#6
アルの左手から放たれる水流の蛇が、自在にしなってユズリハの喉を搔き切ろうと襲ってくる。
私はユズリハの襟首を掴んで引き寄せ、後ろへ跳んで距離をとった。水流の鞭は虚空を切り、空中へ霧散する。
「どうしてアンタがそれを持っているの?」
アルは答えない。代わりに、さっきと同じ水の針を飛ばしてくる。
私はレーヴァテインを抜き、水の針を打ち払った。赤熱した刀身に触れると、水はジュッと無機質な音を立てて一瞬のうちに蒸発して消えていく。
「私のファルをどうしたの!」
「……お前の、じゃない」
アルはようやく言葉を発した。
小さく、ぼそぼそと。抑揚の少ない低い声。標準語には違いないけど、北国訛りがある。
「あの子は獣人だ。我々の同志だ」
「まさか……!」
ファルが裏切った。戦線に入った。
その予兆がないわけじゃなかった。ファルは戦線の活動に肯定的だったし、潜入したいと強く言ってきたのはファルのほうだった。
今朝から感じていた、妙な胸騒ぎの正体はこれか――――合点はいったけど、それで気持ちまで片付くわけじゃない。心が揺さぶられて、眩暈がした。
「……ふざけないで。ファルはそんな子じゃない。私を、裏切るようなことっ……!」
「ニンゲンはみなそういう。獣人がニンゲンを裏切るはずがない――――だって、そういうふうに作られているから。その無自覚な差別が、獣人を苦しめてきた。
お前も胸に手を当てて考えてみろ。少しでもあの子の幸せを願ったことがあったか?
自分の幸せのために、あの子を利用しないことがあったか?」
「うっ、それは……」
何も言えない。
ファルを私の、極めて個人的な満足のための復讐に付き合わせている。それは否定しようのない事実。
不安になって、これまで何度も自問したし、ファルに直接聞いたこともある。ファルには別の生き方もある。それでも、私に付いてきてくれるか――――と。その度にファルは私を選んでくれた。
でも、それは本当にファルの本心だったのだろうか。
獣人として、主人である私に尽くすことが最優先であると教育されていたから、そうしてくれていただけなのではないか。
本当は私のことなんか捨てて、自由に生きたかったのではないか――――
膝がぐらぐらして、立っていられなくなった。
私はその場に膝をついてしまった。
「エリーさん!」ユズリハが私の前に割って入ってきた。「あんなヤツの言うこと、聞いちゃだめです!」
「ユズリハ……」
「忘れたんですか。『戦線』の首魁、テオドールの持っている聖剣。ガンダルヴァには、人を自在に操る力がある」
ガンダルヴァの名前を聞いた瞬間、アルの眉間に皺が寄った。
「きっとそのせいです。ファルちゃんは、ガンダルヴァで操られたんだ。
そんなの許せません! ファルちゃんを返してください! ファルちゃんはエリーさんの大切な、大切な家族なんですよ!」
「……家族」舌先で転がすように、不敵に笑いながらアルはその言葉を弄ぶ。「家族だと?」
「はい! そうですよね、エリーさん!」
「ええ、そう」膝に力を入れて、私は無理矢理に立ち上がった。「あの子は私の妹よ。かけがえのない、たった一人の、ね」
「ニンゲンはみなそういう。獣人は家族だ。仲間だ。そういいながら、獣人を酷使している。
このリュシーユの村を見てみろ。獣人がいなくなったら、めっきり寂れてしまったじゃないか。獣人をあてにして、その労働力の上にあぐらをかいていたのがお前たちニンゲンだ。だからオレたちは獣人の国を作る。獣人の、獣人による、獣人のための国だ」
「……知らないわよ、そんなの」
レーヴァテインの切っ先をアルに向ける。
私の昂りに応えるように、レーヴァテインは激しい炎の奔流を纏いだした。
「ファルを返して。私の家族を奪うものは、絶対に許さない。地獄の果てまででも追い詰めて、必ずこのレーヴァテインで灰にしてやる」
「……お前の元を離れるのが、あの子の意思であってもか」
「ファルの口から直接聞いた言葉しか、私は信じない。もしファルが本心から『戦線』に加わりたいというのなら……私も諦めるわ」
