18
カダ砦。
王族の類の部屋と見間違うほど豪奢な部屋。
薄暗く、異様な雰囲気を漂わせている。
ロウソクの火が、何者かを照らす。
赤い軍服、カールした金色の長い髪、細い身体に似合わない邪悪な眼の女性。
エマン・カシューである。
「くっくっく……。この武器さえあれば……反乱軍なぞ……」
エマン・カシューは宝石のちりばめられた、豪華な革製の鞄から何かを取り出し、それを恍惚とした表情で眺めている。
鞄を閉めると、エマン・カシューは立ち上がり、ドアに視線を向ける。
「ソグト、入ってきなさい」
エマン・カシューの一言に、ドアの向こうで待機していたのであろう側近らしき男が現れる。
「お呼びですか、エマン・カシュー様」
ピシッと敬礼して、エマン・カシューに注目する。
「例のこの武器の状況は?」
邪悪な視線を、側近へ向ける。
「はい。約6000ほど出来上がっております」
「……6000。まあ、よろしいでしょう。それでは、兵に全て配りなさい。戦いの準備です。反乱軍最後のね……くっくっく……」
「わかりました! 迅速に兵へ伝えます!」
一礼して部屋を出ていく側近。
エマン・カシューの部屋のドアが、パタンと閉められた。
* * *
ついに、この時が来た。
カダ砦侵攻の日。
予定通り、本拠地には4000の兵を残し、残りの12000はカダ砦侵攻軍となった。
本拠地を守るメンバーはザム、レミュリア、ルミニオンとなり、侵攻軍メンバーは、オレ、ラムド・ガル、ガザロ、シェルフィス、ブレイド・ブラッカー、ラザ、レザ、ティカイナだ。
ブレイド・ブラッカーとシャドウキラーの3人は、オレのボディーガード兼補佐役。
……。
ひとつ気になることは、アルステール。
仕方なくオレの部隊に入れたが、妙に心配だ。虫の知らせってヤツが、オレの耳の中でガンガンと響いている。
今は一緒に居たいとか、離れたくないとかそんな気持ちじゃない。心配だ。
だが、オレはアルステールを守ると決めた。
そう、守ればいいんだ。
オレの命にかけても。
「いいな! みんな生きて帰るんだ! 決して無理をするな! 以上!」
言葉数は少ないが、オレはレミュリアに代わって演説をした。
これはレミュリアの頼みでもあった。
ガンキチさんが作った反乱軍なのに、一度も演説をしないなんておかしい。という指摘を受けたのだ。
『わああぁぁぁぁぁぁっ!!』
やや、笑いが含まれる歓声が起こる。
一応、士気は高まったようだ。
みんな生きて帰るんだ……。オレはその部分を強く頭の中で復唱した。
ついにカダ砦へ向けて、オレ達の反乱軍は進軍を開始する――。
進軍している間も、オレはアルステールの側を離れることはなかった。
その様子を見て、いつもなら茶化してくるはずの仲間達は、ただ見守っているだけで介入はしなかった。
オレ達の様子が、いつもと違ったから、かもしれない。
幻想的な景色と、隣に居るアルステールの顔を眺めながら進軍をして3日が経った。
目の前に広がる切り立った谷。
ガングニル谷――。
底は見える。底無しではないようだ。だが、落下するとただでは済まないだろう。
向こう岸が、やたらと遠く見える。
向こう岸へ渡らなければ、カダ砦には行く事ができない。
だが、オレが見る限り、向こう岸まで100メートルはある。
今、反乱軍はこの谷付近で立ち往生している。
しばらく向こうへ渡る道はないか、シャドウキラーに探させた結果。
「ここから南西へ約40ケザルくらいの所に、谷へ続く道がある。そして、北西へ約50ケザルの所に、向こう岸へ登る道があった」
言い終えると、サッと持ち場へ戻るシャドウキラー。
報告を聞いて、うなるオレ。
ラムド・ガルと、顔を見合わせる。
「困ったな……。わざわざ谷を降りてると、相当な遠回りになってしまう」
「うむ……。谷を迂回すると、メクダ砦の付近を通る事になるから、危険が大きい。ここで無駄に戦闘をして消耗をすると、命取りだ」
「かと言って、北側は切り立った絶壁の岩山が延々と続いているから、移動するのは不可能だ」
そう、北西は絶壁とガングニル谷が重なって迂回は不可能だ。もし迂回するならロッククライマーにでもならなければいけない。
更に、南西はメクダ砦に限りなく近付いてしまうため、戦闘は避けられない。
今、戦闘をして消耗すると、エマン・カシューの思うつぼになってしまう。
思わぬ足止めをくらってしまった。
1時間くらい付近で検討をしていた時。
「敵襲ーッ!!」
兵の声に、オレとラムド・ガルは同時に振り向いた。
突然の奇襲に兵が慌てる。
「落ちつけ! 慌てずに応戦するのだ!!」
ラムド・ガルの騎馬隊が動く。
「敵は!?」
「エマン・カシューの本隊です!!」
報告に来た兵が答える。
何だと?
