#4
次の日の朝。
ファルを送り出してから、全く落ち着かない私は修道院の時計塔に上り、彼方に広がる山々を見つめていた。
あのどこかに「獣人解放戦線」のアジトがある。その場所を突き止め、また彼らの首魁であるテオドールの真の目的を探る。それが深夜にユズリハが持ってきた計画だった。「戦線」に潜入するのなら、同じ獣人のファルが相応しい。
正直私は乗り気じゃなかったけれど、ファルがやりたいと言ってしまった。ファルはその寸前に「獣人解放戦線」のことを詳しく知りたいと言っていたし、そうなることは予想できていた。
だから、止められなかった。
ファルと別行動になったり、潜入に送り込むのは今回が初めてじゃないのに、妙に胸騒ぎがするのは何故だろう。
「エリーさん」
突然背後から声をかけられて振り向く。
カツカツと足音を響かせて、時計塔の螺旋階段を登って現れたのはグレースだった。修道服を風にはためかせ、いつものヘンテコな鉄の覆面を飛ばされないように軽く手で押さえている。
「昨日はゆっくりお休みになれましたか?」
「いいえ。ユズリハが突然夜中に押しかけてきたから」
「お楽しみを邪魔された……とか」
「……『お楽しみ』って何よ」
「ふふっ、何でしょうね」
グレースは不気味な女だ。
鉄の覆面のせいでこっちからは目線が窺えないのに、向こうからはまるで見えているかのような態度をとる。彼女の目にとっては、鉄の覆面も秘密も関係ない、すべて「お見通し」とでもいうのだろうか。
「修道士をしていますと、旅の方から世界各地の話をいろいろとお伺いすることもあるんですよ。いかがです、ここで少し、私とお話など」
「話す気分じゃないわ」
「じゃあ私から一方的にお話ししますね」
言葉遣いは礼儀正しい。所作も淑やか。でも、態度は不遜で挑発的。
私は、このグレースという女がどうも好きになれない。
「かつて西の山に住んでいた、赤い竜のお話です」
「赤い竜?」
「竜がその土地に住み始めたのは魔王が現れるよりもずっと前のことだったそうです。それまで穏やかに暮らしていた村人たちは、山頂に突然城を構えた赤い竜――――後に『イラウンス』を名乗る、鮮血のように赤い鱗を持つ竜の一族に恐れをなした。彼らは竜を恐れ、貢ぎ物をするようになった」
「何の話?」
「イラウンス家の支配は千年以上に及んだそうです。その間、豊作の年にはより多くの貢ぎ物を要求され、不作の年には前年と同じ貢ぎ物を要求された。そうしてイラウンス家は私腹を肥やしていった。
魔物が出れば恩着せがましくそれを討伐し『守ってやった』などと宣う。子供を攫い『玩具』にして弄んで殺す。そんな彼らに村人は反抗できず、ただ黙って貢ぎ物を送ることしかできなかったそうです」
家の名誉を汚されるのは我慢ならなかったけれど耐えられた。
シンディの受けた苦痛に比べれば、グレースの挑発なんて痒くもない。
「その話を聞いたアキラさんは、イラウンス家の居城に攻め入りました。そして見事赤竜を討伐、千年の間続いた支配は、終わりを告げたのです」
「……その時の素材で篭手を作ったのでしょう?」
「詳しいですね。流石です」
「なんでそんな話をしたのよ。そのイラウンス家の話と私に、どんな関係があるわけ?」
「復讐は身を滅ぼしますよ、エリーさん」
「答えになってないわ」
「エリーさん、貴女のちゃちな変身魔法では私の目を誤魔化すことはできません。貴女の名前はエリザベス・イラウンス。アキラさんに家族を殺された、赤竜の一族最後の生き残りですね?」
答えない。
答えなんて必要ない。
私はただ、背負ったレーヴァテインの柄を握った。
「やめて下さい。私はエリーさんと事を構えるつもりはありませんよ」
「正体を知られた私が、あなたを生かしておくと思う?」
「それはお互い様です。他の七聖剣なら、エリーさんの正体を聞けば絶対に貴女を殺そうとするでしょうね。ユズリハさんだって、貴女の真の目的がアキラさんの抹殺だと知れば、今のような優しい顔はしないでしょう。
でも私は貴女と戦うつもりはありません」
「怖いの? 聖剣使いのくせに、私が」
「いいえ、違います。先ほども申し上げました通り、復讐は身を亡ぼすだけなんですエリーさん。
私はエリーさんに平和に生きて欲しいのです。家族の仇を前にして、刃を収めたままいられたら。エリーさんはきっと幸せになれる。私はそれを見守りたい」
「復讐は身を亡ぼすですって? そういうのを『平和ボケ』っていうのよ」
レーヴァテインを抜く。
振り向いて構えると、切っ先を向けられたグレースはそこに、じっと無防備に佇んでいる。
「エリーさん。私やアキラさんを殺しても、ご家族は戻ってきませんよ」
「分かったようなこと言わないで。貴女に家族を殺された苦しみが分かるっていうのかしら?」
「いいえ、分かりません。でも、復讐の無意味さはよく知っているつもりです」
かちゃり、と音がする。グレースが覆面を外した。
