#5
浮島の中央で対峙したユズリハとアイリスは、決闘の開始を静かに待っていた。
見合う二人の目線の間、少し距離を置いてセリアが立っている。決闘の審判でもするつもりだろうか。
「よく逃げませんでしたね、半血」
腕を組んだアイリスの挑発に、ユズリハは何も答えない。ただじっと、口を結んでアイリスをにらみつけている。
「覚えていますか。ルシアードで刃を交えたこと――――あの時は練習用の木剣でしたが、今日は真剣です。それも、私の得物はこの聖剣。
【砕】の聖剣『アリコーン』。アキラ様から頂いた、私の聖剣」
背負った槍を抜き放つアイリス。骨のような淡い黄白色をした直槍。【砕】の聖剣「アリコーン」は、振り回すとブオンと空気を斬る重い音を発したけれど、アイリスはそれを軽々と自在に操っている。
アリコーンは触れたあらゆるものを必ず破壊するという。その切っ先の前に、どんな堅牢な鎧も意味を為さない。一度切り結べば、聖剣ですらその刃を粉々に砕かれるという。
「……ユズリハさん、どうするつもりなんだろう」
隣に腰掛けたオリヴィアが呟く。
私はファルとオリヴィアと一緒に、浮島の観客席に座って決闘を見守っていた。観客席といっても、私たちのほかにはまばらに座っているのはスルヴェート城の使用人たちばかりだ。彼らの期待は、アイリスに注がれている――――誰も口には出さないけれど、何となくそれを感じる。
「いくらなんでも相手が悪いよ。アリコーンなんてボクだって相手にしたくないもん」
「そうね」
触れたものが必ず破壊されるのなら、遠距離から魔法で戦うしかないはずだけど。ユズリハは風魔法、それも初歩的なものしか使えない。ミストルティンの能力で魔力を増幅したとしても、致命打を与える威力にはできない。
「でも、勝つと信じるわ。約束したもの。ユズリハは、私に夢を叶えるチャンスをくれるって」
アイリスは相変わらずユズリハを挑発し続けていたけれど、ユズリハは黙ったまま、動かずじっとそれを聞いていた。
ユズリハが口を開いたのは、アイリスが槍を下段に真っすぐ構えて戦闘態勢に入った後だった。
「……アイリス。あの時のわたしは確かに弱かった。自分で何かを成し遂げられるなんて少しも思ってなくて」
ユズリハが腰に差したミストルティンの護拳を指でなぞる。
愛おしそうに。赤子をあやすように。
「アキラさんに聖剣を頂いてからもそう――――わたしはずっと弱かった。いつもみんなに守ってもらってばっかり。でも今日は、今日だけは違うの」
ミストルティンを抜き放つユズリハ。いつもの水平な突きの構えではない、垂直に刀身を立てた構え。
誓いを立てる、騎士の構えだ。
「わたしの強さを、勝利を信じてくれる人がいる。その人のためにも、負けられないの」
「気の持ちようなんかで、勝敗が決まるもんですか」
セリアの「始め」の合図とともに、アイリスは槍を構えてユズリハに吶喊した。
相手は触れたものを遍く破壊する【砕】の聖剣。ユズリハはどう戦うつもりなのか。
「《ARS ventus grad》」
ユズリハがなぞったミストルティンは護拳の翅が開き、刀身が淡い緑の光を纏う。
振るわれる細剣から風の刃が放たれた。傍目にも分かる。風の刃を飛ばす初歩的な攻撃魔法だけど、ミストルティンの特質で増幅された魔力と、それを振るうユズリハの研ぎ澄まされた技が、切れ味を格段に高めている。
「そんなものッ!」
風の刃を前に踏みとどまったアイリスが、アリコーンを横薙ぎに振るう。
その先端が描く軌跡をなぞるように現れる流水。空中で凍結されて固まったそれは、風の刃を防ぐ壁になった。
ユズリハの攻撃を防ぎ、役目を終えた氷は砕けて散らばる。
「攻撃魔法っていうのはね、こうするんですよッ」
意趣返し、とばかりにアイリスも振るった槍から風の刃を飛ばす。
速度も、切れ味もユズリハのそれより劣っている。だけど、大振りの槍から放たれる風の刃は大型で、ユズリハの放つ風の刃では相殺しきれない。まるで巨獣が蟻を蹴散らすかのように、ユズリハの風の刃をかき消しながらまっすぐ向かってきた。
なんとかアイリスの風の刃を跳んで逃れたユズリハだったけど、今度は追撃に水と氷の刃がユズリハに襲い掛かった。
水のほうはミストルティンで切り裂けたけど、氷のほうは砕けた氷の礫が無数の弾丸になりユズリハを襲った。
