#1
ユズリハの死はエリザベスの精神に深い傷を残し、傷口から生まれる膿は心を蝕んでいく。
もしも、ユズリハが生きていたなら。
もしも、ユズリハと逃げ出す選択が出来ていたら。
もしも、シンディが殺されていなかったら――――ありもしない妄想が、エリザベスを捕らえて離さない。
しかし、復讐の旅は始まったばかりだ。七聖剣の追手、【伽】の聖剣使い、焙燐が二人に迫る。
★ ★ ★
スルヴェート城を出た幌馬車に揺られながら、私は遠ざかる城と湖を見つめていた。
不思議な気分。
ずっと、そのためだけに生きてきたはずなのに。それから解放されてみると、取るに足らないことだったみたいに思えてくる。
「これからどうしましょうか、エリーさん」
「どうしましょうって」
決まってるでしょ。私たちはただの冒険者になったんだから。街へ行って、依頼を探して、お金を稼いで。それから……どこへ行こうか。
神代遺物を探す旅、なんてのも悪くない。新大陸は前人未踏の地で、きっと新しい発見や冒険が待っているはずだ。
私は冒険者になったんだ。
元七聖剣第一席、ユズリハ・イェルマーと共に。
ユズリハと……共に?
馬車の向かいに腰掛けているユズリハ。ユズリハが、どうしてここに?
「どうしたんですか、エリーさん。顔が変ですよ?」
「そうかしら」
「はい。何か、幽霊でも見たみたいな顔じゃないですか」
幽霊。
死んだ人間――――そうだ。ユズリハは死んだはずだ。私は彼女が息を引き取るのを看取った。
身を乗りだし、ユズリハの投げ出された脚に触ってみる。
確かにユズリハはそこにいた。足はちゃんとついている。体温も感じるし、ふくらはぎの柔らかさも。
「と、突然どうしたんですかエリーさん。こんなお昼間から……ダメですよぅ」
「あ、うん、ごめんなさい。ちょっと……ちょっと、悪い夢でも見てたみたい」
恥ずかしそうにはにかむユズリハ。その腰には、いつもならそこにあるはずのミストルティンが無かった。
装飾も見事な、いつ見ても美しい細剣。そうか、確か墓標の代わりに突き刺して――――墓?
あれ? 誰のお墓だっけ……?
「……行き先は新大陸でいいかしら、ユズリハ」
「いいですね。最後にグレースに挨拶もしておかないとですし。
道中で仲間も募りましょう。魔法使いとか、あるいは治癒術師とか。いたらきっと助かりますよ」
「そうね」
自然と私は笑っていた。
最高の仲間と最高の冒険に出る。こんな幸せがあっていいのだろうか。
―――ひどいよ、おねえちゃん
どこからともなく声がした。
「わたしだって冒険行きたいのにーっ!」
腕に体温を感じる。山高帽を被った女の子が、私の腕に抱き着いていた。
そんな、まさか――――
「はいはーい。わたし、パーティの魔法使い枠に立候補しまーす」
えへへ、と笑うその少女の顔を、私は一時も忘れたことはない。
「……シンディ⁉」
臙脂色の山高帽とローブ、それにぐねぐね曲がったヘンテコな形状の杖を持って目の前に現れたのは、紛れもなくシンディだ。
死んだはずの、シンディだった。
「シンディ、どうして……?」
「えへへ。パパとママに黙ってこっそり抜け出してきちゃった♪ ねー、いいでしょお姉ちゃん。わたしも冒険に連れてってよー。
わたしね、こう見えて回復魔法も使えるようになったんだよ?」
シンディが手を空中でひらひら動かすと、その軌跡をなぞるように光の粒が溢れて空中を漂った。
詠唱を介しない、真理に直接干渉する竜族の魔法。威力は桁違いだけど、体系化された人間や魔族の使うそれとは違って、属性や効果を自由に変えることができない。だから、シンディが使えるのは火と風と水、その3つだけだったはず。
でも、今シンディの使っているのは間違いなく回復魔法だ。シンディの才能は、常識すら打ち破ってしまったようだ。
「これは頼もしいです! シンディさんが加わればどんな強敵にも負けませんね!」
「でしょでしょー。ねーねー、お姉ちゃーん。一緒に冒険、しようよー」
「ダメよ。シンディはイラウンス家の跡取りなんだから。新大陸なんて危ないところへは連れていけないもの」
「危ないことなんてないよ。わたしとお姉ちゃん、それからユズリハさんがいれば」
ぎゅっ、とシンディが私の腕を締め付ける。
「きっと楽しい冒険になるよ!」
シンディの才能は本物だ。魔術師としてシンディ以上の傑物はいないといっていい。
でも……。大事なイラウンス家の跡取りを、妹を危険な旅に連れまわしていいものだろうか。
シンディにもしものことがあったら、私は……。
「お姉ちゃんはわたしと一緒じゃ、嫌?」
「イヤ……なわけないじゃない。私はシンディのこと、大好きだもの」
「じゃあ決まりだね! よろしくね、お姉ちゃんっ!」
腕を締め付けるシンディ。
そうだ。全部夢だったんだ。シンディが殺されたのも、ユズリハが殺されたのも。全部悪い夢だったんだ。
これからは四人で旅をするんだ。私とユズリハ、それにシンディとファル――――ファル?
