#9
私がずかずかと城塞の中に入っても、テオドールは逃げるどころか立ち上がりもしなかった。
「リズさま……」
ファルが涙目になってこっちを見ている。
「私のファルを返して頂戴」
「貴女の……? ああ、この仔は貴女のところにいた仔ですか。いかがです、私にこの仔、売ってみませんか。
見たところ、この獣人はとても出来がいい」
テオドールがファルの頬を掴んで頭をぐいぐい、左右に揺さぶった。
「見た目もそうですが、躾もよくされている。産む子供は、さぞ高く売れるでしょう」
「お断りよ。ファルを手放すつもりはないわ」
「それがこの子の意思であってもですか?」
ファルの目の前で、テオドールが首から外したペンダントを揺らす。
揺れるペンダントから目を背けようとしたファルだけど間に合わず、ファルの目から光が消えてしまった。
ファルはぼんやりとしたまま、うわごとのように呟く。
「……ファルは、テオドールさまのものです……」
「ほらね」
「そのペンダントで洗脳しているのね」
テオドールが首からかけたペンダントは、大きな円から小さな円をくりぬいたような形の金属円盤だ。大きさは手のひらに乗せるには少し大きいくらい、よく見れば縁が研がれていて刃になっている。
怪しげに紫と緑の玉虫色の光を反射し、耳の奥、頭蓋骨に響くような微振動を発するそれは、まるで凶事の前に現れる、夜明けの彩雲――――現代では再現不可能な、「神の御業」としか言えない手法で作られた神代遺物。あれこそ【惑】の聖剣「ガンダルヴァ」だ。
「それを使って獣人たちを従わせているってわけ」
「いいえ? 彼らは自分の意思で私に従っているのです。いくらガンダルヴァの力があっても、これだけの人数の獣人を、同時に操ることなどできませんからね」
テオドールはペンダントを首にかけ直した。
「アル、あの女は殺しておけと命じたはずだ。今度こそ役目を果たせ」
「……仰せのままに」
―――ちょーっと待ったぁーっ!
私の背後、竜哮砲で開けた穴から、風が飛び込んできた。
細剣を突きに構え、誰よりも疾く、そして誰よりも真っすぐな【風】が。
突き出されるミストルティンの切っ先は、アルが空中にばら撒いた水滴に弾かれてテオドールには届かなかった。形勢不利と判断したユズリハが、後ろへ跳んで私の前に立つ。
「……これではっきりしましたね」
さらにもう一人。私の背後にグレースが立つ。
「テオドール・トゥルニル。『獣人解放戦線』の首魁。しかしその目的は、獣人たちの解放ではありません。
ずっと疑問でした……なぜ、『戦線』の首魁は獣人ではないのか。奴隷商人が、なぜそんな椅子に座っているのか」
グレースがテオドールの腰掛ける玉座を指差した。
「私は仮説を二つ立てました。一つは奴隷商人であるあなたが、獣人たちに情が沸いて地位向上を果たそうとしたというもの。でもそれは違うようですね。ファルさんがあなたに洗脳されているのがその証です。建前だけでもあなたが獣人の味方なら、主であるエリーさんに、ファルさんのそんな姿は見せないはずです。
だとしたら、もう一つの仮説を信じることになる。あなたは本当は獣人たちを解放するつもりなど全くなく、彼らを騙して『解放』の名のもとに集め、商品として売り捌こうとしている」
「騙しているなんて、人聞きの悪い」テオドールはグレースの推理を一笑に付した。「私は彼らとビジネスをしているのですよ。
奴隷商人の私の口添えがあれば、国も地方領主も、貴族の屋敷から市井の飲食店まで。あらゆるところに獣人をスパイとして送り込める。
獣人たちは自分たちの国を作るための下準備を円滑に進めることができ、私はその過程で資産を増やせる。これは獣人たちと私、双方にメリットのある『商売』なのです」
「……下準備、ですか」
再度、ユズリハがミストルティンを構えている。
「その下準備は、いつ終わるんです?
