2-24.我、二度目の怖いんじゃが
瞬く間であった。女は、薄くきらめく蜘蛛の巣に貼り付けられていた。
「なんなのよ……。やめてよ。来ないでよ……」
身動きも取れなくなり、恐怖に顔をゆがめる女に、蜘蛛はキチキチと顎を鳴らしながらゆっくりと近づいていく……。
《絶・体・絶・命》
《さすがに可哀想、かな?》
《いうて自業自得やろ。男の死を確認する、なんて事してたから、こんな目にあってるわけで……》
《しつているかきみ くもは あいてのからだのなかを とかして すう》
《生きながらにして食われるの……。それはさすがにちょっと……》
《スライムよりきついな》
《まあ、トラウマ物だし、さすがに途中で死亡判定出るとは思うけど……》
《あ、でも……。助かった? みたいだぞ》
蜘蛛は女の足に牙を突き立てていた。
「あ、いや……。嘘……。やめて、やめてよぉぉおお」
身動きの取れない女に対し、消化液を注入する蜘蛛だったが、不意に動きを止め――。
――ボトリ。
蜘蛛の腹部が地面に落下し、はじける。
「キ、チ?」
顎を鳴らし、不思議そうに無くなった自分の腹を蜘蛛は見つめ……、理由もわからないままにその姿を魔石に変えた。
「え!? 助かった? でも、足が……」
女の足は張りを失い、その範囲は徐々に広がっていっている。
「ねぇ、助けてよ! 誰かいるんでしょ? 何でもするから、早く! 早く助けろよおぉぉ!」
その声に応える者はいない。それもそのはず、蜘蛛を殺した人間は、遠く離れた丘の上にいたからだ。
丘の上にいたのも一人の女。目深に帽子をかぶり手元にはスケッチブックを持っていた。
「命だけは助けてあげたんだから、あんたよりマシでしょぉ」
そう言って、スケッチブックから一枚絵を破りとる。
そこには先程の蜘蛛の姿が、精緻な筆致で描かれていた。ただ一つ難点があるとすれば、その腹部に鋭い線が描かれ、ある意味その絵を台無しにしていたことだ。
破り捨てられた蜘蛛の絵は、青い炎となって虚空に消えた。
「助かりたいんだったら、自分で頑張ってねっと。そもそも、余計なことさえしなければ、無事外には出られてたんだから、身から出た錆だよねぇ」
女は手にした鉛筆をくるりと回す。
「それよりもぉ、もっといい表情を見せてよね。せっかく見所があると思って助けてあげたんだからさぁ、そんなありきたりの表情じゃなくて、もっと想像を超えた物をさぁあぁ」
くひひと笑いながら、女はスケッチブックに鉛筆を走らせた。
《こえーよ》
《またヤバい奴が出てきた》
《北海道、こんなんばっかかよ》
《最初の罠士はまともだったでしょ》
《2/3でだめじゃん》
《蜘蛛斬ったの、この画家さんの能力でしょ? 強くない?》
《描いた絵越しに攻撃するとか、かっこよすぎない?》
《うん。時間かかるし制限多そうだけど、端的に言ってかっこよい》
《でも性格破綻してるくない?》
《まあ、それは……、そうね》
《偏見だけど、グロい絵描いてそう》
《たぶんあれだよ、人の内面世界を描いてるんだよ》
《じゃあ何か? 人間の内面世界がどす黒いとでも?》
《まあ、大体はそうだろ》
《オレは違うね》
《じゃあ何色なんだよ!》
《ピンク色なんじゃねーの? もしくはどどめ色》
《そ、そうか……》
《なんも言えねえわ……》
《そういやどどめ色ってどんな色なんだろう》
《知らね。汚い色なんじゃない?》
《特に定義は無いけど、青あざとかの表現で使うみたいよ~》
《ほえー、勉強になるなぁ》
《唐突な話題転換よ》
《変な奴ばっかりだから現実逃避してるんだよ!》
コメント民が、画面から目をそらしている間にも、女は軽く素描をすませていた。
「こんなもんかな。なーんか物足りないけど、後は戻ってっとぉ」
女は腰を上げ、ぐっと一伸びする。
――ツンッ。
何かが女の身体を貫いた。見る間に白のシャツがまっ赤に染まっていく。
