の記憶を頼りに練り上げられた、シンディの模造品に過ぎない。そしてそれを操っているのは。
「妹の姿を真似るなんて。許せないわね、バイリン!」
「言ったはずだよ、お姉ちゃん。『七経』は相手の望む幸せな夢を見せる。
それだけじゃない。わたしは夢の中で、お姉ちゃんが心の底から屈服している、絶対に勝てない相手になれるんだよ。
お姉ちゃん。一緒に、甘い夢に沈もう?」
杖を振るうシンディ。空中に現れた無数の火の玉が私目掛けて降ってくる。腕で弾いた火の玉が地面を抉り、吹き上げた砂ぼこりに覆われて私の視界は塞がれた。
翼を出して煙の渦から飛び出すと、シンディは次の火の玉を用意していた。巨大な、私をまるごと包めるほど大きな火球だ。
シンディは、ぶつぶつと何かを呟くように口を動かしている。体系化された詠唱とは違う、真理を操作する詠唱――――今この場で、シンディに化けたバイリンは間違いなく、竜族の力を振るっている。
ただの獣人には扱えるはずのない竜族の力を。
「シンディの姿を真似たところで!」
「わたしがニセモノだっていうなら、倒してみせてよっ!」
放たれる特大火球。避けきれずに私はそれに飲み込まれ、圧縮された光と熱の奔流に全身を曝された。
どっ。
吹き荒れるエネルギーが決壊し、爆裂する。
防御不可能な規模の巨大な爆発。私が竜でなかったら、粉々にされている威力だった。
燻る熱を纏ったまま、私は地面に落ちて転がる。
「わたしはね、この世界のすべてを支配できるんだ」
杖を振るうシンディの動きに合わせて、大地がうねった。今度は土系統の魔法か。
「お姉ちゃんが望むものならなんだって用意してあげる。トラ獣人と仲良しなかよししたいなら、いくらでも出してあげるよ」
地面から土の円柱がせり上がって、砕けた。
中から現れたのはファルだった。正確には、ファルを模した土人形だけど。
起き上がった私は、土人形のファルを拳で打ち砕く。
「こんなのはファルじゃない! 私が欲しいのは、本物のファルよ!」
「本物のファルですって? 所詮『わたし』の代わりにしてるだけのくせに」
「違うわ」
無数に生えてくる土柱、そこから現れる無数のファルを象った土人形。私はそれらを一体一体、拳で粉砕していった。
最後の一体は、爪を出して飛びかかってきた。回し蹴りで前腕もろともに上半身を粉々にすると、飛び散った爪の破片が私の額をかすって、横一文字の傷を作った。
「この夢の世界で気づいたことがある。
シンディ。貴女が生きている世界でも、私はやっぱりファルのことが気になって仕方ないのよ。
私は、あの子のことが好きなんだわ。今まではその気持ちを、妹代わりだからと思っていたけど……。たぶんそれだけじゃない。
あの子がいないこの世界にある私の幸せなんて、所詮私だけの幸せよ。今の私の夢は、ファルと一緒に叶えるの。バイリン。貴女にそれは叶えられない」
「そんなもの……!」
それからもう一つ、気づいたことがある。
バイリンの作った世界は、私の願望や記憶に基づいているのは間違いない。その完成度は、化けたシンディをずっと疑いも出来なかったことから明らかだ。
だけど、ここには私の記憶の中にあって、当然あるべきものが存在していない。それなら、この状況を打開する策は「それ」にあるはずだ。
「レーヴァテイン……!」
「それ」――――すなわち聖剣の名を呼んでみる。呼べば来るような代物ではないけれど。ここが私の夢の中なら、作り出すことだって出来るはずだ。
刃渡りは私の人間体時の身長ほどもある、巨大な鉄塊で作った無骨な刀身。
竜の怪力がなければ持ち上げることすらできない、とても武器とは呼べない代物。
神をも焼き尽くすと謳われた火を纏う神代遺物。
そして――――私とファルが見つけ出した、復讐を果たすための因。
詳細にその姿と質感を思い出しても、私の手にレーヴァテインは現れなかった。
ここは私の理想が叶う夢の世界ではなくなっている。もう既に、世界の主導権はバイリンに移っているのかもしれない。
「あはははは! 無駄無駄!
わたしが支配している夢の世界に、聖剣なんか出てくるわけないじゃん!」
「……今の言葉で、確信が持てたわ」
思わずこぼれた私の笑みとは対照的に、シンディに化けたバイリンの笑顔はひきつった。
「貴女はこの世界に聖剣が現れないようにしている。この世界に現れたユズリハは聖剣は持っていなかった。
しかもわざわざ現実の世界で『抜け出すのに聖剣はいらない』なんて言ってたのはどうしてかしら。
理由は簡単ね。貴女の言葉はただのブラフ。聖剣こそが、この世界を脱出するための鍵なんだわ」
天路アキラの暗殺を企ててから今に至るまで、バイリンは私のことをずっと見てきたと言った。
では、どうして今になってバイリンは私を襲撃したのか。天路アキラの抹殺を阻止したいなら、タイミングはいくらでもあったはずだ。
家族を殺されて、私とファルだけが生き残ってしまったあの夜。
ファルとの旅の果て、レーヴァテインを見つけたあの日。
ユズリハとの邂逅で、復讐計画が一気に現実のものとなったあの日。
なぜその時、バイリンは私の前に現れなかったのか。聖剣を持つ前の私は天路アキラにとって脅威ではないので襲撃の必要はないけれど、聖剣を持った私には七経の能力が通じなくなるんだとすれば説明がつく。
バイリンはずっと待っていたんだ。私がレーヴァテインを失う、今このタイミングを。
「ふふっ、それがどうしたっていうの?
聖剣のないお姉ちゃんなんか、わたしの敵じゃない。それが分かったところで、お姉ちゃんがわたしに勝てないってことは変わらないんだよ?」
「知らないの? 聖剣ってのは、ただの力じゃない……自分の望みを、叶えるための道具なのよ!」
どうしてそうしたのかは分からない。けれど、私はゆっくりと、虚空に手を伸ばした。
ある。ここに。私の聖剣が。レーヴァテインが。
形はない。気配も、遮蔽魔法のような偽装の痕跡も。根拠はないけれど、そこにあると信じられる。
記憶から作るんじゃない。存在している。ただ、それを掴むだけ――――
「なッ……⁉」
ぎゅっと握った手は柄を掴んでいた。
ずしりと肩に加わる、大剣の重み。私の手には、新たに生まれ変わったレーヴァテインが握られている。




