#2
★ ★ ★
「ねぇ、お姉ちゃん」
狭いベッドに三人で川の字になって寝転がると、シンディが囁くような声で話しかけてきた。
「いま、幸せ?」
幸せか、だなんて。そんなの、考えるまでもない。
「当たり前じゃない。幸せよ」
「よかったぁ」
冒険者としての生活。後ろ盾のない私たち三人パーティじゃ、受けられる依頼なんて大したことはない。だから、収入だって本当にギリギリで、今日も一人部屋に三人で寝る羽目になった。
それでも、ユズリハとシンディと共に旅をするのが楽しくないわけがなかった。これこそ、私が望んでいた生活。
ちょっと危険で、トラブルだらけ。でも、毎日が楽しい。知らない場所へ行き、知らないものと出会う。自分の見ている世界が、どんどん広がっていく。
「お姉ちゃん。わたしのいない間、どんな旅をしてたの?」
「そうね……。聖剣を探してたわ。ファルと一緒に」
「へぇ」
「【火】の聖剣『レーヴァテイン』……不滅の炎を生む神代遺物のひとつよ。私はシンディと違って、魔法で火を作れないから」
「でも今はわたしがいるよ?」
「そうね。今はシンディがいる」
寝返りをうって、シンディを抱き寄せる。
シンディのまだ華奢な体は、暖かくて柔らかい。薄紅色の髪、その隙間から顔を覗かせる、四本の小さな翡翠色の角。私はシンディの角が好きだった。
竜の魔力が宿った角は、時に宝石のような色合いを持つようになる。シンディの場合は夜空を緑色に染めたみたいに、翡翠色の奥にキラキラ光る星のような微結晶が浮いた色をしていた。
優しく、角にキスをすると。シンディはくすぐったそうに笑った。
竜の角は空気中の魔力の流れを感知し、また収集するための魔力器官だ。当然、血も感覚も通っている。
「お返しだぁーっ」
シンディが私の角に触れた。
ごつごつぐにゃぐにゃした、黒紫色の羚羊のような角はシンディのそれとは比べ物にもならない。魔族どころか、人間にも負けるくらい魔力が貧弱な私の角は、お世辞にも綺麗とはいえない。
「私の角、不細工でしょう」
「ん? そんなことないよ?」
私の角には感覚が通っていない。魔力器官が生まれつき働いていないからだ。シンディは面白そうにツンツン、人差し指でつついているけれど。私の角は押された感覚が頭に響くだけ。
「かっこよくて、強そうな角。お姉ちゃんにぴったり」
「そうかしら」
「そうだよ」
夜が更けていく。
幸せな夜。夢のような――――いや、これは夢だ。夢なんだ。
シンディはもう死んだ。
ユズリハも死んだ。
そしてファルがいない。
彼女たちがそばにいてくれるこの時間は、ただの夢。寝ている間にだけ見られる、ただの願望。これは現実じゃない。
現実じゃない。それなのに。
どうしてこうも、ここはあったかいんだろう……。
★ ★ ★
「リズさま」
ん……。
「リズさま、起きてください」
「……ファル」
重い瞼を開けると、ファルが私を覗き込んでいた。
「リズさま、お加減はいかがですか」
「いい朝だわ。最高の目覚めよ」
私の皮肉に、ファルは眉を寄せて心配そうな顔になった。
体を起こすと、背中からパラパラと砂が落ちる。
私とファルは宛もなく旅をし、いつの間にか見知らぬ土地へ来ていた。森はなくなり草木も減って、今は見渡す限りの荒れ地である。
私とファルはそんな荒れ地の一角、大きな岩の陰にテントを張っていた。テントといっても、道中の村で譲ってもらった古びた毛布を、枯れ木を折って作った即席の柱で支えて屋根にしただけの簡素なものだ。
スルヴェート城から逃げ出して何日経ったのだろうか――――。最近、夢に見る光景があまりに緻密で、二つの世界を行き来しているような気分になる。必然的に、私は日にちの感覚や昼夜の感覚を失いかけていた。
「リズさま。ファルは夜のうちにこの先の道を見て参りました。六半日ほど歩いたところに、街がございます。そこで少し休みましょう」
脇に体を入れて、ファルは私を無理やり立たせた。
「夜のうちにって……ファル、貴女は大丈夫なの?」
「このくらい、なんともありません。リズさまに比べたら」
簡素なテントを出ると、強い日差しが私とファルの背中を焼いた。
植生の少ない岩と砂ばかりの大地は、反射した太陽光で私とファルのお腹を焼こうとする。
テントを振り返ると、古びた毛布が作る日陰はいっそう濃くなっていた。あれ以上あの場所にいたら、夜まで動けなくなっていたかもしれない。
ファル。
ファル。
ファル……。
前を見ても、行く手に街なんて何も見えない。ただ、赤茶けた岩と砂が広がっているだけだ。
この先に街があるって。まさかあの向こうまで歩いたっていうの?
いったいどのくらいかけて……。想像すると頭が痛くなる。きっと、夜通し歩いたんだ。
ファルは夜通し歩いて、この先に街を見つけてくれた。夜の間、ずっと。私が幸せな夢に耽っている、その間に。
主失格だ。姉失格だ。
ファルが夜通し歩いて街を見つけている間、私はファルのいない世界を見て「幸せだ」なんて言っていたんだ。
なんでひどい主。なんてひどい姉。
こんなに尽くしてくれるファルのことを、私は――――
「ファル」
「はい、なんでしょう?」
「今さら、正体を隠すことに何の意味があるのかしら。
私が竜になってファルを乗せれば、きっともっと早く着くわ」
セリアのことだから、私が赤竜の生き残りで家族の仇を討とうとしていることも天路アキラには伝えているはずだ。だったら、今さら正体を隠しておく理由はない。
むしろ、道中で竜の姿を見せつけたほうが、追手を簡単に誘き出せるんじゃないか。
「ですが……良いのですか。リズさまが竜であることは、お伏せになったほうがよろしいのではありませんか。竜を狩る冒険者に命を狙われる可能性もありますし……冒険者になるリズさまの夢から、遠ざかってしまいませんか?」
「いいのよ。元より捨てた夢だもの。シンディを喪ったあの日に、ね」
ファルを振りほどき、私は瞼を閉じる。
セリアを殺害するために、私はファルに刃を振らせてしまった。その忠義に、私は報いなければならない。
私も夢を捨てなければ。それが姉として、主としての責務だ。
もはや叶わない夢。冒険者になって、世界を見聞しようという私の夢を。




