12-01 ……なあ千尋、次の入れ替わりはいつになる?
現実世界でのドッペルゲンガーとの接触、世界に存在しないはずの霧島榛名の発見の直後、磯野はもう一つの世界へと飛ばされ、
八月二二日 一四時四四分。
入れ替わり直後。
俺は、柳井さんと竹内千尋とオカルト研究会の部室で対面していた。
「磯野、すごく顔色が悪いよ。なにがあったの?」
一方の柳井さんは、スマートフォンを操作して耳もとに添えた。
いや、そんなことより、たったいま二人に訊かなければならないことを口にする。
「……向こうの世界で、俺はドッペルゲンガーと――」
ちがう。
入れ替わる瞬間に霧島榛名が現れたんだ。そのことを、むこうの俺はちゃんと把握したうえで、彼女を救いにむかっているのか?
「なあ千尋、入れ替わったもう一人の俺は、この世界の危機と、救う方法を――」
「磯野、三馬だ」
柳井さんが、スマートフォンを差し出してくる。
ああ、三馬さんなら。
俺はうなずき、すがるように受け取った。
「あの……こっちでは――」
「すまない磯野君、一つだけだ。まず一つだけ質問をしたい。一七日、八月一七日の一九時をを過ぎたあたりに、映研世界で何か起こらなかったかね?」
三馬さんもまた、慌てた様子で早口でまくし立ててくる。
一七日の一九時過ぎ……?
その時間は三馬さんが部室を訪れて三〇分くらい経った……それって……!
「あの、その時間にこっちの世界でも、未来からのメッセージが書き込まれたんですか?」
俺の言葉に、柳井さんと千尋が注目した。
「そうか、やはりそうか……! そのメッセージについて少し詳しく話してくれないだろうか」
「ええと、もう忘れてしまいましたが、『地球の静止する日』という映画に出てくるとある呪文のような台詞が書かれたあとに、世界各国の科学者たち、ええと……NASAとかの研究機関の署名がたくさん書かれはじめて――」
三馬さんは唸った。
「……素晴らしい! 未来の我われは世界中の科学者たちを味方につけ、未来から過去へ通信する方法を見つけ出したのか。それにしても、なかなか洒落たことをするな未来の我われは」
ということは……。
「あの……この世界の大学ノートの最後のページには書かれていないんですか?」
「そうか。やはり大学ノートを使っていたんだね。いま手元にあるが、こちらの最後のページは……まだ白紙だな」
電話越しに聞こえてきた、ページをめくる音がおさまる。
「そう、その映研世界での大学ノートの最後のページに、メッセージが書き込まれた、おそらくその時間に、
――インスピレーションが湧いたんだ。
そちらのメッセージと同じく、世界が止まってしまうその危機と対策が」
三馬さんの言葉に、俺は何度もうなずいてしまう。
「そうです! だから、こちらではドッペルゲンガーと接触して世界の変質化を進めて、入れ替わり間際に、霧島榛名が――」
「接触出来たのかね?」
「いえ。その直後、色の薄い世界に」
「滞在時間は、延びていたのかい?」
「ええ、けど、一〇数秒程度ですが。あの、うかがいますが、もう一人の俺には――」
「伝えてある。入れ替わりのあと、霧島榛名さんの居場所が分かればすぐにむかっているはずだ」
それだけわかれば十分だった。
俺は倒れるように、うしろのソファへ体を沈めた。
「磯野!」
心配ない、と千尋に手を振った。
「こちらの世界では、変質化を抑えるためになるべく普段と同じ行動をもう一人の磯野君にとってもらっていた。いま現在、もう一人の磯野君が霧島榛名さんと接触していれば、彼女を連れ戻してくれるだろう。つかんだ手を離さぬよう伝えておいた。あとは彼女を連れ戻した瞬間か、次の入れ替わりで、二人の磯野君がそれぞれもとの世界へ戻れれば、世界は元通りになるはずだ。だからまずは、ゆっくり休むといい」
三馬さんとの話は終わった。
俺は柳井さんにスマートフォンを返す。
「その様子だと大丈夫そうだな。俺たちも詳しい話が訊きたいが……まあいい。少し休め」
柳井さんの言葉に、俺はたぶん、苦笑いでも浮かべて応えていたのだろう。というのも、本当は笑顔を浮かべたかったんだが、どうもあのさっきのドッペルゲンガーとの接触のせいなのか、うまく体が動かない。
次第に、まぶたが重くなっていく。けど、あとは、
――待っていれば、この世界の危機が終わる。
それがわかると、いままで背負っていたものをすべて下ろしてしまえるような、やっと気が晴れるような心地よさが俺を襲ってきた。
「……なあ千尋、次の入れ替わりはいつになる?」
ソファに沈み目を閉じたままの俺の問いに、千尋はパソコンのマウスとキーボードの操作音を部室に響かせた。
「八月三一日 二一時二四分三二秒。……あと九日と七時間弱だね」
……九日か。
まったく、笑いたくなる。残りの九日間を、このなにもする必要のないオカルト研究会の世界で過ごすことになるのか。
俺の体は、まるで鉛のような重さでソファに押しつけられていく。
そのまますべてを手放すように、意識がゆっくりと消えていった。
気だるさが体をソファに沈み込ませたまま、浅い眠りのなかで懐かしいやり取りが耳をかすめた。
コンビニから帰ってきた千代田怜。
「ただいまー」「ダメだよ怜、磯野寝てるから」「……あ、ごめん」などと、そんな受け答えがかすかに耳に届いた。
交わされる言葉とともにカサカサと耳にさわる音が聞こえてくる。
柳井さんと竹内千尋にアイスを配っているらしい。
いつかのあのときも、ジャイアントコーンとスーパーカップのバニラ味だった気がする。俺の目の前のテーブルにも、コカ・コーラのペットボトルが置かれたようだ。
俺はぼんやりした意識の中、のどの渇きを潤そうと、身を起こして手を伸ばそうとした。
しかし、気づいたときにはぐったりとソファに沈み込んだ状態に戻る。また身体を、起こして、手を伸ばす。いつの間にか沈み込んむ。もう一度、重い体を起こして、手を。
何度も、何度も繰り返し、それが金縛り状態であることに気づいて、動くことをあきらめてしまったころ、薄っすらと目を覚ました鼻さきに、薄っすらとオレンジ色に染められた霧島榛名の顔があった。
「うおう?」
榛名は俺が気がついたことに驚いたのか、うしろへと身体を反り返った。
薄手のカーディガンがかけられていることに、気づいた。
このカーディガン。見たことがある。
「榛名、これ、おまえのか?」
「……あ、うん」
なんだか照れくさそうにしている榛名に、ツッコミのひとつでもを入れるべきなんだろうが、それよりも気になることが口に出た。
「……いま何時だ?」
意外な問いだったのか、今度はわざとらしい戸惑いの素振りを榛名は見せたあと、それも不発だと気づいたのか、素直に尻ポケットからスマートフォンを出し待受画面を見た。
「一六時……四〇分かな。よっぽど疲れてたんだな」
そうか。このオレンジは夕方か。
窓を見ると、夕焼けというにはまだ早いが、それでもアンバーに傾いた光が差し込んで、部室をあたたかな色に染め上げていた。そして、いつも通りのタンクトップにショートパンツ、そしてサンダルの榛名は、野球少年のようにその中に佇んでいた。