――チチチチチチ。
女の目の前には小鳥が一匹……、ハチドリの如く高速で羽ばたき、静止していた。その細いくちばしからは、血がしたたり落ちている。
「……お前がやったのかい。はは……、もしかしてレアモンスターって奴か? はじめて見るから何にも用意してないやねぇ」
「チチ」
女のつぶやきに答えるようにハチドリは鳴き、姿を消した。
――ツンッ。
女のシャツに、また血の花が咲く。
「これは……さすがにマズいかなぁ」
女は赤く染まった自身のシャツを見つめ、力なく笑い……、
「あははぁ。でもい~いこと思いついちゃったぁ」
艶然と顔をゆがめると、自分の傷口に指を――、
――ぐちゅり。おもむろに差し込む。
そうしてまっ赤に染まったそれを、今度は描かれた素描へと走らせた。
「いいじゃぁん。あなたには血の赤がとってもお似合いよぉ」
女が指を走らせる間も、ハチドリは攻撃の手を緩めない。だが女も傷つく身体をそのままに赤を描いていく。
「うへへぇ。これでか~んせい。最初の一枚としては上等かなぁ。題名は小洒落て……、『ラスト』にでもしておこうかぁ」
赤く染まった指で自身のサインまで書き終えた女は、最後に大きく指をスケッチに走らせる。
――サッと描かれたのは赤い一文字。
「おかげで面白ぉい物にも気づけたし、苦しまないよう介錯くらいはしてあげるよぉ」
青い炎を上げるスケッチブック。遠くでどさりと重い物が一つ、落ちる音が聞こえる。
「あれぇ? あの子、真っ二つにならなかったの? へぇ、見た目通り生き汚いんだぁね。まぁ、それなら運がよければ出口までいけるかもねぇ」
そうつぶやくと、さすがに力尽きたのか女はその場に崩れ落ちた。
「これが限界かぁ。もっとレベル上げたら、もっといろんな事が出来るようになるのかぁねぇ」
迫るハチドリを見つめながら、女は目を閉じ、それと同時に画面は暗転した。
《もうやだぁ。こいつも狂人じゃーん》
《わ、か、っ、て、た》
《ここまでとは思わなかったわ》
《何をやってるかは具体的には見れなかったですけど、ゴア設定マイルドにしておいてよかったです》
《うん、耐性無い人には結構きつい映像だったから、それでよかったと思うよ》
《このダンジョンのコンセプト……、オープンフィールドって言うより、『油断大敵』だな》
《そういや、3人とも油断しててやられてる》
《フィールドがむやみに広いから、全方位に注意しないといけないのか……。つらくね?》
《もふもふの人、明日北海道に行くんでしょ? 対策立てとかないと……》
《とりあえず一人じゃ無理って事はわかった。仲間を募る予定》
《まあ、それが無難だよねぇ》
《この連中の中で、配信者は生き残ったんだよなぁ》
《画家さん、生き汚いって言ってたけど、本当にしぶとい》
《運がいいのか悪いのか……。無事外に出ても下手したら村八分やで》
《下手しなくても村八分》
《クラスはうまく使えば強そうだから、組んでくれる人はいるかもね》
《そういう意味では画家さんが一番パーティ組めなさそう》
《彼女のクラスって強力だけど、使い勝手悪そうだもんねぇ》
《それにしても彼女って、ずいぶんと耐久力あったな。普通腹に穴空いたら、その時点で倒れるだろ》
《そうだよね。罠士の男みたいに倒れてしかるべき》
《クラスを取得すると、それだけでかなりしぶとくなるらしいよ》
《なるほど……、それでかあ》
《さて、これで今日のダンジョン三つの公開が終わったけど、モナちゃんどうした?》
《モナならそこで震えているよww》
そのコメントの通りだった。モナはウスベニを抱え、ガタガタと震えていた。
「またじゃ……、また変態が現れおった。アレはスライムの所の変態と同じ匂いがする。なんで傷ぐりぐりして絵を描くんじゃ。日本人おかしすぎる……」
《誤解が甚だしい!》
《あんな変態は一部にしかいない》
《そしてどこの国の人間でも、一部はあの手の変態だ》