エマン・カシューはカダ砦に居るはずでは。
玉砕覚悟で出てきたというのか!?
後方から矢が雨あられのように飛んでくる。
後方にはシェルフィスの部隊が居る。
シェルフィスが危ない!!
「くそっ!! アネさん!!」
ガザロの部隊は果敢にもエマン・カシューの本隊へ突撃する。
が、しかし、雨あられのように飛んでくる矢に苦戦を強いられている。
「野郎! 奴らは弓の名手か!?」
矢が普通では考えられないテンポで飛んでくる。
弓に矢をかけ、弦を引いて飛ばす。この動作があるかぎり、ここまでのテンポで矢は飛ばせないはずだ。
まるで連発銃のように飛んでくる矢。
「くそっ! 怯むな! ぶっ殺すんだ!!」
負傷兵が続出する中、ガザロは突っ込んでいく――。
「ララミル……。父ちゃん、帰れねえかもしれねえ……」
白馬の死骸、白い鎧を着た兵の死体。
被害を受けながらも、ラムド・ガルの騎馬隊は突撃を敢行する。
「くっ……このままではまずい」
* * *
「ほほほほほっ! バカな奴らねぇ……」
高笑いをするエマン・カシュー。
そして、兵にサッと指示をする。
矢を打ち終わった兵と入れ代わり、矢を充填した兵が前に出る。
その兵が持っている弓……、いや、武器は……。
「何だ? あの武器は!?」
驚愕するラムド・ガル。
エマン・カシューの兵が持っている武器……それは、巨大なボウガンだった。
銃身がまるでロケットランチャーを思わせる大きさ。しかも、兵の動作を見ていると銃身の横に付いているレバー弦を引くだけで矢が装填される仕組みになっているようだ。
これなら、連射も可能だ。
何て厄介な物を……。
次々と倒れていく反乱軍の兵。
くそっ……。まんまと引っかかったっていうワケか……。
「退路を断たれました!! このままでは……」
「くそっ!! 谷に降りるぞ!! 一旦、体勢を立て直す!!」
部隊に指示を出し、後退する。
まるで、谷へ追いやられるように――。
「ここは任せろ!! 私が何としても食い止める!!」
ラムド・ガルの騎馬隊が強力な攻撃を仕掛ける。多少の被害を与えてはいるが、やはり劣勢はまぬがれない。
「ぐっ!!」
左肩の鎧に、矢が突きたてられた。
顔をしかめるラムド・ガル。
すまねえ……ラムド・ガル……。
何とか、部隊は谷へ後退できた。
しかし、消耗が激しい。
後退はできたが、退却はもはや不可能と言ってもいいだろう。
退路を断たれた今、オレ達は進むしかない。
しかし。
「ぐわぁぁっ!!」
「うわぁあっ!!」
矢が次々と兵達に命中していく。
オレのすぐ近くで歩いていた兵が、肉塊と化していく――。
「上だッ!!」
そう。上にもエマン・カシューの伏兵が居た。
オレ達の居る下方へ向け、あの巨大ボウガンを撃ってくる。
「ぐうっ!」
オレの腹に矢が突き刺さった。
激痛。そして、ひびの入った鎧。オレは刺さった矢を見た。木ではなく鋼鉄製の矢だった。そしてこの貫通力、これでは鎧を着ている意味がない。
オレは地面に膝を突いた。
「ガンキチッ!!」
アルステールが叫ぶ。
……これまでか……。
更に飛んでくる矢の雨。
ちくしょう……。アルステール……。
