Interlude
エリザベスがセリアを葬ったころ。遠く東国では、竜王討伐を終えた聖剣の勇者天路アキラが新たに建国された獣人の国へ向かうべく新大陸へ向かっていた。
彼に同行していた七聖剣、アスカとフィエルは東国領内に残り残党の討伐を任されるが、フィエルはセリアからの討伐完了の知らせがないことに不安を募らせるのだった。
東国、ファンレン共和国辺境の山岳地帯。
気温は低く、草木はまばら。森林限界を超えた高地の一角、フィエルは大岩に腰を下ろして己の得物である巨大な鎌――――【月】の聖剣「カリスト」の柄に耳を当てていた。
降り注ぐ月光がカリストの漆黒の刃に反射すると、まるで地上に新たな三日月が生まれたかのようである。
「フィエル」
フィエルの背後に設営されているテントから、サイドテールを揺らした少女――――天路アスカが這い出した。
アスカは「転移者」である。この世界ではない、別の世界からやってくるヒューマン族はそう呼ばれているのだ。たった一人で魔族数十人と渡り合う戦闘力を有する彼ら「転移者」の多分に漏れず、アスカも超常の能力をいくつも持っている。
他の転移者と違うところがあるとすれば、それはアスカが女性であることだ。転移者には男性が圧倒的に多い。
「まだ寝ないの、フィエル」
「返事、まだない。セリアの」
セリア・サルヴェイ。いけ好かない女。フィエルはセリアの顔を思い出し、眉間にシワを寄せた。
フィエルは魔族である。それもそこらにいる魔族とは「格」が違う――――聖剣の勇者に討たれた、魔王の実娘である。
そんな出自のせいか、セリアは度々フィエルに嫌がらせをしてきた。魚人族は家族想い仲間想いで繋がりを強く持つが、一方で執念深く陰湿だ。一度「敵」と認識されれば、こちらが折れるまで延々と攻撃してくる。
魔王軍は、セリアたちサルヴェイ家の魚人たちを軽んじていた。セリアにとっては、フィエルを虐めることが報復行為になっていたのかもしれない。
「何かあったのかなぁ」
「心配……」
新たな七聖剣のメンバー、アイリスの加入。そしてユズリハがアイリスと決闘をしていること。そこまではアスカも聞いていたはずだが、その後――――七聖剣第一席ユズリハ・イェルマーの死と、彼女がアキラを抹殺すべく一人の女冒険者、エリザベスをスルヴェート城に引き入れていたことは知らないはずだ。
昼、セリアはエリザベスの正体が勇者アキラに根絶やしにされたはずの赤竜の生き残りであること、本性を現しスルヴェート城で暴れているエリザベスをセリアが討伐することを連絡してきた。
ユズリハが死んだなんて何かの間違いだ――――フィエルはセリアの連絡を、ただの聞き間違いだろうと片付けていた。だがそれきり、半日もの間呼び掛けに応えないとなると、二人の身に何かが起きたのは間違いない。
「大丈夫だよ」
「やっぱり。早く、帰らないと」
大岩から立ち上がろうとしたフィエル。だが、肩をアスカに掴まれ、無理やり座らされた。
「大丈夫。大丈夫だから」
「でも」
「大丈夫だよ」
「もしかしたら」
「大丈夫だってば」
どちらかといえば魔術師タイプのフィエルは、魔族の中では力もさほど強くない。転移者のアスカには到底抵抗できるはずもない。
フィエルは大人しく、座っていることにした。
「大丈夫だって。心配いらないよ。きっと忙しくてユズ姉も返事できないだけだって。ユズ姉が音信不通になるのなんて、今さら珍しくもないじゃん」
「……アスカ」
フィエルは口を開いた。言おうとした。「ユズリハさんなら死んだよ」と。
しかし、喉元まで出かかったその言葉を、フィエルは吐き出すことが難しかった。
ユズリハ・イェルマー。実兄アキラを異常偏愛するアスカが、唯一認めている「義姉」。アスカはユズリハのことを本当の姉のように慕っている。
ユズリハの死は、アスカの心にどれほどの傷を与えるものだろうか――――それを思うと、フィエルは言うべき言葉をつい、飲み込んでしまう。
親族の死は、受け止めるのが難しい。それは血の繋がり、時間の繋がり、心の繋がりが深いほどに難しくなる。一人の人間の心に打ち込まれた「絆」という楔は、もういらないと迂闊に引き抜けば、出血は止められず死をもたらす創となる。
フィエルはそれをよく知っている。魔王であった父親の死は、フィエルにも深い悲しみを与えた。ロクに顔も合わせなかった相手ですらそうなのだから、アスカにとってのユズリハはそれ以上のはずだ。
「まだ引き摺ってるんだ、オルガさんのこと」
「…………」
「その話ならもうしたじゃん。オルガさんが殿を引き受けてくれなかったら、私たちも死んでた。あの場に三人ともいたら、全員死んでた」
「……アスカ」
「分かるよ。フィエルはあんなに苦しんでたもんね……オルガさんとは、フィエルが一番仲良しだったし。
私だって、オルガさんのことは大切な仲間だって思ってたよ。それでも、いつまでも悩んでちゃダメなんだよフィエル。時間は前にしか進まないんだ。過ぎたことを悔やむより、これからどうするかを決めようよ」
「これから……どうするか」
「そ。悩んだって悔やんだって、何か解決するわけじゃないんだから。解決しないことをいつまでも考えるなんて、時間の無駄だよ。ねっ!」
フィエルに笑いかけるアスカ。その笑顔は眩しい。
魔界生まれのフィエルが初めて「太陽」を見たのは、父である魔王が地上に拠点を作った後だった。魔界はいつでも暗く、分厚い雲に覆われている――――その向こうにあるとされる「太陽」を、フィエルは書物で読んで想像するしかなかった。
さぞ明るいのだろう。さぞ暖かいのだろう。さぞ優しいのだろう!
だが、実際にフィエルが見た地上の太陽はなんだかギラついていて、思っていたような希望の象徴ではなかった。
地上の太陽は別にあったのだ。転移者、天路アスカ。彼女こそ、フィエルにとっての太陽そのものだ。
人間界の植物は太陽光を浴びなければ生きられないという。その植物を食らう動物や魔物は、太陽が無ければ飢えてしまう。いわば、太陽の光は世界を照らす神の威光だ。
だとすれば、アスカの笑顔がフィエルにとっていかほどの価値があるのかを量ることは難しい。フィエルにとって、アスカの存在は世界のすべてを天秤にかけてもいいと思えるもの――――父を殺害したのはアスカが恋慕する兄、アキラである事実など、アスカが側にいてくれることと比べれば、些末なことだ。
「明日は残党狩りで忙しくなるんだから。早く寝よ寝よ」
「……うん」
笑顔を向けられると、フィエルはアスカに何も言えなくなってしまう。
月は太陽の光を浴びるのみ。どれだけ月が太陽の光を欲しても、それを独り占めするようなことは、起こりえないことだ。
月にできることは、ただひとつだけ。太陽の光が届かない暗闇に、灯りをともすだけ。
その光があまねく世界を照らすように、陰ることがないように。【月】はただ、側に寄り添うだけだ。




