#1
スルヴェート城へ向かうエリザベスたち。道中、ファルシアはユズリハに剣術を習っている。
ユズリハは敵である。いずれ殺しあうことになる相手――――エリザベスは苦悩する。
たとえ偽りであっても。過ごした日々と、その時感じた気持ちは本物だ。
スルヴェート城までは馬車を乗り継いで、最短でも2か月かかるらしい。
その間は私とファル、そしてユズリハの三人の旅だった。ファルとの二人旅には慣れていたけれど、三人ともなるとそれなりに不便もあった。
ファルと二人だったころは道中の旅宿は一部屋で十分だった。一人用の粗末なベッドにぎゅうぎゅうになりながら、ファルと二人で寝たことだって一度や二度じゃない。
でも、三人は無理。というか、ユズリハと一緒に寝るとかありえないから。
食費も二人から三人になると単純に1.5倍かかる。おかげで私たちは各地でモンスター討伐依頼を受けたり旅商人の護衛を請け負ったり、路銀を稼ぐために幾度も寄り道をしなければならなくなった。
ほかにも変化はある。討伐モンスターも大方狩りつくして暇になった午後、私が木陰で寝転んでいると、近くでキンキンと金属の擦れる音がした。
少し離れたところで、ファルが練習用の安物細剣を手にユズリハに挑んでいる。ファルは師匠のユズリハが驚くほどのスピードで上達していて、二週間前まで利き腕の動きだけでファルの突きをあやしていたユズリハが、いまは全力で防御に徹しなければならないほどだ。
獣人らしい荒々しいパワーと柔軟な身のこなし。まだ維持できる時間は短いけれど、そこにドラウプニルの能力で作った流水の剣が加われば、ファルは他の七聖剣にも遅れは取らないだろう、とユズリハは太鼓判を押す。
「ファルも、リズさまの力になりたいんです」
その日の夜は久々の野宿。私は焚火をファルと囲みながら、ユズリハが眠りこけている間にファルの真意を聞いてみた。
「だから戦う訓練を?」
「はい。『戦線』に潜入したとき、ファルはアルにこれを預けてしまいました」ファルは腕輪――――【水】の聖剣「ドラウプニル」をさする。「ファルは戦えない、ファルは弱い、ファルには獣人たちは救えない……そう、自分で考えていたからです。
でも、失敗でした。ファルはあの男に操られてしまいました。あの時、ドラウプニルがちゃんと使えていれば……。ファルは自分を守り、獣人たちを救えたかもしれません。
ファルは強くならなければいけないんです。リズさまとともに、お館さまと奥さま、そしてシンディお嬢様の仇を討つと決めたのですから」
「そう」
木の枝でつつくと、焚火がパチパチ鳴いた。
なんだろう。モヤモヤする。
獣人の国へは行かず、私の復讐に付き合うこと。自分で戦う力をつけること。それはファルが自分で決めたことで、私は主として、姉として、ファルの意思を尊重しなければならない。
でも……。なんだろう、このモヤモヤは。
ファルに傷ついてほしくない? いや、そんな悩みはもう振り切ったはずだ。復讐を遂げよう、あの勇者アキラと戦おうというんだから、ファルが怪我をしたりすることだって当然考えられる。危険は承知の上だったはずだ。
じゃあどうして……?
「リズさま。ファルはまた新しい技を身に着けたのですよ」
「どんな技なの?」
ファルが左手を翳すと、空中に集まった水滴が真っすぐ伸び、細剣の形へ変化した。
これが流水の剣――――長さは短い。護拳の形状も装飾もミストルティンによく似ていて、ちょうど七割くらいの長さに縮小したような形だ。刀身はその名の通り流動する水でできていて、焚火を反射してきらきら煌いている。
ファルはそれを右手で掴み、軽く振り回して感覚を掴むと、焚火から枝を一本取って空中へ放り投げた。
星空を横切る火のついた枝。ファルがそれに剣を向けると、水で出来た刀身は伸縮自在の鞭のように動いて枝を粉砕した。
その間、ファルは一切動いていない。ドラウプニルによる水の操作も、めきめきと上達している。
「ユズリハさまから剣を教わり、刺突の極意を学びました。刀身を突き入れるときは――――」
「ありがとうファル。分かったわ、私のこのモヤモヤした気持ちの正体が」
焚火がパチンと嘶く。
ファルはユズリハに剣を習っている。私はそれが気に入らないんだ。
「ねぇファル。剣を習うなら、何もユズリハじゃなくてもいいんじゃないかしら」
だって敵だし。
ユズリハがあの勇者天路アキラの信奉者である七聖剣、それも第一席である以上、彼女との戦いは避けられない。いつか必ず、ユズリハは私たちの復讐に壁となって立ちはだかる。
そんな、いつか殺し合うことになる相手と知りながら師と仰ぐなんて珍妙な話は聞いたことがない。
「でもリズさま? リズさまの剣術は剣術じゃないですよね。力任せに大剣をぶん回してるだけで」
「何が悪いのよ」
「悪くはないです。レーヴァテインはそういう剣ですし。
ただ、リズさまの戦いかたでは隙が多すぎると思うのです。だから、ファルはそれをカバーする技を磨く方向で腕を伸ばそうかと。身近にいて、そういう技を一番盗めそうなのがユズリハさまだった。そういうことです。
それに、敵の手の内を知ることも大事ですから。いつかユズリハさまと戦うときにも、その癖や技を知っておくことは重要かと考えました」
驚いた。
ファルはファルなりに考えての行動だった。勝手にモヤモヤしていた自分が恥ずかしくなる。
