12-04 接触の確率が一番高いのは、入れ替わり時とその周辺の短い時間だろう
もう一つの世界でも消えてしまった霧島榛名。翌朝、霧島家、榛名の部屋で突然大学ノートが出現する。
大学ノートを受け取り、俺はページをめくる。
目についたのは、最初に書き込まれた日付。そこには、七月一四日と書かれていた。
「七月一四日に、野幌森林公園……」
「ああ。それが最初なんだろう。読んでいけばわかるが、その野幌森林公園の百年記念塔で、色の薄い世界に迷い込んだようだ」
俺は読み進めていく。
北海道百年記念塔の階段を、彼女は杖をついた脚でのぼっていった。
五階と六階のあいだの踊り場に着いたところで、彼女は違和感に気づく。
世界の色彩が希薄さ。
人のいない世界。
ある単語を見て気づく。
丘の上。
あの「色の薄い世界」の駅がある場所は、野幌森林公園なのだろうか。
彼女はその色の薄い世界でのどが渇き、自動販売機でファンタグレープを買い、飲んだ。
その行為自体は、とくに問題ないように思えた。
しかし、彼女がオカ研世界で相談した柳井さんによれば、黄泉竈食ひ――ヨモツヘグイ――つまり、色の薄い世界を黄泉の国と見立てて、あの世の食べ物を口にしてしまった恐れがある、と言われてしまう。
ヨモツヘグイは、たしか映研世界での榛名のノートにも書かれていた言葉。日本神話では、あの世の食べ物を口にすると現世には戻れないと言われている。
そこからあとは俺と同じだ。
二つの世界を行き来して並行世界の存在に気づき、大学ノートによるインフレーションののち、ドッペルゲンガーと遭遇する。
そして、雨の日の八月七日。
タイムリミットとなったその日の一〇時二一分に、誰も巻き込まないよう一人で野幌森林公園へ向かった。
なぜ彼女は向かったのか。なぜ誰も巻き込ませない、という言葉が出てきたのかはわからない。俺の大学ノートのように、ページの半分を過ぎたあとは、ほぼ真っ黒に塗りつぶされていたからだ。
そして、おそらく俺は、
彼女を追った。
雨の中を必死に走って。
最後のページには、映研世界の霧島榛名のノートと同じように、俺を巻き込んでしまったことの謝罪の言葉がしたためられていた。
――彼女が、俺を好きになってしまったことに対する謝罪も。
……なんで、こんな形でラブレターを受け取らなくちゃならないんだよ。
――……ごめんね
霧島榛名が俺を見て、涙を流しながら言ったあのひと言が目に浮かぶ。けれど、ここに書かれている大半の――八月七日以前の出来事を、俺は思い出すことができない。それが、とても――
顔をあげると、柳井さんがうなずく。
「ちばちゃんの話によれば、このノートが今朝いきなりこの机の上に現れたらしい。榛名は、このノートを読むまえに消えてしまったんだと思う」
そうか。昨日の夕方に言っていた榛名の言葉、
――本当になにも無かったかのように、普通の、日常に戻ると思うんだ
あれは、このノートを読んだからじゃないのか。
三馬さんがインスピレーションを感じたのとおなじように、榛名の感じた勘というやつは、この事態になることを虫の知らせで気づいてしまっていたのかもしれない。
榛名の部屋を見まわしてみると、父親の形見らしいエアガンや模型などと一緒に、女の子らしいバッグや衣服がハンガーにかけられている。そして、榛名の机にはゲーミング用のパソコンと作業用マットの上に、作りかけの軍艦模型が二隻飾られていた。
「霧島と、……榛名だな」
俺の目線の先のを見て柳井さんが言う。
「磯野、俺はこのあと親御さんのために、警察に連絡と捜索願いの届け出に付き添う。おまえは、千尋と怜と三人で一度家に帰れ。三馬との連絡の目処が取れ次第、合流してこれからの対策を立てる」
「柳井さん、けど、俺は――」
「昨日も言ったろ。覚悟しろって。つまり、最善の状況を作るために、最善のコンディションを整えろってことだ。ここからが正念場だ。寝れるときに寝て、食えるときに食って備えろ。そしてそのひどい顔をなんとかしろ。必ず連絡する。いいな」
自宅に戻った時間は正午過ぎ。
八月二三日 一二時一八分。
俺はそのまま布団に沈み込んだ。
何時間が経過したのだろう。気づいたときには、すでに夕方だった。
俺は着替えもせずに、そのまま寝ていたらしい。
体の重さは、すこしは抜けた気がする。
このだるさは、なにかに祟られているような、のしかかれた感じだった。それ自体は依然抜けていないのだが、体力は回復した、そんな感じだった。
スマートフォンを見ると、何度にもわたって、着信とSNSからの通知が並んでいた。待受画面からホーム画面に入ったところで、俺は凍りつく。そこに表示されていた日付は、
八月二四日 一七時三分。
え?
