貴族学校の卒業パーティーで婚約破棄を宣言したカップルと婚約破棄を拒否したカップルのそれぞれの末路
「アリシア、貴様との婚約を破棄させてもらう!」
王侯貴族が通う学校の卒業パーティーが酣になった頃、卒業生たちの談笑する声を掻き消すように公爵令息アンドレアルの怒鳴り声が響き渡った。
顔面を紅潮させて会場内が震えるほどの大声を上げるその凄まじい迫力に会場内がどよめ……かない。
「婚約の破棄承知致しましたわ、アンドレアル様」
婚約破棄を突き付けられたアリシアは特に狼狽する事もなく落ち着いた様子でそれを受け入れている。
かく言う侯爵家の令嬢である私パトラ・シュガーレスもそろそろ始まる頃だと思っていましたので特に気にもしません。
昔から貴族学校の卒業パーティーといえば婚約破棄を宣言する場と相場が決まっています。
基本的に貴族社会では本人たちの与り知らぬところでお互いの家同士の政略的な都合で婚約者が決められる事が珍しくない。
貴族学校を卒業する頃には婚約相手が決まっているのが普通であり、もしこの時点で相手がいないと訳ありの烙印を押されてしまう。
しかし古来より政略結婚は性格の不一致や相手の浮気などが原因で数々の悲劇を生んできました。
果ては前世の記憶が絡むような特殊なケースもあったと聞きます。
その為いつしか家同士が定めた婚約でも本人たちの意思が何より尊重され、婚約破棄に対して異議を唱えるのは野暮という空気が出来上がっていた。
結婚式で「二人の結婚に異議のある者は今すぐ申し出よ、さもなくば永遠に沈黙せよ」という決まり文句がある。
それ以外の場でたらたらと未練がましく異議を唱えるのは恥ずべき行為と見做されるからだ。
それと同様にこの世界では卒業パーティー以外で婚約破棄を宣言する事は相手にとっても失礼であるという風潮すらある。
そういった理由で卒業パーティーでは毎年必ず様々な理由で多くの婚約破棄が行われるのだ。
「皆聞いてくれたか? とうとう言ってやったよ」
「よく言ったアンドレアル、君は本当に勇気があるな」
大勢の前で婚約破棄を宣言する事は戦場で一番槍に匹敵する程の勇気が必要な行為だ。
勇者アンドレアルの前には多くの卒業生が集まりその勇気を褒め称えている。
そしてそれはアリシアも同様である。
「アリシアさん、今までお疲れ様でした」
「あなたならすぐにもっといい人が見つかるわ」
「私の従兄なんてどうかしら? アリシアさんも一度お会いした事ありましたよね?」
多くの令嬢たちがアリシアの周りに集まって次の相手の話題に華を咲かせている。
どうせ二人は事前に今日この場で婚約破棄を宣言する事を話し合ってお互い納得済みのはずだ。
それは台本通り以外の何物でもなく、そこには失恋といった負の感情は皆無である。
「モニカ! お前との婚約を破棄する!」
「婚約の破棄、確かに承りましたわアレック様」
「アリス! 貴様との仲も今日限りだ!」
「分かりましたジェラルドさん」
公爵令息アンドレアルに続いて元々不和の噂があった数組のカップルが皆の予想通り婚約が破棄された。
令嬢の方から婚約破棄を切り出すパターンや、早い者勝ちとでも言わんばかりに二人でほぼ同時に婚約破棄を突き付けるパターンもあり見る者を飽きさせないが正直そんなエンタメ精神は不要だ。
私の友人のセリスも先を争うように婚約者に対して婚約破棄を突き付けていた。
私はその様子を他人事のように横目にしながら食事を楽しむ。
まあ実際に他人事ではあるのだけど。
私と婚約者である王太子ダインの仲は贔屓目に見ても良好だと思う。
婚約破棄をされる理由が全く見当たらない。
もう一人の私の友人であるエレナも婚約者との仲が良好で今回のイベントとは無縁といえるだろう。
しかし稀に誰もが予想だにしなかったカップルが破局を迎える事もある。
「フレーチェ、貴様との婚約を破棄させてもらう!」
「……はいラルフ様」
卒業生たちの視線がラルフとフレーチェの二人に集まる。
私たちは耳を疑った。
傍から見てもずっと仲睦まじかった二人なのにどうしてなのでしょう。
人の心の中は分からないものです。
そして中には特別仲が悪い訳でもないのに周りの雰囲気に流されるまま婚約の破棄を宣言する者も現れる始末。
