#7
リュシーユ・オオクロアリの巣穴を進むのに、グレースの聖剣「イシュメイル」の能力は2つの点で大いに役立った。
そもそも、入り口を見ただけではそれが今も使われているモンスターの巣窟かどうか分からない。小さな反響音も逃さない【響】の聖剣のおかげで、私たちは森に入って半日で中にモンスターのいない、放棄された巣穴を発見できた。
さらに、明かりのない暗闇の中でもグレースは視界を失わない。光によらない、音の反射を利用した空間認識。反響定位は、こういうモンスターの巣を索敵したりと探索したりするのに役立つ。
私のほうは、視界は全く利かないけれど魔力や生命力の流れが見える竜の目のお陰で、グレースの後ろを歩くのには苦労しなかった。かくして先頭をグレース、それに私が続いて巣穴へ突入することになった。
何にも見えていないのはユズリハだけだった。最初は「風の流れを読めばいいんですよ」とドヤ顔をしていたけど、いざ入ってみると一分も進まないうちに巣穴の中は無風になり、視界を失ったユズリハの手を私が引いて歩く羽目になった。
「え、エリーさぁん?」
「何よ」
「手ぇ、放さないでくださいねぇ……?」
「分かってるわよ」
ユズリハが手をぎゅっと握ってくる。
こんなことになるとは思わなかった。直径が私たちの身長の3倍近いこの巣穴の壁からは、微かに可燃性のガスの匂いが染み出している。そのせいで、レーヴァテインの火を松明代わりに進むプランが使えなかった。引火して巣穴が爆発したら、私たちには逃げ場がない。
「妙ですね」
洞窟を前へ前へ進んでいくグレースが呟く。
「この洞窟、なんだかヘンです」
「……グレース、申し訳ないけど私たちには貴女の見えているものが見えないのよ」
「ああ、そうでした。すみません。
オオクロアリの生態は、人類が接触を避けてきたこともあり謎に包まれています。仮に彼らの巣が普通の蟻の生態をそのまま大きくしたものなら、巣穴の通路はたくさんの部屋に枝分かれした構造になっているはず。それなのに、この巣穴はまっすぐ一本道で、枝分かれしていない」
「分かるように説明して頂戴」
「理由はいくつか考えられます。オオクロアリの巣穴がもともと蟻とは異なる一直線である可能性。これはオオクロアリの巣ではない、何か別のものである可能性。そして、オオクロアリの巣を利用するにあたり、『獣人解放戦線』が道を整備した可能性」
「そんなのどうでもいいことだわ」
「はい。しかしもう一つの事実と組み合わせるといささか奇妙ではありませんか?
アルがエリーさんたちに『オオクロアリの巣を探せ』と言ったのは何故でしょうか。もしこの巣穴が道として『戦線』に整備されたものだったとしたなら、それをわざわざ教える理由がどこにあるのでしょう」
グレースはこっちが「考えを聞かせて」というのを待っている。誰がその手に乗るものか。
しばしの静寂。私たち三人の足音と、その反響音だけが暗闇に反響する。
私が頑なに黙っていると、自分の仮説を喋りたくてたまらないグレースのほうが先に折れた。
「……2つの仮説を立てました。一つはやはりこの巣穴は――――」
いいかけた言葉を、グレースが飲み込んで立ち止まる。私も彼女のただならぬ気配に足を止めた。視界がないユズリハは私の背中にドスンとぶつかる。
「痛っ。立ち止まるなら言ってくださいよエリーさん!」
「黙って」
ユズリハを引き寄せ、グレースと三人で円を作るように背中合わせに立つ。
気配がする。
この闇の中に、何かがいる。
生命力は見える。でも魔力はまるで見えない。
獣人だ。おそらく、「戦線」の。
「エリーさん、手、繋ぎ替えてもいいですか」
私はずっとユズリハの右手を握っていた。私が手を放すと、ユズリハは右手を引っ込めて左手で繋ぎ直した――――利き手を空けたのだ。暗闇に「敵」の気配を感じ、ユズリハは臨戦体勢を取った。だけど。
「……私の右手が塞がったままなんだけど」
「いいじゃないですか、どうせこの中じゃその聖剣は使えませんし」
ユズリハが剣を振るう前に、生命力が去っていく。
聖剣使いに恐れをなしたのかな?
