12-07 思いっきりプレッシャー感じて、榛名を、取り返してきなさい
色の薄い世界で訪れた校舎が見つかる。オカ研面子は、八月三一日、入れ替わり時間に榛名が出現する場所を探す。
「うわああああ」
一面真っ赤に染められた地図のありさまに、全員が絶句した。
いや、千尋だけは驚きもせず、めずらしく呆れ顔で柳井さんや俺を非難した。
「ほらーダメだよー。磯野は大学ノート以外でもこうなっちゃうんだから。また地図を買ってこなきゃ……」
そこまで言った千尋は突然目を輝かせた。
「これだよ! これを使えば榛名を見つけ出せるよ!」
わずかな沈黙のあと、三馬さんも跳ね上がったように顔を上げ、千尋を見た。
「なるほど! そうか! そうか! やはりさすがだな竹内君は!」
え? いったいなんなんだ?
「もう一枚地図を用意しよう。いや、二枚か。……だが、この大きさではダメだ。拡大コピーをして、この部屋全体を使わねば」
興奮気味の三馬さんに、千尋もうなずく。
「ちょっとまってください。どうしたんです?」
「二日後の二一時二四分三二秒に、一度きりのアクティブ・ソナーを打つんだよ」
そう言うと、三馬さんと千尋は同時に笑った。
八月三一日 一八時〇一分。
部室の中のものは、すでにすべて廊下に出され、なにもないその空間のドア以外の三つの壁には、拡大印刷された札幌の地図で埋められていた。
「そうだな。真ん中に机を一つと、連絡係用の椅子をすみに置いたほうがいいな」
俺は簡易机を部室の真ん中に運んだ。
「連絡係は……竹内君、君がやってくれたまえ」
「わかりました。柳井さん、そろそろ出ないと間に合わなくなりますよ」
即された柳井さんは憮然としたままうなずいた。
「この作戦自体はべつにいいんだが、もっとこう、ほかの作戦名にしてくれないか。なんだかすごく悲しい気持ちになるんだが」
「いいじゃないか。まさに柳井が一人ですべてをこなすこの作戦に相応しい名前だと思うんだが」
「……三馬、おまえ半分面白がっているだろう」
「ほら、会議室に行ってサイコロを振ってこい。神の気分でね。そのあと例の時間の最低でも二分前に、かならず竹内君に連絡を入れること、いいね」
柳井さんは、はいはいと手を振って階段を下りていった。
「さてみんな、これより『柳井のぼっちローラー作戦』を開始する。準備はいいね」
……うん。とてもひどいネーミングだ。
この作戦について説明する。
用意された別室には、拡大版札幌市の地図が部室と同じように広げられていた。その地図は、細かくマス目で区切られ、縦軸、横軸に座標となるような数字が膨大に振られていた。この作戦は以下の手順で行われる。
柳井さんはTRPGで使っている10面ダイスを複数回振り、出た目の座標に向かう。
入れ替わり時間となる二分前に、柳井さんは部室にいる竹内千尋にその場所に霧島榛名がいるかどうかの連絡を入れる。
その報告を受けた竹内千尋は入れ替わり三〇秒前に、同じく部室にいる俺に、その座標に霧島榛名がいるかいないかを告げる。
もし運良く見つかれば、俺はそのまま部室を出て玄関前で準備している千代田怜の車に乗り、榛名の場所へ向かう。
もしいなければ――ここからが重要だが――俺はその座標を、地図の同じ場所に点を打ち込む。
すると、文字の浮かび上がり現象が起こる。すなわち無数の柳井さんからの榛名の不在報告を聞いた俺の打ち込んだ点も、同時に浮かび上がる。
これが三馬さんの言っていたアクティブ・ソナーだ。
無数の柳井さんがソナーから発せられた「音波」となって榛名を探し、不在を確認する。そして、その報告を受けた無数の俺によって、地図上の榛名の居ない場所が塗りつぶされる。
その結果、塗りつぶされていない不自然な場所が霧島榛名の出現場所となる。
こういう作戦だ。