あれ?
ファルはどこにいったの?
幌馬車の中を見回す。向かいにはユズリハ。隣にはシンディ。御者はいない――――御者のいない馬車?
馬に据え付けられた手綱は不思議に空中に浮いていて、まるでそこに透明な御者が座っているかのようだ。
「ファルはどこ?」
私が聞いても、ユズリハもシンディもへらへら笑っているだけで答えなかった。
おかしい。
どうして二人が、ファルを無視しているんだろう。
ファルは、ファルは私の――――
★ ★ ★
―――……ま。
うん?
―――リズさま。
ファルの声が、遠くから聞こえる。
水の中にいるみたいに体がふわふわして、声はごうごう響いた。
「リズさま」
はっきり聞こえたファルの声に、重い瞼が開いた。
「……ファル」
「リズさま。大丈夫ですか」
私は苔むす倒木に背中を預けて腰を下ろしていた。
鬱蒼と繁る森の中では、知らない鳥の絶叫が遠くからケケケケと響く。
街道を避けて通っているせいか、今ここがどこなのかは分からない。
「うなされておいででしたが、何か悪い夢でもご覧になったのでしょうか」
「……水をもらえるかしら」
両手で碗を作ると、ファルはそこにドラウプニルから作った水を注いだ。私は少し飲んで喉を潤し、半分くらいをファルにも飲ませてやる。
これまでの旅みたいにコップのようなものは持ち合わせていない。スルヴェート城から逃げるように飛び出してきた私たちは、ファルのポーチに入った路銀の少しと、非常用の干し肉くらいしか持ち合わせていなかった。
「夢……そうね。夢、だったわ。ユズリハに会ったの、夢の中で」
「左様でございましたか」
「生きてたわ。私とユズリハは一緒に冒険者になって、それで……」
「リズさま」
夢の内容を思い出そうとすると、体がふわふわした感覚に襲われる。ファルが手の甲に重ねた手の体温で、私は体から抜け出しかけた魂を引き戻す。
「リズさま。ユズリハさまはお亡くなりになりました。リズさまが看取られたはずです」
「……ええ、そうね」
「お気を確かに。ユズリハさまがお亡くなりになって心中お察ししますが……。ご家族の仇を討つべきときだと仰ったのはリズさまです。今は夢想に耽るときではありません」
「ええ、ありがとう。ファル」
腕を広げると、ファルが抱きついてきた。
暖かい――――生きている、それだけの温もりじゃない。
ファルの心の熱さを感じる。私と共に、復讐を果たすという決意の炎が、ファルには宿っている。
獣人は人を殺せない。人を殺せるほど凶暴な獣人は排除されて、穏やかな特性を持った個体だけが選別されてきたから。
その獣人であるファルが、セリアの心臓を刺し貫いたのだ。ファルにとって、セリアを手にかけるということは私が持った殺意以上の深い意味を持つ。
ファルに殺人を犯させたのは私だ。私の唯一の家族のファルに、取り返しのつかない罪を犯させてしまった。ファルの行動に、決意に。私は絶対に報いなければいけない。
もはや、後戻りなんてできないのだから。