「そうですよ。さっきからだんだんとガスの匂いも……あ、まずい!」
何かに気づいたグレースが慌てて叫ぶ。
「ユズリハさん! 風を起こしてください! 私たちの追い風になるように!」
「え、何で?」
「いいから早くッ」
ぶぉん、とユズリハのミストルティンが暗闇を切る。吹き始めたそよ風にグレースは「もっと強く!」と注文をつけた。
なぜユズリハは突風を起こさなければいけなかったのか。その理由はすぐに明らかになった。
どわぁ。
暗闇に慣れた視界に、閃光が雪崩れ込んでくる。
可燃性ガスに引火したのだ。激しい炎と熱の奔流が、洞窟の向こうから凄まじい勢いで迫ってくる。
「ユズリハ! もっと強く!」
「無茶言わないでくださいよ!」
ユズリハは刀身に魔法をかけて、より強い風を起こした。護拳の四枚翅も全部開いて、風は渦を巻いて竜巻になる。
ガスの流速が十分なら、炎が迫る速度は緩やかになる。今のうちに逃げようと、私とユズリハは炎に背中を向けたけど、グレースはそのまま、迫ってくる炎に対峙していた。
「グレース、逃げるわよ!」
「……いいえ、進みましょう」
「はぁ⁉」
「さっき近づいてきた敵は私たちに攻撃せず、壁を崩してガスの発生を早めただけのようです。その後ガスに火を点けて私たちを焼き殺す目的で。その敵が『戦線』の獣人であることは間違いないでしょう。
ですが2つ奇妙な点があります。一つは『なぜ暗闇の中で襲わなかったのか』。そして『なぜ火を使ったのか』。
暗闇の中で私たちを襲わなかったのは、私のイシュメイルが闇の中でも視界を失わないことを知っていて、それを恐れたからでしょう。暗闇でも近接戦では聖剣使いに勝てないと踏んだから火を点けた。確定プランだったのかいくつかあるプランの一つだったのかは分かりませんが、この攻撃は事前から準備されていたもの――――やはりこの巣穴は罠。私たちをこの場に誘き出し、焼き殺す罠だったのです」
「グレース、その話って今しなきゃダメかなぁ⁉」
「はい。この話は今しないといけません。私たちはこのまま、この道を進まなければいけませんから。でも、この火はどうにかしないとですね」
どうにかって?
火が存在するためには「可燃物・高温・酸素」が必要だ。だから火を消すときはそのいずれかを奪う。こういう洞窟の中では、放っておけば火は自然と消える。その場にある酸素は有限で、それが無くなると火は消えるからだ。でもそうなると、私たちも窒息してしまう。
この場にファルがいたら、水で火を消してもらうことができる。水は空気よりも比熱が大きくて、さらに液体の水が水蒸気になると蒸発熱で温度を下げられるからだ。でも当然この場にファルはいなくて、水は使えない。
となると、火を消す方法は一つしかない。可燃性ガスの発生が収まるまで風で高い流速を維持し続け、火に巻き込まれないように少しでも距離をとる。それしかないはずだ。
グレースが覆面を外す。どこからともなく生えてくる柄と刀身。エングレービングされた覆面が護拳を構成し、針のように細い刀身を持つ剣になった。
あれが【響】の聖剣「イシュメイル」の真の姿か。
「《ARS vibratio ventus》」
呪文を唱え、天を突くようにイシュメイルを掲げたグレースが、剣を大振りに振るう。
彼女の動きに追従するように、空気そのものが震えている。その振動は炎の形を歪め、弱めていく。ものの数秒のうちに、迫ってきていた炎の奔流はその勢いを弱め、巣穴の壁面でくすぶる小さな火が残るだけになった。
こんなことができるなら、ユズリハに風を起こさせずに最初から自分で消火すればいいのに。
「さあ、これで続きができますね。
拠点と何の関係もない場所に罠を張って待ち構えておくのは非効率です。罠があるということは、すなわち彼らの踏み入って欲しくない場所に近づいているということでもある。
そしてここは単なる通路であって、行く道の先には出口がある。この巣穴が袋小路だったなら、火を使った罠はリスクが大きすぎる。奥に自分たちも控えているようでは、自分たちも焼け死んだり、酸欠に見舞われることになってしまいますからね。
暗闇で襲わなかったのは無用な犠牲を出さないため。火を使ったのは直接戦闘を仕掛けることなく私たちを倒すため。相手は私たちが洞窟を突破することを恐れている。恐れつつも、私たちが突破してくる可能性を捨ててはいない。
ならば、そのご期待に答えなければ失礼というものです。私たちは、この道を進むべきなんですよ」
「「おぉー」」
イシュメイルを覆面に戻して被ったグレースの推理に、私とユズリハは拍手を贈った。
「それでは早速……ん?」
洞窟の天井を見上げるグレース。釣られて私も見上げると、砂ぼこりがぱらぱら降ってきて頬に当たった。
「あ……」
「どうしたのグレース?」
「どうやら私の起こした振動が、強すぎたみたいですね」
「は?」
ごごごご。地響きがした。
「この巣穴、崩れます☆」
「「おばかーッ!」」
てへぺろ☆じゃないんだよ! 「☆」なんか付けてる場合じゃないでしょうが!
私はグレースの腰を掴んでひょいと持ち上げて担ぎ、ユズリハと並んで走り出した。
巣穴は崩壊を始めた。岩の降ってくる中をすり抜けながら進むのは苦労したけど、何とか反対側の出口まで走り抜け、脱出することができた。