覆面の下を見て、驚いた。
皮膚は焼けただれ、切り刻まれた顔を何とかヒトの形に戻したような痛々しい縫い痕が縦横無尽に走っている。瞼は閉じたまま、上と下が癒着していて開きそうにない。
「私も、そのイラウンス家に支配された村の出身なのですよ」
「……!」
言葉を失った。
じっと見るのも憚られる、目を反らしたくなるほどの惨状が刻まれたグレースの顔。
「イラウンス家には、生まれた子供に対して『玩具』を与える習わしがあったそうですね。多くは人間、それも領地で生まれた子供が贄にされました……私も、あわやそうなるところでした。
選ばれた子供たちの末路はそれはそれは悲惨なものだったと聞きます。魔法の実験台にされたり、遊び相手と称して狩りの獲物にされたり……。成人になるまで生き残った子は一人として記録にありません。
父は物心つく前の私が『玩具』に選ばれたと知るや否や、火搔き棒で私の顔を滅多打ちにしたそうです。私の火傷だらけの顔を見たイラウンス家の当主は、私を『玩具』にすることをやめたようですね。お陰で私はこうして生きています。
私は、イラウンス家に人生を破壊されたようなものです。あの時『玩具』に選ばれなければ、視力を失い、顔を隠して修道士として生きるようなことはなかったでしょう」
「……貴女には、私を恨む権利がある」
「いいえ。私は貴女を恨んでなどいませんよエリーさん。貴女を恨んだところで、私の目が見えるようになるわけではありませんしね」
グレースは覆面を自分の顔に嵌め直した。
「【響】の聖剣……これをアキラさんから頂いたとき、私はこれに『イシュメイル』と名付けました。復讐に身を亡ぼす男の物語、その語り部の名前です。
イシュメイルは私に教えてくれます。復讐など遂げたところで、失ったものが返ってくるわけではない――――だったら、未来に『目』を向けるべきだ、と。エリーさん。私の故郷――――つまり、貴女の故郷でもある村ですが。今、どんな状況かご存知ですか?」
「知らないわ。私にはもう関係ないもの」
「イラウンス家がいなくなると、周辺の貴族たちがイラウンス家の支配していた土地を奪い合いました。村は小競り合いの末に4人の領主に分割支配されることになりましたが、その過程で村人たちも戦いに巻き込まれた。どの領主に従うか揉めた末、親兄弟同士で殺し合ったという話も聞きます。
支配階級のイラウンス家に報復した因果が、村人たちに返って来たのです」
「知ったことじゃない。あの村が滅んだのは、貴女たちのところの勇者サマが私の家族を殺したからじゃない。それを知っててなんで『七聖剣』なんてやってるの?」
「復讐は身を滅ぼすんですよ、エリーさん。だから私は復讐しません。かつて村を支配していたイラウンス家の竜である貴女のことも、村が引き裂かれる原因となったアキラさんのことも。
エリーさん、復讐を捨ててください。そんなものに拘っていないで、貴女はイラウンス家の血筋を絶やさないようにするべきです。貴女はアキラさんを殺すより、彼と結ばれるべきなんです」
正気じゃない。私にはグレースの考えていることが理解できない。シンディをあんな風に惨殺した男と結ばれろだって? 冗談じゃない。
私は誓った。あの男を必ず同じ目に合わせてやると。
皮を剥ぎ、肉を千切り、苦しみの中で息絶えさせると。そのためなら――――
「エリーさーんっ!」
背中のほうから声がした。
「なーにしてるんですかー、そんなとこでーっ!」
振り向いて下を見ると、時計塔の根元にユズリハがいた。
私を見上げて、声を張り上げている。
「一緒にごはん、行きませんかーっ?」
「恥ずかしいから大きな声出さないでよ!」
「えーっ? なんですかーっ? 聞こえませーんっ!」
「……まったくもう!」
私はレーヴァテインを収めて背中に戻す。
ユズリハに見られてしまっては、グレースをここで殺すのは迂闊な行為だ。彼女の死体が見つかれば、私が真っ先に疑われてしまう。
「ほら、出来るじゃないですか。エリーさんは仇の信奉者を前にしても、剣を収められる」
「そんなんじゃないわ。今は貴女を殺すときじゃない。それだけよ」
動かないグレースの横を通り過ぎ、螺旋階段を下りる。
「そうだ」
下りかけにグレースの背中を見ながら釘をさしておく。
「私がイラウンス家の赤竜であること、誰かに言ったら貴女を殺すわ。貴女だけじゃない。口封じのためなら、私はこの村の住人を皆殺しにすることも厭わない」
「言いませんよ。ユズリハさんにだって言いません。だって私は、エリーさんの幸せを願っていますから」
「……気持ち悪いわよ、貴女」
「ええ、よく言われます」
グレースはその後も時計塔にしばらくとどまっていた。
私の幸せを願っている――――そんなの、本心のはずがない。あの覆面で、グレースは本心を隠しているのに違いない。あんな顔にされて、グレースは私のことを殺したいほど憎んでいるはずだ。