何がどうなったら、獣人の国は完成するんですか? 土地を持ったら? 国を潰そうとする敵を倒したら? あなたたちが夢に向かっている間に、獣人たちや人間、魔族たち、どれだけの血が流れるんでしょう。
ゴールが決まってないんじゃ、いつまでたってもたどり着けないじゃないですか。いつまでも、犠牲が出るばっかりじゃないですか。その、どこまでも無限に続く遠い遠い道を進む獣人たちを、あなたは私腹を肥やすために利用している。永遠に叶わない夢の絞り汁を、お金に変えようとしているんですよ。
断言しましょう。獣人の国なんて、永遠に作ることはできません。あなたのような、夢に向かう獣人たちを『くいもの』にする人がいる限り。そして――――この私、七聖剣第一席、ユズリハ・イェルマーがいる限り!」
ユズリハがテオドールに向かって突撃した。
空中にばら撒かれた水滴が、ユズリハに襲い掛かる。切り払ってそれを防いだユズリハだったけど、一部は防ぎきれずにユズリハに触れた。高速の水滴が頬を切り、赤い筋が現れる。
「アル、エルフ女は殺すな。あの赤いのは殺せ」
「御意」
アルの振るうナイフが、ユズリハの突きの勢いを殺した。ユズリハの繰り出す高速の連撃は視界に捉えることすら難しいのに、アルはそれを必要最小限の動きでいなしている。
反撃の隙がないという点ではユズリハが優勢だけど、ユズリハの神速の剣術だけじゃアルを倒すことは難しそうだ。
「エリーさん」グレースは私の後ろで覆面を外し、剣にして握っていた。「ユズリハさんに加勢して頂けますか」
「言われなくてもそのつもりよ」
「テオドールのほうは私がなんとかします。どうやらガンダルヴァは、視覚を介して相手を惑わすもののようです。それなら、私はもっとも相性がいい」
「気をつけなさい。ファルは迂闊な子じゃない。そのファルが洗脳されてるってことは、見た目以上にガンダルヴァは危険な代物ってことよ」
「あら、エリーさん私のこと心配して下さってる?」
「馬鹿なこと言わないで。貴女が洗脳されて三対一が二対二になったら困るってだけよ」
「うふふ」
なに笑ってんだこの女。
私はレーヴァテインを振りかぶって飛び出す。ユズリハの背後から、アルに向かって全力の打ち下ろしを繰り出すと、二人は左右に分かれて距離をとり、レーヴァテインの刀身は城塞の床に凹みを作った。
「危なッ! エリーさん! 私ごと斬ろうとしてませんでした!?」
「貴女なら避けるだろうって信じてたわ」
半分はウソ。
避けるだろうなと思ってたのはホントだけど、いっそユズリハごとアルを斬れれば「不慮の事故」にできるのに、ってちょっと考えてはいた。
「エリーさん、一緒にファルちゃんを取り戻しましょう!」
「いつになくやる気じゃない、ユズリハ」
「ええ。こんなことになった責任、取らないとですもんね。それに――――」
「それに?」
「『家族』と離ればなれになるなんて、嫌ですもんね!」
「……家族、か」
武器を構える私とユズリハを前にして、アルは構えを解いた。
彼はどうも、「家族」という言葉に過剰に反応している節がある。
「もしお前たちがオレを倒して『戦線』が無くなったら、仲間達はどうなる?」
「そりゃ、元の雇用主のところに戻るか、それか……」
言葉を濁すユズリハ。
だけど、言えなかった言葉は表情に現れている。ユズリハの顔には「殺処分」と書いてある――――「死刑」ではない。人権のない獣人たちは、裁きを受ける権利すらないから、主に歯向かう好戦的な獣人は「処分」されるだけだ。
主に歯向かう血気盛んな獣人は駆除され、穏やかで従順な獣人だけが残されて次の世代を作る。残酷なようだけど、そうして獣人たちは種を存続させてきた。だから今回も、おそらく同じことが起きる。