「はあ……はあ……。アルステール……。守ってやれなくてすまん……」
じわじわと血がにじんでいく感覚。
「ガンキチッ!! しっかりしろ!!」
アルステールがオレの腕を肩にかけ、抱えようとする。
周囲には、オレのために盾となった兵が立ちはだかっている。
その兵の身体にも、矢が次々と刺さり、地面に崩れ落ちる。
ブレイド・ブラッカーが飛んでくる矢を叩き落とし、ラザ、レザが逆手持ちにした短剣で飛んでくる矢を防いでいる。
「くっ! 不覚……」
ブレイド・ブラッカーの脚に何本かの矢が刺さった。
膝を突くブレイド・ブラッカー。
「ブレイド・ブラッカー様!!」
その前に立ち、必死に刀のような剣を振るうティカイナ。
更に飛んでくる矢の雨。
その何本かが、オレに致命傷を与える軌道を描いた。
はは……。あっけなく終わったな……。
オレの人生――。
痛みは……無い。
本当に死ぬときは、痛みなぞ感じないもの……。どこかの誰かが言っていたような気がするが……オレは目を開けて見たその光景に戦慄が走った。
「アルステールッ!!」
オレの前に立ちはだかり、矢の雨をその身に浴びてしまった。
胸、腹、脚、腕。次々と刺さっていく矢。
アルステールの身体に。多少の筋肉は付いているものの華奢なあの身体に――。
その姿は神々しくも儚い。
オレが他の女とふざけていると、殺気をみなぎらせていたアルステール。
オレには可愛い笑顔を見せたアルステール。
初めて仮面を取ったアルステール。
全てが、走馬灯のように映し出される。
アルステールが……。
嫌なパターンが。
パターン通りに。
「ちくしょおおおっ!!」
オレは腹の痛みも忘れ、崩れ落ちるアルステールの身体を受け止めた。
口の中が血の味でいっぱいだ。
多分、気管か食道から逆流してきたんだろう。
いや、今はそんなことどうでもいい――。
オレ、守るって言ったのに。
絶対守るって言ったのに。
命かけても守るって決めたのに。
「うぐ……。……ガンキチ……。大丈夫……か?」
「くそおぉっ!! オレは死なねえっ!! 死なねえようにできてるんだよ!!」
ゴホッと口から血を飛ばしながらも、オレは吠えた。
「ガンキチ……。うぅ……。血が……」
オレの口許を指でなぞり、血をぬぐう。
「お前の方がいっぱい出てるんだよ!! ちくしょう!!」
守られてるのは……オレの方じゃねえか!
シャドウキラー達が一斉に煙玉を地面に叩きつける。
濃い煙が辺りを包み、あっと言う間に視界を遮られた。それでも矢の雨は止まらない。
「来いッ!!」
誰かがオレの手を引く。
ブレイド・ブラッカーだ。
矢の刺さった脚にも関わらず、オレを抱え、矢の雨の中を全速力で走る。
「あ、アルステールが……こほっ」
真っ赤な血がブレイド・ブラッカーの顔付近にかかる。さっきより量が多い。
「喋るな! 大丈夫だ!」
少し後ろを、ティカイナがアルステールを抱えて付いてきている。
オレは、アルステールの事しか頭に無かった。
今は自分のことなど、二の次だ。アルステール、アルステールのことだけが――。
大丈夫なのか? アルステールは死なないのか?