もう一度見るが間違いない。……俺は二四時間以上寝ていたらしい。
俺は慌てて、二桁はある柳井さんの着信からかけ直した。
「もしもし! すみません!」
「ああ、磯野か。こっちは大丈夫だ。ちゃんと休めたか」
「……ええ。一日以上寝ていたらしいです」
電話のむこうから笑い声が聞こえてきた。
「それだけ休めば大丈夫だな。寝起きで悪いが部室に来れるか? このあと三馬の時間が空くらしい」
「はい、もちろんです!」
ああ、ここからだ。
俺はタンスから着替えを引っ張り出した。
居間を通り抜けるところで母親がいたので、なぜ起こさなかったのかと文句を言うと、何度呼んでも部屋から出てこないから、心配して様子を見に来たらしい。そして、俺がいびきをかいて寝ているのを見て安心して放っておいたそうだ。まあ、放っておいてもらって、ありがたかったのかもしれない。
俺は母親にサンキューとひと言告げると、風呂場を借りてシャワーを浴びた。
八月二四日 十九時三七分。
部室に到着すると、柳井さんと千尋と怜、そして三馬さんが俺を出迎えた。
「ごきげんよう。一日以上寝ていたんだって? 過労ってやつだね。この先の人生、そういう経験もたまにあったりするからね。あまり経験したくないものだが」
「ははは……面目ないです」
「さて、良い結果を得るために、これから霧島榛名さんを救うための対策を立てることにしよう」
俺は、映研世界にいた一六日から二二日までのあいだに起こったことを、もう一度話した。
映研世界での霧島榛名の大学ノートとの接触。
三馬さんによる世界の状況の解説。
未来からのメッセージ――世界の変質化のさきにある世界の静止と色の薄い世界化。
映研世界でドッペルゲンガーとの接触を狙うことで変質化を進め、二つの世界の入れ替わり時の距離と、色の薄い世界の滞在時間の拡大させようとしたこと。
入れ替わり直前のドッペルゲンガーの出現と接触。
そのとき、ドッペルゲンガー側の世界に俺が収束されたこと。
ドッペルゲンガーとの接触は、消耗と一時的にではあるが強烈に死を望むようになること。
ドッペルゲンガーの出現と同様、入れ替わり直前に霧島榛名が発見されたこと。
入れ替わり時に現れた「ワームホールのような空間」と色の薄い世界の滞在時間は確実に増えたが、それは十秒程度に過ぎなかったこと。
俺が話し終わると、三馬さんは一つうなずいてから言った。
「なるほど。おそらくだが、映研世界の霧島榛名さんの救出は上手くいかなかったようだね」
三馬さんの言葉に、俺は茫然自失する。
昨晩のジョンの散歩までの平和だった時間。それが、榛名の消失という事態におちいり、さらに、救われたと思われた世界の危機が、いまだに解決していないことを告げられたのだ。
いや、この世界で榛名が消失した時点で、俺は薄々気づいていたのだろう。けれど、それでも俺が現実世界から消えて色の薄い世界から何度も戻って来たように、榛名もまたいつのまにか涼しい顔をしてひょっこり戻ってくることもまた、どこかで期待していたんだ。
「磯野君、君の今の話で目標が一つに絞れたよ。霧島榛名さんだ。彼女との接触でしか世界を元に戻せない。これまでの話をまとめると、接触の確率が一番高いのは、入れ替わり時とその周辺の短い時間だろう」
三馬さんは俺から、サークルメンバーに視線を移し見渡す。
「つまり、次の入れ替わり時間、
――八月三一日 二一時二四分三二秒
この時間に合わせて霧島榛名さんを発見出来る方法を見つけ出すことが我々の使命だ」