頬を切り、腕や足に赤い線を入れたユズリハが着地する。
「……リズ姉さん、あの人」
「ええ、詠唱が無かったわね。しかも三属性をあんなに連続して放つなんて」
普通、攻撃魔法を放つときには詠唱が必要だ。
人間、魔族や竜であっても、この世にある生き物である以上、世の理に反するような規模の魔法を放つことはできない。相応の威力を乗せた攻撃魔法を放つには超自然の存在から力を借りることになるんだけど、「彼ら」にも言語がある。
「彼ら」に語り掛けるには、「彼ら」の言語に合わせた決まった文法と単語で問いかけなければいけない。「彼ら」を強制的に従える竜の振るう魔法――――たとえば私の竜哮砲であっても、命令するための「言葉」、つまり詠唱はどうしても必要になる。
そんな詠唱を無視して直接魔法を行使できる存在は、この世にいないはずの生き物。この世の理の外にいる生き物。つまりは「転移者」だけだ。アイリスは天路アキラに魔法を習ったと言っていた。彼女が無詠唱で魔法を使えるのは、転移者の無詠唱魔法を模倣しているのに違いない。
詠唱が必要なければ、属性も複数を同時に扱える。風、水、氷の魔法を連続して放てるのは、そういう理屈だ。
「《ARS ventus――――」
「遅いッ!」
詠唱を始めたユズリハ。対するアイリスは槍を突き出し一気に距離を詰める。
繰り出される連続した突きを、ユズリハは何とか避けている。しかし一歩、また一歩と後ずさるユズリハは、次第に浮島の端まで追い詰められていった。
「貴女みたいなのが第一席なんて! 聞いて呆れますね!」
「アイリス……!」
「さあ! 意地なんか張らずに、降参したらどうですッ!」
降参を求める言葉とは裏腹に、アイリスはユズリハの急所を狙っている。狙いが分かりやすい分避けるのは簡単だけど、ユズリハが動きを止めたら、確実に刺し貫かれて殺されてしまう。
アイリスの横薙ぎをジャンプで避けたユズリハは、アイリスの頭上を飛び越えて背後から斬りかかるけど、アイリスが咄嗟に展開した魔法障壁にミストルティンは弾かれてしまった。
「弱い! 弱すぎる! その程度でこの私に勝てるとでも⁉」
「勝ちます!」
またも風の刃を飛ばすユズリハ。だけど、今度はさっきよりも打ち出す数が少ない。
アイリスはそれを防ぐことなく、左右に避けながら槍を携えてユズリハに向かっていった。
「アイリス、あなたを七聖剣に入れるわけにはいかない。わたしは七聖剣の一員として、明日の世界を作っていきたい。強さを振りかざして弱いものを虐げない、そんな平和で穏やかな世界を。
あなたの思想は、明日の世界に必要ない」
「弱いやつが! 吠えるなッ!」
「『グラムの雫』は、その人が望みを叶えるために最も必要な能力を備えた聖剣になる。
アイリス、あなたの聖剣は全てを破壊する【砕】の聖剣。あなたの本当の望みは、あらゆるものを破壊すること」
風の刃を飛ばすのを止めたユズリハが、ミストルティンを垂直に構える。
「その思想は、いつかすべてを滅ぼします。世界も、未来も、あなた自身も」
「それがどうしたッ!」
「だから勝ちます! ミストルティン! わたしの望みを叶えて!」
ミストルティンを高く掲げるユズリハ。その刀身から激しい気流が巻き起こり、瞬く間にそれが広がって、ユズリハを中心に嵐の渦が出来た。
【風】の聖剣。その名に恥じない突風が吹き荒れる。瞬く間に空は黒雲に覆われ、決闘会場は湖面を揺らした暴風で、ごうんごうんと重低音の唸りを上げた。範囲も風力も、ノネット姉妹のときとは比べ物にならない。
悲鳴が聞こえる。観客席の端っこで、使用人の何人かが湖に落ちたようだ。
「この嵐、ボクのフルクトバーレンよりすごいかも」
「ええ。でも」
でも。激しい嵐を起こしたところで、ユズリハがアイリスに不利を取っている状況は変わらない。島同士の繋ぎが切られてぐわんぐわんと波打つようになった決闘場の上で、槍を突き出すアイリスとそれを避けるユズリハの応酬は続いている。
暴風程度ではアイリスは倒せない。ユズリハはどんな策を用意しているんだろうか。
「この程度の風で! この私が怯むとでも!」
突き出されるアリコーン。それを後ろに避けたユズリハ。
でもユズリハが足を付くべき浮島は、もうそこにはなかった。端まで追い詰められたユズリハが、湖へと落ちていく。