「エリーさんっ⁉」ユズリハは驚いたみたいだった。
「当たり前でしょう。妹の背中を押してあげられないなんて姉失格だわ。でももし、聖剣の力で無理やりファルを従わせているのなら――――今日があなたたちの命日になる」
「……いいだろう」
アルは突然私たちに背を向けた。
「ならばリュシーユ・オオクロアリの巣穴を探せ。ファルシアは無事だ。オレたちのアジトにいる。これ以上は話せない」
歩き出すアル。私はそれを追いかけようとしたが、今度はユズリハに肩を捕まれてしまった。
「待て! 逃げるな!」
「待ってくださいエリーさん、今グレースから緊急連絡が」
「何よ!」
「村の反対側で襲撃があって、住民に犠牲者が出たそうです」
☆ ☆ ☆
陽動だった。
アルが私とユズリハを引き付けているうちに『戦線』の別動隊が村を襲う。シンプルで何の捻りもないけれど、無視するわけにもいかない効果的な戦術。埋葬を終え、簡素に立てた墓標に祈りを捧げながら。なんとか応戦をしたけれど、一人では対処しきれなかったとグレースは呟いた。
「もはや四の五の言ってはいられません。多少の被害を出してでも『獣人解放戦線』は早急に排除しなければいけません」
これまでグレースは「戦線」の構成員となった獣人たちを取り戻したいと考えていた。理由は寂れてしまったリュシーユを見れば明らかだ。今のリュシーユは、獣人たちに支えられている――――アルの言葉を借りるなら、彼らの労働力の上に「あぐらをかいている」。きっとそれはこの村の話だけじゃない。いまの社会全体が、獣人の労働力の上に成り立っている。
村を直接襲撃し死者も出てしまった今となっては、構成員がリュシーユに戻ってきても受け入れられることはないだろう。村人たちに、「戦線」の元構成員は人殺しのように映るはずだ。
「リュシーユ・オオクロアリですか」
私とユズリハがアルと遭遇したことを話すと、グレースは顎に手を当てて考え込み始めた。
「グレース、何か心当たりがあるの?」
「リュシーユ・オオクロアリはこの村近くの山に群落を作っている大型群棲モンスターです。積極的に人間を襲うことはありませんが、彼らは特殊な情報伝達様式を持っていて、1個体を傷つけると群れの全てにそれが伝わり敵と見なされ襲われるようになると聞きます。ゆえに駆除は難しく、リュシーユでは彼らに手を出さず、不干渉の距離を保つことが第一とされています。
『戦線』はそのオオクロアリの放棄された巣穴を展開に使っているという噂があったのですが、もしかすると本当なのかもしれませんね」
「アルがウソを言っている可能性は?」
「ゼロではないですね。ファルシアさんを仲間に引き入れたいのなら、主であるエリーさんの存在は邪魔なはずです。焚きつけてモンスターと戦わせ、自滅させる。そういうプランなのかも」
「なんでもいいわ」
ユズリハとグレースに背を向けて歩き出す。
これが罠かどうかなんて、どうでもいい。私が今やるべきことは、ファルの真意を確かめることだ。そのためには「獣人解放戦線」の根城に乗り込む必要がある。
アルの罠だったとしても。手がかりが「巣穴」しかないのだから、飛び込んでみるしかない。
「待ってくださいよエリーさん、私も行きますって」
ユズリハが走って追いかけてきた。
「ファルちゃんに『戦線』に潜入するように言ったのは私ですから。責任、取らないと」
「勝手にしなさい」
「私も行きますよ」グレースも小走りに追いかけてきた。「リュシーユ・オオクロアリの巣穴を進むなら、私のイシュメイルが役に立つはずです」
「勝手にしなさい。貴女が死にかけても私は一切助けないから」
「ふふっ、舐めてもらっては困ります。これでも私、七聖剣の第四席なんですよ?」
こうして私とユズリハ、そしてグレースの即席パーティが出来た。
目指すは「獣人解放戦線」のアジト。ファルが待っている場所――――いや、一番ファルに待っていて欲しいのは私だ。
まだファルを手放したくない。彼女の手を放せない、私のほうだ。




