#5
リュシーユの市街は寂れた印象だった。
交通の結節にあるイフェルスほど栄えていないのは仕方ないにしても、あまりにも人通りが少ない。空が淀んでいると、閑散とした市場は余計にみすぼらしく見えた。
「エリーさんなんか怒ってます?」
「いいえ」
「いやー怒ってるなー。その顔は絶対怒ってる」
「そう見えるならいちいち話し掛けないで欲しいわ」
イライラする。グレースに正体を看破された上に、復讐なんかやめろと諭されてしまった。
今さら穏やかに生きることなんてできるはずがない。シンディの命を奪った報いを受けさせる。私はそう誓ったんだ。
「……グレースと何話してたんです?」
「!!」
道の真ん中で、思わず立ち止まってしまった。
なぜ知っている? もしかして話が聞こえてた……?
「やっぱ何か話してたんですね、時計塔で」
「聞いてたの」
「まさか。そんなにエリーさんがオドオドする理由があるとしたら、きっとグレースに何か言われたからだろうって思っただけで」
「そんなにオドオドしてるかしら、私」
「ええ、すっごく」
立ち止まった私を置いて、ユズリハはすたすた歩いていってしまう。
「何してるんですエリーさん。行きますよ」
「ユズリハ」彼女の背中を呼び止める。「聞かないの、どんな話をしていたのか」
「聞いて欲しいんですか?」
「いいえ」
「じゃあ聞きません」ユズリハはまた歩き始めた。「エリーさんだって、話したくないことくらいあるでしょ」
「……は?」
「グレースのこと、許してあげてください。あの子、人の過去とか秘密とか、そういう隠し事をほじくるのが好きな子なんですよ。
アキラさんにイシュメイルをもらうまで外に出ることもできなくて、ずっと修道院の懺悔室で人の話を聞くだけの生活だったそうなんです。だから人のこと知りたがるし、アドバイスしたがる。職業柄というか、染み付いちゃってるんですよね。
そういうのが役に立つときもあります。悩んでることとか、困ってることとか。グレースに相談すると親身になって聞いてくれるし。アキラさんに会いたいって子が来て、グレースが彼女を暗殺者だと見抜いたこともありました」
「……なるほどね」
ユズリハの背中を追いかけて歩調を早める。
「グレースに私を引き会わせたのはそれが目的ね。私が天路アキラに近づきたい理由が、本当に番の相手を求めてなのかどうか、確かめたかったってわけ。私を暗殺者か何かじゃないかと疑ってたのね」
「いえ、そんなことはないですが」
顔を背けるユズリハ。
分かりやすい。ユズリハは嘘をついている。
「ウソが下手ね、ユズリハ」
「はは……バレちゃいますか。でも、エリーさんだってウソついてるじゃないですか。『アキラさんと結婚したい』だなんて。
ファルちゃんとあんなに仲良しで。恋人が欲しい人にはとても見えないですよ」
「そうかしら」
「そうですよ」
私とユズリハは自分も真意を隠しながら、お互い真意を探ろうとしている。ユズリハは私が天路アキラに近づこうとする理由を知りたがっているし、私はユズリハが私の真の目的に気づいているのかどうかを探っている。
水面下で鎬を削りあう。こうして一緒に歩いていても、やっぱりユズリハと私はいずれ殺しあうことになる仇同士なのだ。
私とユズリハは少し歩いて、村外れにある軽食屋に入った。店内は以前ユズリハが働いていたイフェルスのそれよりもいっそう古ぼけていて、店内はホコリとカビとお酒がほのかに混ざった、不快な臭いが立ち込めている。
広めの店内にも関わらずお客は少なかった。カウンターには酔って寝てしまったのか、客が一人突っ伏している。
「二人分。銅貨3枚で」
ユズリハが私たちの着いたテーブルに現れた店主に注文すると、店主はひどく訛った言葉で答えて裏手へ消えた。
「ファルちゃん、上手くやってますかねぇ」
「貴女の計画でしょ。もし失敗したら貴女の責任だから」
ファルには前からずっと助けられてきた。
いてくれるだけで気持ちが安らぐ――――そういうのもあるけど。ファルは獣人という立場を使って、いろんなところへ潜り込み、情報を集めてきてくれる。武装組織に潜入してもらったことも、今までなかったわけじゃない。