この作戦でカバーできない点があるとするなら、この入れ替わり時間でさえ霧島榛名が出現しない場合。これはもうどうしようもない。もう一つは、このアクティブ・ソナーを打ち込むのが、入れ替わり時間直前であること。
オカ研世界では、オカ研の磯野が戻ってきたとしても、竹内千尋の説明が入ることにより榛名の救出に対応できるが、このアイデアを映研側で思いついてない場合は、映研側の霧島榛名の救出は、このタイミングでは絶望的となる。
これはもう、映研世界のみんなを信じるしかない。
まったく、俺なんかでは思いつきようのないアイデアに、何度も何度も助けられている。とてもありがたいのと同時に、おのれの無力さになんとも気落ちしてしまう。いや、落ち込んでいる状態じゃないのだが。
「あの、わたしはなにをすればいいですか?」
不安そうな顔のちばちゃんに、三馬さんは大丈夫と言って微笑んだ。
「君は竹内君の手伝いをしてくれたまえ。君のお姉さんはかならず柳井が見つけ出し、磯野君が取り戻す」
ちばちゃんは、はいと返事をしてうなずいた。
「あ、三馬さん、わたしは、万が一のために磯野の自転車を車に載せてきます。磯野を借りてもいいですか?」
「ああ、まだ時間はある。かまわんよ」
俺と怜は、文化棟玄関前に止められたインプレッサの後部座席を倒して、俺の自転車――クロスバイクを載せた。
鍵がないと動かせないので俺もいなきゃいけないのはわかるが、自転車の鍵さえ外せばたいした作業じゃない。それなら怜に鍵を渡してやればいいのだが、まあ、力仕事だからな。
俺が後部座席のドアを閉めたところで、怜が俺の顔を見て言う。
「ねえ磯野、あんたさ、さっきから自分がなにも役に立ってないとか思ってるでしょ」
怜の突然の言葉に、ドキッとした。
ていうか、いきなり図星ついてくるなよ……。
どう答えたものか迷っていると、怜はため息をついた。
「やっぱりね。そういう顔してるもん。けどさ、それならわたしやちばちゃんのほうが、なんの役にも立ってないことになっちゃうよ?」
「……怜、いきなりどうした」
俺の問いを無視して怜はつづける。
「わたしもね、そうなんだよ。なんて言うのかな、うーん。やっぱり役に立てていない感、なんだよなあ。けどさ、ここ何日か過ごしてきて思ったんだけどさ、わたしが今回の件で役に立つ知識があればそれでいいかって言ったら、それはちがうでしょ?」
「……ああ」
「なんかさ、みんなでいろいろ意見出してさ、役に立っても立たなくても、これだけの人たちが一つの目的に向かっていることが、それ自体が強いって、そういうことなんじゃないかなって、そう思うようになったんだよね。個人プレーもいいんだけどさ、一人で悔しがったり意地張っても、結局は一人分も力は出ないと思うんだよ」
怜は、すこしうつむきながら、
「一人の力を十分に出すってさ、人に相談してさ、いろいろ言葉に出してみて気づいて、はじめて前に進めるって、そのための力なんじゃないかな。みんながいるから答えを見つけられんだと、そう思ったんだよ」
だからさ、と怜は笑って、
「そういうモヤモヤしたものも含めてね、みんなにね、委ねちゃうの。能力とかそんなんじゃなくて、自分なりに頭使って考えて、それをみんなといっしょにしていれば、それはちゃんと、みんなの役に立てているんだと思うんだよ」
「……うん。そうかもしれないな」
ああ。そういうことか。
「怜、俺、そんなにひどい顔をしてたか?」
「うん。ふだんよりずっと」
はは。やっぱり。……そうだよな。
「なんだとばかやろう」
俺はそうやって悪態をついて見せると、怜は、ひとこと「よし」と言って笑う。
「いつもの顔に戻った。そうそう、そういう顔だよ。どうせ磯野にしかできないことを託されてるんだから、いらないことで悩んで暗い顔になってないでさ、思いっきりプレッシャー感じて、榛名を、取り返してきなさい」
……まったく。
俺も思わず笑ってしまう。
「ああ。まかせとけ」