《だいたい、この画家さんが傷口ぐりぐり出来たのは、クラスを取得していたからだろう?》
《つまり、クラスの取得の差配をしたモナのせい》
《つまりつまーーーり、変態量産の責任はモナモナにある》
《ソウダソウダー》
《我々はー要求するー》
《謝罪と責任をー、要求するーー》
「あ、あ、あ、……アホかーーーー!」
モナは白磁の肌をまっ赤にして叫んだ。
「そんなものっ、我のせいなわけあるかーー! あ奴らが変態なのは元々じゃろうが!!」
うがーと手を上げ怒る姿に、コメント欄も驚喜する。
《おこだー、モナがおこだぞー》
《ふむ……、レベルスリー。激おこプンプン丸ですね》
《最近その言葉、聞かないなぁ》
《モナ様がおこである。誰か甘味の献上を……》
《いや、そろそろ甘味無しに怒りを静めることを覚えていただかないと……》
《……であるな。変な成功体験をさせてはいけないでおじゃる》
《というわけだ。今回は甘味は無しだぞ。残念だったな》
《催促されても今回はお預けです》
「い、い、いるかー。大体、我の方から催促したことなぞ無いだろうが」
机をバンバンと鳴らし、モナは怒りを表す。
《本当にそうでしょうか》
《暗に催促したことはあったような気も……》
《どうだったかな》
《怒りレベルが1つ上がったな》
《台パンしてまで否定する……。つまり、誤魔化してるって事だ》
「そんなこと言ったら、もはや我が何を言っても無駄じゃろうが!」
《あ~あ、モナちゃんが素直になってれば、北海道土産のブリュレカスタードインバウムを贈ろうと思ってたのに……》
《え? なにそれ》
《名前なっっが》
《バウムクーヘンの真ん中に、カスタードを入れてキャラメリゼしてるお菓子》
《あ、たまに北海道物産展でみる奴》
《めっちゃおいしい》
「な、なんじゃと…………」
そのお菓子を想像したのか、モナは口を半開きにし、虚空に目をさまよわせ……、
――ぶんぶんと首を横に振った。
「だ、騙されんぞ。もしかせんでも、そなたら我をからかって遊んでおるじゃろう。ふぅ、危ないところじゃった……」
モナは汗もかかない額を拭う。
《ちっ、ばれたか》
《意外と復帰が早くなってきたな》
《もう少し趣向を凝らさないと……》
《相も変わらず、甘味の話で口をぽけっと開けてたけどな》
《なんか猫のフレーメン反応みたい》
《ほーんと、あの口に梅干しでも放り込んでやりたい》
《いい反応しそうだよなぁ》
散々なコメント欄に、モナも業を煮やしたのか声を上げた。
「ええいもう、そなたらなんぞ知らんもん。時間じゃからもう切るぞ。明日の配信は昼間じゃからな。ばーかばーか」
画面いっぱいにべーっと舌を出し、モナは姿を消した。後には真っ暗な画面が残るのみ。
《あーあ、すねちゃった》
《やりすぎた?》
《どうだろう、なんだかんだで明日の告知していったし》
《お仕事は忘れないモナちゃん、えらい!》
《罵倒されちゃった。うれちぃ》
《変態め》
コメントが続く中、真っ暗な画面の中にモナの声だけが響く。
「明日は、ぶりゅれかすたーどほなほなを持ってくるように。我は寛大じゃから、それで許してやる」
《結局催促してるーー》
《誰か買っていってあげて》
《言い出しっぺだし、明日買って持って行くよ。よければダンジョンでもふもふさんも合流しない?》
《あ、よければお願いします。昼には現地に着く予定ですので》
《オッケオッケー》
その後も、だらだらとコメント民の雑談は続きながら、その日の夜は更けていった。
これにて中編終了。
二日ほどおやすみして、再開は13日の金曜日の予定です。
次回から、多少は強くなった探索者が出てくる予定です。ご期待下さい。
最後に、評価ブクマを皆様ありがとうございます。
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