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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
12.八月三一日二一時二四分三二秒
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12-02 むこうの世界でさ、会ってきたよ。榛名のお父さんに

 このままいけば世界は元通りに戻ると知り安堵した磯野は、眠りへと落ちる。ソファで目覚めると、目のまえに榛名がいて――

挿絵(By みてみん)


 俺は二時間近く寝ていたのか。


 あの半覚醒はんかくせい状態じょうたいの浅い眠りで、無理むりやり金縛りから抜け出そうとしていたんだ。疲れが取れてないのも無理はない。入れ替わった直後よりは余程(よほど)ましなのだろうが。


 ノーリアクションのままったらかしにしていた霧島榛名。

 彼女は、絵に描いたような、なんとも味のあるしょんぼり顔をしていた。


 俺はおびまじりに、ひとつびをしてからこう言った。


「なあ、俺が寝てるあいだに、イタズラ書きなんぞしとらんだろうな」


 俺の台詞に、榛名は水を得た魚のように顔をほころばせて、


すきだらけだったからな。してもよかったんだけどな」


 なんだろう。かわいいやつだなこいつは。

 思ったとおりのリアクションに、なんだかこっちの顔までゆるみだしそうになる。


 テーブルの上に置かれたコカ・コーラのペットボトルボトルをあけて、ひと口飲んだ。ぬるい。


「榛名は相変あいかわらず元気そうだな」

「それはこっちのセリフだ。さっきは本当に顔色ひどかったぞ?」


 さっき、ということは、いまの俺の顔はすこしはマシになっているってことか。


「ほかのみんなは?」

「竹内は今日は早めに帰ったぞ。会長と千代田なら、いま九月祭くがつさい実行委員会じっこういいんかいに行ってるぞ。ほれ」


 そう言って指差ゆびさすホワイトボードを見ると、焼きそばに丸がつけられて、その下に、八尺様はっしゃくさまやグレイがた宇宙人うちゅうじん(サイン)、座敷ざしきわらしなどの都市伝説系としでんせつけい妖怪ようかい? の名前が書かれていた。


「……おい、今年も焼きそば屋台やたいかよ」

「今年も、とは言うが、わたしと千葉ちはははじめてだぞ」


 榛名はそう言ってふふっと笑う。


「わたしの八尺様姿(すがた)が見られるぞ。それに学祭がくさいの時間が合えば千葉も座敷わらしをするぞ」


 ……なんだよそれは。

 ただの白いワンピース姿の榛名と、ちゃんちゃんこを着たちばちゃんしか思い浮かばんじゃないか。うむ、それはそれで見てみたい気もする。


「てことは、怜がグレイ型宇宙人か?」


 ぷっと榛名はき出した。

 まあ、ちがうわな。


「千代田は絶対ぜったいやらないだろ。竹内だよ竹内。すごいやりたそうだったからな、あいつ。けど、それはわたしたちが許さんけどな」

「許さんって、どうするんだよ」

「いやあ、竹内はやっぱり女装させてなんぼだろ」


 それな! と言いかけた俺だったが、なんとか口に出すのをとどめた。

 ……すまん千尋。止める言葉でも持ち合わせていればよかったんだが。


「まあ、千代田がやるとするなら猫娘ねこむすめとかでいいんじゃないか?」


 うん、もうそれって都市伝説とか関係ないよな。


 榛名とちばちゃん、二人のことを意識いしきしたところで思い出す。

 そう、俺はむこうの世界で「ことづて」を言い付かっていたんだ。けど、どう伝えたものだろうか――


「なあ、榛名」

「ん?」

「ひさしぶりに、キャッチボールしようか」




 午後五時をまわった空はすっかりオレンジ色に染まり、校舎こうしゃとグラウンドを照らしていた。そんな中、り状態のグラウンドで二人、キャッチボールをしている。


 榛名とのキャッチボールの思い出は、入れ替わりに最初に気づいた八月八日。あの日を境に突然(とつぜん)浮かび上がった、もう一人の俺の記憶きおく


 俺にとっては後付(あとづ)けの記憶である。それでも霧島榛名と共有きょうゆうしているこの空間くうかんと時間は、一年間の二人の思い出、というノスタルジーにひたらせてくれた。こっちの世界の俺が社会人となり年老としおいたとき、この光景こうけいは、いま浸っている懐かしさの何倍にもなって、心に響くものになっているのだろう。


 そう考えてみると、この世界の俺がすこし(うらや)ましくなった。


 榛名は相変わらずいい球を投げてくる。

 榛名の球をグローブで受け、それなりにいきおいのある球を投げ返してやると、これまた器用きようにキャッチする。小さいころから、あの父親とこうやってキャッチボールをしていたんだろう。