多少の危険は慣れている。そう思っていたけれど、なんだか今日はいつもより落ち着かなかった。
しばらくして、注文した料理がやってきた。
雑に切ったパンと小豆色のペースト。顔を近づけてみると、ほのかに血の臭いがした。
「レバーペーストですね」
「……おいしいの?」
「さぁ?」
パンにペーストを乗せて、ユズリハと同時に頬張る。
口の中に広がる、強烈なニンニク臭さと雑な鉄の味――――吐くほどではないけど、銅貨3枚なら納得の味。予算内に収める腕、店主はなかなかいい仕事をする。
ユズリハは一口頬張ったまま固まっている。もう一口を食べるかどうか、迷っているみたいだ。
「……エリーさん。そういえば私エルフなんですよ。だから内臓系とかちょっと苦手で」
「エルフなのは体の半分でしょ。食べなさい」
「エリーさんってお嬢様なんでしょう? 庶民の食べ物とか珍しいんじゃないですか?」
「ウソが下手ね、ユズリハ。顔に『不味い』って書いてあるわ」
向こうのカウンターから突き刺さる店主の視線を感じた。
そりゃ、出した料理に「不味い」なんてケチをつけられれば、眉間に皺も寄る。
「わわっ、なんてこと言うんですかエリーさん! おいしい、おいしいですよ~?」
「じゃあ食べなさいよ。貴女が全部」
「ぜ、全部⁉ そ、それはちょっと……」
「冗談よ。一緒に食べましょ」
ユズリハと顔を見合せ、鼻をつまみながら。いっせーの、でパンに載せた山盛りのレバーペーストにかぶりつく。
「……!」
「えふッ!」
ユズリハは噎せた。
ファルがいないと水も出せない。やれやれ、と私は席を立ち、ユズリハの背中を擦ってやった。
そのまま、窒息死させてしまえばいいのに。頭の中で声がした。ユズリハは敵だろう。脅威を排除できる絶好の機会ではないか。
ううん、まだ。今じゃない。内なる声に答える。
まだ、勇者アキラを抹殺できる間合いに近づくまでは。警戒させないためにも、ユズリハとの友達ごっこは、もうちょっと続けたほうがいい――――
☆ ☆ ☆
肌に突き刺さるような殺気を感じたのは、レバーペーストをきっちり半分ずつお互いのお腹に押し込めたユズリハと私が、店を出たときだった。
「ユズリハ」
「はい。何か……いますね」
匂いは風に乗って運ばれる。でも殺気はそうじゃない。肌にぴりぴりくる緊張感――――風下のほうから、獲物を狙う肉食獣のような視線を感じる。丁寧なことに、私たちを狙った襲撃者は風下に潜んでいた。
人間の暗殺者は風向きを気にしない。標的がヒューマン族だったとしたら、ヒューマン族が匂いに敏感な可能性はほぼないから。
だから、風下から襲ってくるのは亜人種、特に獣人の襲撃者によくみられる特徴だ。彼らは標的が匂いに鈍感だと頭では分かっていても、動物的本能が風下からの接近以外許さない。
ユズリハはミストルティンを抜いていた。私もレーヴァテインの柄に手をかける、その瞬間だった。
ばすっ。
殺気のベールを切り裂いて、針のように細く長い物体が数本、風下から飛んできた。
ユズリハはそれを剣で切り払い、私は裏拳で打ち払う。襲撃を察知できていれば、対処するのは難しくはない。でも、私は弾いた瞬間にその物体の正体に気づき、頭が真っ白になった。
水だ。
水を細い針のようにして飛ばしたもの。そんなことを可能にする方法を、私は一つしか知らない。
「エリーさんっ!」
とびかかってくる襲撃者。
ナイフを振り下ろすのは、昨日のあの獣人の男、アルだ。動けない私に向けられた刃を、ユズリハが間に入って剣で受け止める。
数回、ユズリハと刃を交えた後ひゅるりと身を翻して距離をとるアル。追撃を加えようと剣を引き突きの構えになったユズリハに、アルはナイフを持っていない空の左手をかざした。
そこにあるものを、私が見紛うはずはない。
ぐるりと一周するように神代文字の彫られた黄金色の腕輪――――神代遺物、【水】の聖剣「ドラウプニル」。
私がファルに与えた、聖剣だ。