徐々に目の前が暗くなっていく……。
その時だった。
『わああぁぁぁぁぁっ!!』
新手の軍が来た。
しかも、数が多い。
「くそっ!! 終わりか……。ユーネスめ……」
エマン・カシューの兵を一太刀で斬り捨て、ラムド・ガルは呟いた。
表情に絶望の色が浮かぶ。
「ララミル……。父ちゃんを許してくれ……」
自慢の大剣を振るい、矢の尽きたエマン・カシュー兵を叩き斬るガザロ。
「ああもう……。カレシも作ってないのに……。仕方ないわね。これも運命かしら」
負傷兵を手当てしながら、シェルフィスは呟いた。
「ふふん……。メクダ砦の軍勢が加勢に来たわね。……この戦、もらったわよ。ほほほほほ……!」
勝利を確信したエマン・カシュー。
しかし、それは次に起こる出来事によって打ち消される。
『わあああぁぁぁぁっ!!』
「な、何!? どうして……」
メクダ砦から来たらしい軍勢は、何故かエマン・カシューの兵に攻撃を仕掛けたのだ。
思わぬ攻撃に、エマン・カシューの兵が怯みはじめる。
「どうして味方を攻撃するのよ!? 伝令! 伝令を!!」
必死に応戦するエマン・カシュー軍。
しかし、反乱軍の抵抗で消耗した軍勢は、新たに攻撃を仕掛けてきた軍勢に対応できるほど余力がなかった。
「矢を! 矢を射るのよ!!」
指示をするエマン・カシュー。
しかし、矢に最初のような勢いは無かった。
「どうしたの!? 何故、矢を……」
「ダメです! 弦が切れました!」
「そ、そんな……」
弦の切れたボウガンを見せながら、兵は焦った表情で言う。しかし、もっと焦っているのはエマン・カシューだ。
普通の弓のパーツを流用したこの巨大なボウガン。
改造はしているものの、所詮は弓の弦。通常の3倍以上のペースで矢を発射する負荷に耐えきれなくなったのだ。
矢が使えなくなったエマン・カシュー軍は空が飛べなくなった鳥に等しい。
「伝令! 伝令はまだなの!?」
金切り声を上げるエマン・カシュー。冷静さを完全に失っている。
「ぐわッ!!」
「うがあっ!!」
エマン・カシューの周囲に居た兵が、斬り捨てられた。
あっと言う間に反乱軍から包囲されるエマン・カシュー。
彼女の前に、何者かが現れる。
「年貢の収め時だな。エマン・カシュー。無駄だぜ。メクダの兵は全員寝返った」
それは、今本拠地に居るはずのザムだった。
「き、貴様! 裏切り者のザム!!」
エマン・カシューの眼が剥かれる。
「どっちが悪い人間かわからねえ奴にンな事言われたくねえよ」
フン、と鼻で笑うザム。
「何故だ!! 何故、メクダの兵が……」
ブルブルと震えながら、エマン・カシューは叫んだ。
「教えてやろうか。メクダの兵はな、元々アテラタスに居た兵なんだよ。つまり、俺の味方。そうだな。ユーネスの野郎が俺から兵を奪わなかったら、こんな事にはならなかっただろうな」
ニヤリと笑うザム。更に続ける。
「『俺が行くから、用意しとけ』って書いた手紙を出して、後は途中で合流した……そのくらいだな」
「くっ……」
エマン・カシューはギリッと歯を噛む。
その仕種を見て、ザムは笑顔になる。
「ユーネスの野郎は、余程人徳が無いんだろうな」
「黙れ……!」
キッと睨むエマン・カシュー。
「色々と好き勝手やっていた罰だな。はっはっは」
「黙れ! 黙れ!!」
「ま、話はここまでだ。で、どうするんだ? 仲間になんのか? それとも……」
笑顔のままのザムに、エマン・カシューの邪悪な双眸が険しくなる。
「貴様らの仲間になるだと……? この私が貴様らのような下賤な輩の仲間になるだと? フフフフ……ハハハハハッ!! 笑わせる……!」
腰に下げていた剣を抜く。
そして、何の躊躇いもなく、自分の首に切っ先をあてがう。
「何を……!」
「私の事を、身体の隅々まで理解してくださるのはユーネス様だけ……。貴様らに捕らえられるくらいなら……」
ザムはそれを阻止しようと手を伸ばす、が。
真っ赤な鮮血がザムの顔に飛び散る。
エマン・カシューはニヤリと邪悪な笑みを残し、崩れ落ちる。
「……」
既に、こと切れていた。
* * *
「何だ!? エマン・カシューの兵が、退いていく……」
ブレイド・ブラッカーは、頑吉を抱えたまま立ち止まった。
頑吉は既に意識を失っていた。
「とにかく、治療を!! 早くシェルフィス女医の元へ……!」
ラザ、レザがブレイド・ブラッカー、ティカイナの手から頑吉、アルステールをひったくり全速力で走っていく。
「死んじゃダメ! 死なないで……。おにいさん……」
「死なせない! ガンキチさんのためにも……」