11-06 彼女の手を絶対に離さないことだ
映研メンバー全員での磯野のドッペルゲンガーの捜索。接触により一方の世界の変質化を促すことで、入れ替わり時に生まれる隙間の時間を広げようとして、
墓守……その不吉な言葉に、一二日のあの晩に迷い込んだ色の薄い世界のプラットホームでの、どうにも曖昧なあの存在に、ざらついた感覚が胸を触った。
三馬さんは苦笑いをしながら手を振る。
「見当のつかないことを考えるのはよそう」
三馬さんはホワイトボードのXY軸の交点ゼロ点を中心とした、例の波紋円を描き、変質化した世界の曲線との交点をそれぞれ指差した。
「我々がやらなければならないのは、この映研世界とオカ研世界の距離を引き離すことだ」
え? けど、そんなことをしたら――
「あの、オカ研世界では二つの世界を引き離すと二つの世界の行き来自体が難しくなると言われたんですが」
「ああ、私も最初はそう思ったんだ。ドッペルゲンガーとの接触による世界の変質化。これが行われることで、二つの世界の距離が拡大し、往来が困難になるとね。しかしそれは間違いだった。一昨日、磯野君が世界を行き来しても時間的な影響はなかった」
たしかに、一昨日この世界に切り替わった瞬間はあのフィボナッチ数列により求められた時間からずれていなかった。そう、あの日の入れ替わり時間も、八月一六日 二一時〇四分五七秒ちょうど。
「それでも、二つの世界の距離は確実に拡大している。それはね、ドッペルゲンガーが出現した瞬間から、この図のように急激にカーブがかかりはじめたんだ。だからその影響は二つ世界を結ぶ波紋円の弧の距離が延びることで反映された。一昨日の晩、磯野君が体験した通り、いままでの入れ替わりとは違い、あの入れ替わりはワームホールのような空間と色の薄い世界の滞在時間を君が意識出来るまでに。映研世界とオカ研世界、そう二つの世界の距離が、人間が体感出来る時間にまで拡大してしまったんだよ」
三馬さんは変質化した世界の曲線を結ぶ波紋円の弧をなぞった。
「つまりだ。この距離をさらに広げれば、霧島榛名さんのいる色の薄い世界への滞在時間を増やせる。霧島榛名さんの捜索時間を稼げるわけだ」
三馬さんは二つの曲線の下の方にオカ研世界と書き、上の曲線はさらにカーブをキツく描き直して、映研世界と書く。
「距離を増やすには、一方の世界は変質化を進めることでさらにカーブをかけ、もう一方の世界は変質化を抑えることでカーブを最小限にとどめれば良い。そこで、図のように我々映研世界をさらに変質化させてカーブさせる。一方のオカ研世界で未来からどのようなメッセージが送られているかは分からないが、おそらく、オカ研世界の私が変質化を抑えるようにはたらくだろう」
「三馬、なぜオカ研世界は変質化を防ぐ方法に動くと思うんだ?」
三馬さんは柳井さんを見て、自身の頭を人差し指で軽く叩く。
「降りてきたんだよ。昨晩遅くに、インスピレーションってやつがね。これはただの勘ではないだろう。並行世界の無数の私や、未来からの私の意思が、まるで重力のように、次元を越えて伝播してきたのではないかと思う。……この状況を正常化された世界でも使えれば、私もラマヌジャンのような偉大な科学者になれるのかもしれないがね」
三馬さんは、よしと言って全員を見回す。
「では、皆さんには霧島榛名さんを救い出すための準備をしてもらおう。磯野君のドッペルゲンガーを手分けして探し、磯野君と接触させる。そうすることでこの世界の異質化をうながし、さらに映研世界の時間の流れにカーブがかかるよう仕向ける」
三馬さんはホワイトボードの二つの世界の曲線を再び指差す。
「そうすれば次の入れ替わり時に波紋の弧の距離が延びる。過去へ向かう距離が延び、色の薄い世界への滞在時間が増える。これが増えれば増えるほど霧島榛名さんを見つけ出すチャンスが生まれる。理想を言えば、磯野君と柳井には見えるらしい、この世界に漂う霧島榛名さんを見つけ出せれば最高だな。もし見つけ出せたそのときは――
――彼女の手を絶対に離さないことだ。
ただその場で待っていればいい。『時空のおっさん』なる存在が駆けつけてくるだろう」
俺は、湧き上がるものを感じながら、うなずく。
何度も何度も、思い出しては悔やまれる、十二日の晩。
手を離してしまったあの瞬間の、目の前から消えてしまう直前の榛名の瞳。
あの悔しさがあるからこそ。そうだ、今度こそ、榛名を見つけたら、
――絶対に離してやるものか。
八月七日の、一〇時二一分以前の記憶なんか覚えちゃいない。だがな、榛名の、あの目を見た瞬間に、俺の中で、あいつのことを大切な存在だと認めちまったんだ。なぜなのかなんて、そんなことはどうでもいい。霧島榛名を救い出すために、俺はここにいるんだ。
三馬さんはホワイトボードを見つめながら、小さくため息をつく。
「二人ともこの現実世界に戻されれば、特異点Ⅰのように、霧島榛名さんがいる状態で世界が再構築されるだろう。そうなればその世界に歪みとなるものは存在しないはずだ。我々は正常な世界を取り戻せるだろう。いま私が考えられうる最善の方法だ」
自身の考えを、それが正しいか確認するように、三馬さんは口にした。
「未来の我々や学者たちが、私たちにこの世界を託しているのであれば、この方法は正しいはずだ」
そして、静かにひとりうなずいた。
昨晩の「文字の浮かび上がり現象」。
あれがあったからこそ、この仮説を推し進めようとしている。その一方で、その後押しがあるにもかかわらず、三馬さんにも迷いがあるのだろうと感じた。三馬さんの仮説が正しいかどうかは、正直俺にはわからない。けれど、霧島榛名を救い出すことが世界を救うことにつながるのなら、これ以上わかりやすい目標はない。
視線を感じた。
千代田怜を見ると、俺と視線が交差し、憂鬱そうな瞳があらぬほうへとむいた。
……そうだよな。三馬さんの言葉と、いまの俺を見ればどうしてもわかっちゃうよな。撮影旅行の夜からずっと、俺と、もう一人の俺が世界を行き来するなかで、怜は――
「あの、磯野ちゃんのドッペルゲンガーを探すってよくわからないですが、レアポケモンとどっちが確率低いですか?」
今川から投げかけられた間の抜けた質問に、なんだか調子を狂わされる。俺はポケモンかよ。モンスターボール投げつけられるのかよ。
「レアポケモンよりはるかに確率は低いだろうね。今までにオカ研世界で二回、この映研世界で一回の目撃があるが、今回こちらから見つけ出そうとするなら、難易度は格段に上がるだろう」
「うわあ、それって見つけ出すどころじゃないじゃないですか」
世界の危機らしいのに、なんなんだろうこののどかな空気は。
「次の入れ替わりは二二日の一四時四四分〇七秒だ。さあ、これから我々の手で世界を救うとしよう」
三馬さんは、そう言って笑った。