「エレナ、俺も婚約を破棄する!」
「え? そんな……いえ、分かりましたゴンザレス様」
今までずっと婚約者と上手くやってきたはずのエレナにとってはまさしく寝耳に水の婚約破棄だが貴族社会では未練がましい人間は軽蔑視されるものだ。
気丈にも文句ひとつ言わずにそれを受け入れた彼女の心の気高さを私は称えたい。
それにエレナは友人である私から見ても才色兼備で器量も優れた素晴らしい女性だ。
すぐにもっといい相手が見つかるだろう。
むしろその場のノリで婚約破棄なんかして将来後悔する事になるんじゃないかと私はゴンザレスに対して憐みの感情を覚えた。
こうして次々とカップルが別れ、やがて会場内が静寂に包まれた。
どうやらこれで婚約破棄の発表会は終わりのようです。
「これで漸く落ち着いて食事を楽しめるわ」
私は騒がしいところが苦手だ。
一息つきながらお皿の上のケーキにフォークを突き刺したその時でした。
じーーーーー。
皆の視線が私に集まります。
「……何かしら?」
「パトラ、後はあなただけよ?」
セリスが私の肩に手を置いてそう言いました。
「何の事?」
「周りを見てごらんなさい」
「周り? ……あっ」
セリスに促されて周囲を見回して初めて気が付きました。
今日この会場で婚約が破棄されていないカップルは私とダイン殿下の組だけになっていました。
彼女は暗に私とダイン殿下にも婚約を破棄しろと言っているのです。
ダイン殿下の周りにも人が集まり調子よく婚約破棄を促しているのが見えます。
「ささ、締めはやはり殿下じゃないと」
「殿下のちょっといいとこ見てみたいです!」
早生まれであるダイン殿下は少し気が弱いところがあります。
卒業生たちはその心の弱さにつけ込んで殿下を煽っているようです。
しかしそれでもダイン殿下は首を縦に振ろうとしません。
おどおどしつつもはっきりと拒否の意を表明します。
「いや、私はパトラの事を心から愛している。破棄する理由が無い」
「またまた。あれですか、やはり殿下といえども国王陛下がお決めになったご婚約を破棄する度胸はありませんか」
「そんな弱腰では将来この国を背負う事はできませんよ殿下。国王陛下だってこの場で殿下に一皮剥けて頂きたいはずですよ」
「我々は殿下の為に心を鬼にして申し上げているのです!」
「噂では国王陛下もかつて卒業パーティーで率先して婚約破棄を宣言されたそうですよ」
「し、しかし……」
まるで空気を読まずに頑なに婚約を破棄しようとしない殿下が悪いとでも言わんばかりに卒業生たちが煽り続けます。
「さあ、思い立ったが吉日ですよ殿下」
「婚約破棄の四文字を申されるだけで会場中の皆から殿下の勇気が称えられるのですよ」
「英雄になりましょう殿下!」
「破ー棄! 破ー棄! 破ー棄! 破ー棄!」
いつしか会場内に手拍子と大合唱が響き渡った。
私は見兼ねて殿下の下に歩み寄ろうとしますが、その前にセリスやゴンザレスたちが立ちはだかります。
「ちょっと退いてよセリス!」
「ダメ。私たちは殿下の意思を尊重したいのですわ。邪魔しないで頂戴」
「セリスさん、さすがにこれはやり過ぎよ」
余りにも目に余る光景にエレナが前に出て抗議をする。
「何良い子ぶってるのよエレナ。あんただってさっきこのゴンザレス様から婚約を破棄されたばかりじゃない。パトラだけ王太子様と婚約を続けるなんて不公平だとあんたも思うでしょ?」
「あなたたちと一緒にしないでよ!」
それでもエレナは私の為に抗議を続けてくれるが多勢に無勢。
結局私はこの場から一歩もダイン殿下に近付く事はできなかった。
「破ー棄! 破ー棄! 破ー棄! 破ー棄!」
そして再び始まる大合唱。
「もうやめて!」
私はこの狂気ともいえる空気に耐えきれずに両手で耳を塞ぎます。
そんな私の様子を見て殿下は眉を顰めながらゆっくりと口を開きました。
「私は……パトラとの婚約を……破棄……」
「殿下……いけません……」
ああここまでかと私は失意の底に沈みそうになりましたが直ぐに思い直します。
私があの人を信じないでどうするのでしょうか。
私はダイン殿下に向けて力強く頷き微笑みかけます。