「……わかったわ。ファルのやりたいようにやってみなさい。私としても、ファルが自分の意思でそう決めたのなら止めることはできないしね」
「ありがとうございます。では一つ、ファルのわがままを聞いていただいてもよろしいですか、リズさま」
「ええ、いいわよ」
ファルはすっと立ち上がると、焚火を回って私の隣に腰を下ろした。
寄りかかるように頭を肩に乗せてくるファル。ちょっと汗臭かったけど、なんだか昔の二人旅を思い出す匂いだった。
「撫でて、いただけませんか」
「撫でるの?」
「はい。昔みたいに」
ファルの頭を撫でてやる。
指が触れると、ファルのトラ耳がぶるんと震えた。屋敷にいたころは、これが楽しくてよくファルのことを撫でていたっけ。
あの頃はお父様もお母様も、まだ赤ん坊だったけどシンディもいた。イラウンス家の名誉も誇りもそこにあった。お父様と一緒に領地に出た魔物を追い払いに行ったり、お母様が領民に作ってあげていた魔法薬を調合するお手伝いをしたり。そんな穏やかな毎日が、ずっと続くと信じていた。
今はもうその全部が無くなって、私の手の中に残っているのはファルだけ。ファルだけは変わらず、私のそばにいてくれる――――
ファルがユズリハに剣を習っていることにモヤモヤしていたのは、何もユズリハが敵だからってだけじゃない。
私からファルが離れて行ってしまうような気がした。
どんなときも一緒だったファル。血も種族も、身分ですら違うファルとは本当の姉妹のように一緒に育った。そんなファルしか、今はもう私が縋れるものはない。
口ではファルの意思を尊重するとか言えるけれど、いざファルが私から離れていってしまったら。私はどうなるだろう。それがとても怖い。
いつまでも変わらないでね――――そんな残酷なことは、私には言えない。ファルにはファルの人生があって、いつか私の手元を離れるかもしれない……いや、離れるべきなんだ。
ファルには幸せになってほしい。私の復讐になんて付き合わずに、自分の人生を生きて欲しい。だけど、私はファルを手放したくない。もう私には、ファルしか残っていないのだから。そんな相反する気持ちが、ずっと私の中にある。
「昔はリズさまも、こうしてよくファルを誉めてくださいましたね。
ファルは昔から変わっていませんよ、リズさま。リズさまのことがずっとずっと大好きな、リズさまだけのファルシアです。
リズさま。リズさまはファルがユズリハさまと仲良くするの、嫌ですか?」
「……正直に言うわ。ええ、そうね。イヤよ」
「心がモゾモゾしますか?」
「モゾモゾって……。でも、そういわれたら確かに、そんな感じもするかもしれないわね」
「じゃあ、お揃いです」
「お揃い?」
「ファルもリズさまがユズリハさまと仲良くなっていくのを見てて、モゾモゾしていました。胸がキューっとなって、イライラして、むかむかして。
いつか受け入れなければならない時がくると思っていました。頭では分かっていたつもりなのですが。リズさまはイラウンス家のお方、身分の違うお方。いつかファルに向けて下さっていた愛情は、誰かのものになってしまうと。
リズさまは、いつまでもファルだけのリズさまではいては下さらないと」
「なによファル。そんなことを心配していたの?」
愛情って。私がユズリハに? ないない。
学も作法もなってないあんなハーフエルフに、愛情? 冗談でしょ。
そもそもユズリハは敵なんだから。
「大丈夫よ。私は変わらないわ。私はエリザベス・イラウンス。誇り高き赤竜イラウンス家の末裔で、あなたの主で、姉代わり。
ファルがそう思ってくれている限り、私とファルは姉妹なのよ」
「ありがとうございます、リズさま」
ファルの呼吸音、鼓動まで聞こえる。ゆったりと流れる、私たちの、私たちだけの時間――――
森の中からホウホウと響く鳥の声。夜は更けている。
気づくと、焚き火が弱まっていた。私は時間を忘れてファルを撫で続けていたらしい。いつからか、ファルはすぅすぅと寝息を立てていた。
いつまでも変わらない――――か。本当にそうだろうか。
私がイラウンス家の末裔であること、そして両親とシンディの仇を討つために旅をしていることは変わっていない。復讐したい気持ちが揺らいだことは、今まで一瞬たりともなかった。
ふと、揺らめく焚火の炎の向こうに目をやる。そこですやすやむにゃむにゃ、涎を垂らしながら寝ているのはユズリハだ。
ユズリハとの旅が退屈かといえばそれはノーになる。冒険者になりたかった私は、今のこの生活に充実感を覚えているのは確かだ。
七聖剣の第一席。聖剣の勇者天路アキラの信奉者。「世の中を平和にしたい」なんて綺麗事をほざく。教育を受けておらず、剣術は自己流。物腰は丁寧なのにどこか不遜。でも――――ファルを一個人として、尊重してくれている。
どんなときも落ち着いていて、私が迷ったときは決断してくれる。
自己流で粗削りだけど、実戦で鍛え上げた剣の腕は頼りになる。旅の仲間としては申し分ないどころか、これ以上はないとさえ思ってしまう。
「……なんで貴女が、七聖剣なのよ」
ふと、口を突いて出てしまった言葉。
ユズリハが七聖剣なんかじゃなかったら良かったのに――――そう思ってしまう自分が嫌になる。
いつまでも変わらない。本当にそうだろうか。
私はきっと、変わってしまった。復讐って目的が無ければ、私は友達になれるんじゃないかとさえ思ってしまっている。
敵である、いつか殺し合わなければならないユズリハと。




