川を渡る(死への旅・SS・シロと隆と晴美ちゃんシリーズ⑤)
霧の中、石の道を歩いている。水の流れる音が下の方からしている。
石の道だと思ったものは、どうやら橋のようだ。下の水音は、川らしい。
俺はとても大きな川の上の、細い石橋の上を歩いているのだ。
前を見ると白い霧で何も見えない。
後ろを見ても同じ霧が立ち込めて、さっきまで俺が歩いて来たはずの石橋を見えなくしている。
本当はあそこに石橋なんてないんじゃなかろうか。俺の歩いて来た道は、俺の足が離れると同時に霧になって、川の中に消えていってるんじゃないだろうか。
後戻りをするのは諦めて、俺はあるはずの石橋を前に進む。
人生なんてこんなもんだ……。
そんな夢を見た。
◇
夢から覚めたのに、世界は暗かった。右手だけが暖かい。
窓が右側にあり、日が差しているようだ。
俺は目を開けることができない。
体中にチューブを入れられて、動いているのは心臓くらい。
呼吸も酸素吸入器がなければ止まってしまうだろう。
事故でこうなったのだ。
医者が「植物状態で、もう意識は戻らない」と言って、妻に生命維持装置を外すよう勧めている。費用だって馬鹿にならないのだ。
でも、妻は諦めようとしない。
毎日通って来て、小さな体で大きな俺の体を、床ずれにならないように体位を変えている。
庭の花を摘んでは枕元におく。今日はチューリップのようだ。
俺の好きな黄色なのか確かめられないのが残念だ。
真っ暗で、ただザワザワとした音の中、時間が過ぎていく。
前は休みなく俺に話しかけていた妻も、今は黙っていることが多い。
夕方に妻は帰り、瞼を通して微かに感じていたライトが消される消灯時間。
静かになると、また夢の時間が訪れる。
◇
霧の中、やっぱり俺は橋の上を歩いている。
違うのは、霧の中に俺の過去が映ることだ。
パチリ、パチリと将棋を打つ音。おじいちゃん、孫の僕にも手加減しないんだもん。
おばあちゃんはいつもプリン作ってくれた。懐かしいな、二人とも死んじゃった。
そうそう、猫のシロがいた。いつも学校から帰ると、玄関まで迎えに来てくれた。
僕の嫌いなもの、内緒で食べてくれたっけ。
妻と仲良くなったきっかけもシロだった。あいつ、俺より妻の方に懐くんだから。
玄関で冷たくなってた時は悲しかったな。
ずっと夢を見ていたい。色のない、暗くてうるさい音だけの現実は嫌いだ。
妻が、あの約束を実行してくれるといいのだが。
◇
「では、生命維持装置を外します」
医者の言葉に、妻の嗚咽と頷く気配がした。
体中のチューブと、酸素吸入器が外された。
これでいい――結婚した時、臓器提供のカードに二人で記入したんだ。
何か人の役に立つことをしたいといって。俺の体ひとつで、何人かの命が助かるのだ。
だんだん聞こえる音が遠くなり、意識がぼんやりしていく。
◇
また、夢の中。ついに橋が終わり、俺は花畑の広がる川の岸に立った。
光あふれる世界。全人類共通の記憶……
死の川を渡り、花畑の中で死んだ懐かしい人たちと再会する。
ああ、おじいちゃんとおばあちゃんと、シロが迎えに来ている。
振り向くと橋はもうなくなっていた。
公募ガイドの2021年10月のお題は「旅」でしたが、カクヨムに乗せる作品を編集するのに忙しく、この月だけは休んでしまい未投稿になった作品。「死への旅路」のアイデアはあったので書くだけ書きました。
「おやすみ前にホットミルクを」の続編になります。
次回掲載する「玄関でお出迎え」の逆バージョンの、隆くんが先に亡くなった話にしてみました。
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あー!「良いね」ついた。カクヨムでも、エブリスタでも、スター0。PV無しに等しかったのに。
ありがとうございます。