ダイン殿下は私の目を見ながら言葉を続けました。
「婚約を破棄……しない! 何があってもだ! パトラは私が生涯を掛けて守ると誓った女性だ!」
ダイン様は精一杯の勇気を振り絞ってそう断言します。
「……」
その一言で会場内に響き渡っていた合唱が已み再び辺りが静寂に包まれました。
「けっ、とんだ腰ぬけ殿下だ」
誰かがそうぼやいたのを皮切りに次々と汚い言葉が飛び交います。
「こんな事ではこの国も殿下の代でお終いだ」
「空気も読めない王に民がついてくるんですかねえ」
「あーあ、白けちゃったわ」
卒業生たちは口々に不満を漏らしながら散り散りになっていきました。
そしてその後微妙な空気のまま卒業パーティーはお開きとなりました。
◇◇◇◇
「聞いてよ王妃様、あの人ったら何度言っても分かってくれないのよ」
卒業式から五年の歳月が流れ、私を妻に娶ったダイン様は先代陛下の後を継いで即位し、私は王妃として優雅な日々を送っていた。
近頃は当時の同級生たちが王宮内でのお茶会の席で私の周りに集まって愚痴を漏らすのが恒例となっていた。
「ええ、本当に酷い人ねセリス」
私は作り笑いを浮かべながらセリスの愚痴に相槌を打つが、内心思うのはそれが彼女の自業自得であるという事のみだ。
セリスが卒業パーティーでその場のノリで婚約破棄を言い渡したブレイド公爵子息アレクサンドルは聡明な青年だった。
セリスと別れたアレクサンドルはその後大恋愛を経てエレナと婚姻を結んだ。
アレクサンドルは評判に違わぬ政治手腕で瞬く間に領内を発展させ、エレナはそんな夫をよく支えた。
今ではブレイド公爵領は王国内での一大勢力になっている。
彼女は多忙の為最近では手紙のやり取りによる交流しかないがそこに記された夫アレクサンドルとの惚気話を読む限りは心から幸せな日々を過ごしているようだ。
アレクサンドルを振った後にセリスが嫁いだ先は卒業パーティーでセリスと同じくノリでエレナを振ったゴンザレスだったが彼は浮気癖が酷くついには行き付けの酒場の歌姫に大金を貢いだ揚句家が傾きかねないほどの借金を背負ってしまった。
セリスは大きく溜息をつきながらぼやいた。
「王妃様、あなただけ幸せになってずるいですわ」
私は苦笑いをしながら「知らんがな」と心の中で呟く。
あの日卒業パーティーに参列した同級生たちのほとんどは没落して既に連絡が取れなくなってしまった者も少なくない。
そろそろセリスもその仲間入りをするんだろうなと考えてしまった私がいた。
「パトラ、身体が冷えたらいけない。さあこっちにおいで」
セリスが王宮から帰った後テラスで風に当たりながら想いに耽っていた私をダイン陛下が部屋の中に迎え入れてそっと抱き寄せた。
ドクン。
その時私のお腹の中で小さな鼓動が刻まれた。
今私のお腹の中にダイン陛下との愛の結晶が宿っているが、その事はセリスには一言も話していない。
話す必要性も感じない。
だからその事についてはこれでいいのだと思う。
ダイン陛下は私のお腹を優しくさすりながら囁くように言った。
「私は君に謝罪と感謝をひとつずつしなければいけない」
「何の事でしょう?」
「卒業パーティーの日、私は君を不安にさせてしまっただろう。あのまま周りの空気に流されて婚約破棄を宣言してしまうのではないかとね。まずはその事を謝罪したい」
「え? いえそんな事はありません」
「いや、隠さなくていいんだ。素直に謝罪を受け取って欲しい」
否定をする私を遮ってダイン陛下は続けました。
「君が私を信じられなかったのも無理はない。あの頃の私は気が弱く周りの目を気にするような男だったからな。しかしその直後に私を鼓舞するように力強く微笑んでくれた君を見て吹っ切れたんだ。お陰でこうして無事に愛する君を妻に迎える事ができた。本当に感謝している」
「あなた……」
私はダイン陛下に負けないぐらい力強く彼をぎゅっと抱き締めた。
翌日私はエレナ宛に彼女に対抗するとでも言わんばかりに惚気話満載の手紙を執筆する事になる。
遥か後年私とエレナがやり取りした恥ずかしい手紙の数々は当時の貴族社会の様子を知る貴重な資料として歴史資料館に保管されているがそれはまた別の話である。
完