 彼女との時間を共有するなか、ふと思う。

 霧島榛名は、人前ひとまえでは平気へいきな顔をする。


 けど、本当は――それを周囲に、とくに妹のちばちゃんに悟らせないためにやせ我慢がまんする、そういうやつだ。そんな榛名のことを――


 と、考えごとをしているのがわるかったのか、俺の投げた球は榛名の左へとすっぽ抜けた。それでも榛名は、腕を伸ばして上手じょうずにキャッチした。


下手へたくそー」

「わりい」


 榛名は笑ってため息をつく。


「磯野さあ、さっきから考えごとしてるだろ。なんかなやみごとでも……、いまの磯野は悩みごとだらけだったな」


 おまえのことを考えてるんだよ。

 ……とは、口には出せなかった。


「ちょっと休憩きゅうけい


 榛名はそう言うと、グラウンドはしのベンチへと歩きはじめた。

 俺もそのあとを追う。


 グラウンドに差し込んでいた夕焼けは、そろそろ遠くに見えるビルのかげかくれそうだった。


「なあ、磯野」

「ん?」


 榛名は、足を止めて沈んでいく夕陽ゆうひを見る。


「あんま無理するなよ。ここ最近さいきん、落ち着くことなかっただろう?」


 俺のことばかり気をつかいやがってと思ったが、さっきのドッペルゲンガーで、相当そうとう消耗しょうもうしているらしい。だれが見ても「無理をするな」と言いたくなるような顔を、いま俺はしているのかもしれない。


「たぶんだけど、あともう少ししたらなにも無かったように、本当になにも無かったかのように、普通の、日常にちじょうに戻ると思うんだ」


 え?


 突然の榛名の言葉に、俺は動揺どうようしてしまう。


「榛名、おまえなにか知っているのか?」


 榛名は振り返り笑顔を見せる。


「ううん、ただのかんだよ」


 横顔よこがおをむけたまま、榛名はそう言う。


「わたしはね、この世界が好きだし、この世界にいるみんなのことも好きだし。だからさ、


 ――もとに戻ると思うんだ」


 その言葉がなにを意味しているのか、俺にはわからない。けれど――


 彼女の顔は、とても穏やかで、けど、どこかはかなげな、いつか消え去ってしまうかのような、そんな空気をまとっていた。

 


「榛名」

「ん?」

「むこうの世界でさ、会ってきたよ。榛名のお父さんに」


 榛名は俺の言葉に振り向いたあと、うつむく。


「……そう、か」


 俺もまた、榛名の足もとに目を落とす。

 いまから話すこと。彼女に伝えなければならないこと。それが、彼女を見つめていることを俺に躊躇(ためら)わせるのだろう。


 彼女のサンダルから見える榛名の指と、土の地面じめん視線しせんさせながら、俺はふたたび、もう一度、口をひらいた。


「それで、お父さんが榛名にって――」



****



 八月一七日の午後四時過ぎ。

 ()()()れる霧島家の玄関げんかんで、榛名のお父さんは俺を呼び止め、こう伝えてきた。


「もう一つの世界があって、そこに僕の知らない、もう一人のむすめがいることがとても不思議ふしぎでね。けど、その子の話を聞くと、やっぱり、僕の娘なんだなって、そう思ったんだ。


 まわりの目を気にするわりに、人に頼るのが下手で、それでいて、僕みたいに、頑固がんこで、一人でかかえ込んで。


 とてもよくわかるんだ。うん。わかるんだよ。


 頑張がんばってきたんだなって、

 二年間。ずっと。


 とても、とてもなやんで、それでも、そんな素振りも見せないで、いままで僕のわりをやってくれて。けどね千葉も、お母さんも、榛名のこと、ちゃんと見ていてくれているから。


 それもまた、わかるから。

 だからね――



 ありがとう、榛名。

 もう、大丈夫だから」



****



 夕陽ゆうひに照らされたグラウンドに、

 しずくが数滴すうてきみ込んでいく。



 顔を上げると、

 消え入る夕陽の中で、榛名は、



 泣いた。

 泣いた。

 声を上げて。



 いままでの、父が亡くなってからの、すべてを。

 ずっと、めつづけていた自分自身から、



 やっと、ゆるされたように。



 八月の余韻よいんは俺たち二人をつつみ込み、ゆっくりとれていった。




 泣くだけ泣いたのか、榛名は、俺に顔をむけてきた。


 榛名にどんな顔をしてやればいいのかわからなかった。

 けれど、おそらく、俺は、微笑ほほえんでいたにちがいない。


 ああそうだ。

 こいつはやっと、無理をしていないその顔を、俺にむけてくれたのだから。


なさけないすがたをみせた」


 鼻をすすり、手のこうなみだをぬぐいながら、どっかのさむらいのような、おぼつかない口調くちょうで榛名はそう言う。


 まったくおまえってやつは。


 俺は数歩近づき、背中に腕をまわし、胸を貸してやる。

 榛名はそのまま俺の胸に顔をうずめた。


 榛名の頭をでながら、もうすっかり沈んだ夕陽の残光ざんこうに、俺は目をむけた。


「礒野って、いいやつだな」


 榛名は顔をうずめたまま言った。

 いまさらなに言いだすんだよ。


当然とうぜんだろうが」


 榛名は、ゆっくり顔をあげて、になった目で俺を見た。そして、もう一度、俺の胸に顔をうずめたあと――


 び――――――っ


「おい! シャツで鼻かむんじゃねえよ! きたねえだろ!」


 こうして、八月二二日は終わった。

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