「オレの家族は獣人たちだ。ここにいるみんな……。今『戦線』にいる仲間と、これから仲間になる獣人たちだ。
それを守るためにオレは戦っている。『家族』の命と、自由と、居場所を守るために!」
「居場所ですって? 笑わせないでよ」
アルの放つ水滴が、私が盾にしたレーヴァテインに触れ、刀身の熱で蒸発する。
「アンタが作ろうとしているのは『獣人の国』なんかじゃない。獣人のための国、なんていって結局奴隷商人に支配されてるじゃない。
それじゃ結局何も変わらない。変えられないわ。そんな絶対に失敗する『建国ごっこ』にファルを巻き込まないで」
「黙れ……っ!」
ナイフを振りかぶって距離を詰めてくるアル。私がレーヴァテインを横薙ぎに振るうと、アルはそれを防ごうとナイフを当てて弾いた。
獣人は身体能力が高い。斬撃の速さや正確さで競えば、私でも勝てるかは怪しい。
でもレーヴァテインの絶対的な「重さ」はそれらを凌駕する。アルがどんなに戦闘センスに優れていようとも、レーヴァテインの一撃が彼を一太刀で絶命させうるものである限り、防がないという選択肢はない。
金属同士が震える鈍い音を立て、弾かれたレーヴァテインが床に突き刺さる。
大物は隙が大きい。レーヴァテインの次の一撃が来る前に追撃を加えようと、ナイフを構え直すアル。だが私のほうが、一瞬早かった。
床に刺さったレーヴァテインを軸足にして体を捻り、アルの脇腹に後ろ回し蹴りを叩きこむ。
両親から魔力がほとんど遺伝しなかった私。だけどその分、腕力や脚力は平均的な竜族よりずっと強い。そのパワーと自分が飛び込む勢いを乗せた蹴りを、無防備の腹に受けたアルの体は「く」の字にひしゃげて吹っ飛び、部屋の壁へと吹っ飛んで行った。
「……エリーさん」
声をかけられ、振り向く。
突き出される剣の切っ先を、咄嗟に竜人化させた左手で防ぐ。手の甲まで刺さったけれど、貫通はしなかった。
「グレース⁉」
「すみません……油断しちゃいました」
私の手に突き刺さっているのは、グレースの握るイシュメイルだった。
洗脳されたのだ。グレースの首には鎖を一周回したような痣が浮き、その背後、椅子の前に立ったテオドールがガンダルヴァを誇らしげに揺らしている。
へらへら笑うテオドールと並べて見ても、醜く切り刻まれた後で無理やりつなぎ直されているグレースの顔は、笑ってるんだか苦しんでるんだか分からない。
「少し考えれば、ガンダルヴァの危険にも気づけたはずなのに。視界は関係ないって」
もし視覚を介して相手を操る能力がガンダルヴァにあるのなら、最初に私がそれを見たときに操られていなければおかしい。つまり、ガンダルヴァが人を操るカラクリは視覚ではなく聴覚――――あの、耳の奥に響くような微振動だ。聴覚を視覚の代わりにしているグレースは、一番ガンダルヴァとの相性が悪い。
「この時を待っていたのですよ。【響】の聖剣『イシュメイル』、その使い手グレース・ガレン! 貴女がここへやってくるのをね!
貴女の特性は私のガンダルヴァと最も相性がいい! 操りやすい上に、貴女の聖剣があればガンダルヴァの能力を強化することもできる。お仲間を連れてきたのは予定にありませんでしたが……まあいいでしょう。アルとグレース、こっちは二人でそっちも二人。これで二対二です」
吹っ飛んでいったアルが戻ってきて、テオドールの横に立つ。
椅子の下でへたり込んでいるファルが、不安そうな顔で私を見ていた。三対一だったのが二対二。状況は悪くなった。
「さあ、投降してください。七聖剣にはまだ使い道がありますが……赤いのはなさそうですね。バラして売りましょうか」
「……ああ。オレもこの瞬間を、待っていた」
突然、ナイフを振るったアル。
その三日月のような斬撃が、テオドールの頸動脈を切り裂いた。




