12-05 これを書いた榛名は、どっちの世界の榛名なんだろうね
突如出現したオカ研世界の榛名の大学ノート。七月一四日から八月七日の世界の再構築までの出来事が記され、
「三馬、おまえも目を通しただろうが、七月一四日にはじめて色の薄い世界に迷い込んだのは野幌森林公園だ。それも北海道百年記念塔の五階から六階にかけての階段部分だと判明している。そこを探してみるのはどうなんだ?」
「柳井、私もそれについては考えたよ。だけどね、磯野君が最初に色の薄い世界に接触した、この大学の、ええと……どこのベンチだったか――」
「学生生協前のベンチです」
千代田怜が言い添えた。
三馬さんは、そうそうと怜にうなずいて、
「ありがとう。そのベンチにふたたび訪れたところで、色の薄い世界には接触できなかっただろう? 八月三一日の入れ替わり時間であれば、霧島榛名さんを見つけられる重要なポイントの一つにはなるだろうが」
竹内千尋が、思いついたように顔を上げた。
「あの、こっちの礒野の大学ノートは、映研世界みたいになにかヒントをくれるんでしょうか」
三馬さんは、千尋に軽く指差して忘れてたと笑い、鞄から大学ノートを取り出した。最後のページをひらいてテーブルの上に置く。
「やはりなにも書かれていないか」
「うーん。あ、そうだ。榛名の部屋に出てきた大学ノートもとなりに置いてみたらどうでしょう。礒野、たしか映研世界ではそれでメッセージが書き込まれたんでしょ?」
千尋の提案に柳井さんはうなずいて、今度は柳井さんの鞄から榛名のノートを取り出した。二つのノートは最後のページがひらかれた状態でテーブルの上に並ぶ。
のだが、榛名のノートの最後のページには、榛名が「俺のことが好きになった」とあからさまに書かれていて、恥ずかしいことこの上ない。
狙いをすましたように、怜の冷やかしの視線にさらされる。
「これを書いた榛名は、どっちの世界の榛名なんだろうね」
「しらねえよ」
「で、どうなの」
「なにがだ」
怜は俺の弱味を握ったかのような、満足そうな笑みを浮かべた。
「あー鬱陶しいやつだな」
「この榛名さんの愛の告白に磯野君が報いられるよう、我々は後押ししてやらねばならんね」
そう言って三馬さんも茶化したような笑みを浮かべた。
こうして八月三一日までのあいだにやっておけることを出し合い、明日、野幌森林公園の百年記念塔を調査することとなった。
八月二五日 一三時三三分。
野幌森林公園は2,053ヘクタールの敷地を持つ丘陵公園である。
と、柳井さんの車の後部座席でスマホを見つめる竹内千尋が教えてくれた。その大半は森林で占められ、俺たちが向かう北海道百年記念塔はその森林に入る前にあった。
ちばちゃんは、すでにはじまった二学期の授業で連れてくることはできなかったため、柳井さんの車に、俺と竹内千尋、そして千代田怜の四人が乗っていた。駐車場に到着したオカ研メンバー一行は、車から降りて青空の公園へむかって歩いていく。
公園に踏み入れると、百年記念塔が目に入ってきた。
塔にむかう歩道には、噴水と水路が流れ、それを挟むようにひらけた野原が広がっていた。ピクニックの家族づれや観光客などがその景色を楽しんでいる。うしろへ振り返ってみると、厚別区からの札幌の街を見渡すことができた。
けれど、この景色に「色の薄い世界」の街並と重ねてみても、どうもしっくりこない。
百年記念塔の五階と六階のあいだにある踊り場部分ということで、途中なにかないかと、みんなはエレベーターを使わずにぞろぞろと階段を上っていく。
……のだが、この階段、微妙に吹き抜け気味なのだ。いや、ホントに微妙になのだが。
俺は高所恐怖症だった。
しかもこの階段は、幼稚園のころの遠足で二階まで上ったところで怖くて泣いてしまった、という思い出があった。
現在の俺もまた、二階の途中で足を止めている。
「ちょっと磯野、なにしてるの」
事情を知らない怜が無慈悲な言葉をなげかけてくる。
いや、この緊急時に高所恐怖症がどうとか言ってられないのだが。
業を煮やして下りてきた怜は、俺の顔を見て呆れたらしい。
「あ、あんた高所恐怖症だったっけ? だったらエレベーター使いなよ」
「……けどな、階段の途中で、俺だからこそ見つけられるかもしれないなにかがあるかもしれないだろ?」
そう言っておきながらも、どうにも足が動かない俺。
そんな様子の俺に、怜は一つため息をつくと手を差し出してきた。
「もう……世話が焼けるんだから。左手は手すりにつかまって。ほら、のぼるよ」
俺は怜に右手をまかせ、左手は手すりをつかみながら、ゆっくりとのぼっていった。
……おじいちゃんかよ俺は。
いや、そのときは自分にツッコミ入れられるほど余裕がなかったのだ。ああ、情けない。
やっとのことで五階と六階のあいだの踊り場までたどり着いた。しかし苦労の甲斐もなく、たいした手がかりはつかめなかった。
「大学ノートも反応ないね」
千尋はひらいたノートを見つめながら言う。
ただ、この場所があの色の薄い世界の駅のプラットフォームだとしたら、場所的にも高さ的にも近い位置にあるのだろう、ということはよくわかった。
展望台までのぼり、ふたたび厚別区からの札幌の街を眺める。
あの色の薄い世界で見たプラットフォームの窓の外の景色を思い浮かべてみる。が、やはり重なるような重ならないような曖昧な印象だった。というのも、色の薄い世界に林立する未来的な建物とその都市の様相は、こことはちがう、どこか別世界を見ているような強烈な印象があったからかもしれない。
「磯野、どうだ?」
「正直、この場所とプラットホームが同じ位置にあるものなのかシックリきません」
となりの竹内千尋は目的を忘れているのか、札幌の景色に瞳をはしゃがせていた。
「ただの観光になっちゃったね」
そのうしろで軽くため息をつく怜。
そんな彼女に、幼稚園時代に果たせなかった百年記念塔の二階から上の世界を見せてくれたことに感謝の気持ちが湧いた。
「悪いな怜」
「あんたの情けない顔が見れて面白かったよ」
ったく、減らず口を叩きやがってこいつは。
と思いながらも、その反応にちょっとニヤけそうな自分に気づいた。
こうして、公園をあとにした。
なにか手がかりを見落としているような、そんな感覚に襲われながら。
駐車場から丘をくだる途中。
さっきの階段の一件で無駄に精神が疲弊してしまったらしい。後部座席に座らせてもらった。ドッペルゲンガーとの接触から比べればたいしたことなどないんだろうが、高所恐怖症が吹き抜け階段を歩くのはすごい怖いんだ。うん。
と、さきほどの湧き上がる恐怖から目を背けようと窓の外を眺めていると、並木の奥に学校の校門が見えた。
「柳井さん!」
色の薄い世界で見かけたのとまったく同じ高校。
それが、いま、目の前にあった。





