11-04 おそらくだがこのノートのそばに、未来の我々もいる
世界の変質化をひろげる波紋円の弧が、磯野の通った五次元ワームホール的空間であると判る。世界の移動時にタイムトラベルが発生したと三馬は指摘し、
タイムトラベル。
この図をみるとたしかにその通りなのだろう。が、改めて言葉にしてみるとまるで他人ごとのように思えてしまうくらい、話がピンとこない。
柳井さんがソファから身を乗り出して指摘する。
「なあ三馬、この波紋円の弧がワームホールのような役割の空間を有しているなら、この波紋円の弧、つまりオカ研世界から通り抜けて円周をひたすらに進めば、八月七日以前の過去へと移動できるんじゃないのか?」
三馬さんは柳井さんの言葉にあわせて、緑色ペンで映研の世界線の交点から波紋円の円周を上になぞり、もう一方の横線の交点まで滑らせた。
「ああ。だが柳井、そう簡単にはいかくてな。もしこの仮説が正しかったとしても、オカ研世界を越えて八月七日以前の過去へ向かう具体的な方法が思いつかない。そしてもし、オカ研世界を越えられたとしても波紋円の円周を通り過去へ訪れるということは、入れ替わった先の磯野君が現在に送られて来なければならない。それにオカ研世界との入れ替わりでさえ、どういう力がはたらいているのか見当もつかないんだ。そもそもタイムトラベルに成功した磯野君が八月七日以前に存在すること自体、親殺しのパラドックス以前に、世界に新たな歪みを生むことになる」
柳井さんは、なるほどと腕を組んで唸った。
親殺しのパラドックス。
たしか、タイムパラドックスの話だよな。
例えば、俺が両親が出会うまえにタイムスリップをしてどちらかを殺してしまったら、俺は生まれることがない。けど、そうなると誰が親を殺したことになるのか、という話をだったと思うが。
俺はふと、テーブルにある二つの大学ノートへ目を移した。
……ノートに動くものが見える。
なんだろう、虫だろうか。
俺は身を起こして、二つ並ぶノートのうち、俺の大学ノートを見ると、
――クラトゥ・バラダ・ニクト
と、書かれていた。
……いや、その下にリアルタイムで文字が書かれ続けている。
これはいったいなんなんだ?
俺がノートに現在進行形で書き込まれている様子に釘づけになっていると、三馬さん、柳井さん、竹内千尋もまた、ソファへと回り込んで大学ノートをのぞき込んだ。
「こいつは……すごいぞ……ああ、なんてことだ!」
三馬さんは声をあげた。
大学ノートの最後のページに書かれたクラトゥ・バラダ・ニクトという一文から二行空けて、以下のアルファベットがゆっくりと書き加えられていく。
JAXA QST NASA FNAL……
「おい、三馬、これって……」
「ああ。我が国も含めた世界の研究機関だ。JAXA、QST――量子科学技術開発機構、そして、言わずと知れたNASAにフェルミ研究所、ニールス・ボーア研究所、キャンベルディッシュ研究所に……これはマックス・プランク物理学研究所か?」
このあいだも、一つずつ、しっかりと、各国のおそらく研究機関と大学の名前がノートに埋められていく。その文字は、ひとつひとつの筆跡がちがうのが明らかにわかる。複数の人々がこの大学ノートの最後のページに名前を連ねていっているのだろう。なぜ俺以外の人間の文字が反映されているのかわからないが。
「これは署名だ。世界中の、主に素粒子物理、量子分野と宇宙物理分野の研究機関の人間が、いま現在、リアルタイムにこのノートに書き込んでいる。……素晴らしい」
竹内千尋が目を輝かせてノートに指をさす。
「あ、これって日本のLHC――大型ハドロン衝突型加速器のATLASや、CERNまであるね。SLACって……」
「SLAC国立加速器研究所。アメリカの加速器研究所だな」
意味がわからない。
なんで、科学機関の名前がこの大学ノートに書き連ねられていくんだ?
「どういうことなんです?」
「未来の人類の叡智たちがこの大学ノートを通して、我々にむけてメッセージを送ってきたんだ。おそらくだがこのノートのそばに、未来の我々もいる」
三馬さんは「……そうか、そうなのか」と声を上げ天を仰いだ。
「この世界でもたまに、勝手に浮かび上がってきた一文――何者かの意思だと思っていたあのメッセージは、未来の我々であり、世界中の科学者たちの意思だったんだ。そして未来の、世界中の科学者たちが、我々に、
――世界を救え
そう言っているんだ」
……世界を救え? そんな大げさなことになっているのか?
「たったいま、霧島榛名の消失と俺のドッペルゲンガーの出現が起きていますが、これが世界の危機につながるんですか? それに危機だとしたら世界はどうなってしまうんです?」
三馬さんは黙ったまま、最初に浮かび上がった一文、
『クラトゥ・バラダ・ニクト』を指差した。
それでもわからない俺は、三馬さんに疑問を投げかける。
「……このエル・プサイ・コングルゥみたいな文字はなんなんです?」
「『地球の静止する日』だ」
柳井さんが即答した。
「柳井さん、それって……あのアニメのやつですか?」
「それは『ジャイアントロボ THE ANIMATION―地球が静止する日』だ」
「柳井、私はあのキアヌ・リーブスの微妙なやつだと思っていたんだか?」
千尋が「それはリメイク版の『地球が静止する日』ですよ」と笑顔で答えた。
一方の柳井さんはため息をついて、
「おまえら一九五一年のオリジナル版を観ろ。とても良いから。……じゃなくてだな。この『クラトゥ・バラダ・ニクト』という言葉は、劇中で地球を破滅に追いやるゴートというロボットの停止命令となるコードのことなんだよ。だが、なんでこんなわかりづらいひと言を、未来の学者たちが伝えてくるんだ? もっとこう、謎を解き明かすような美しい数式みたいなものが出てきてもいいだろうに。オイラーの公式とか……そういう――」
「柳井、君がいて、私がいるからだよ。メッセージを理解できる我われがいるからこそ、あえてこの映画の言葉を引用したんだ」
柳井さんは呆れ顔を三馬さんにむけた。
「……まったく世界の危機だってのに、この未来の俺たちと世界の科学者たちのユーモアレベルはいったい何パーセントなんだ?」
「おそらく75%くらいだろうな」
そう言って三馬さんは笑った。
「答えはいま柳井が言った通りだ。この世界は近い未来に静止する。その破滅を我々が阻止しなければならない。そして私は、いまもこのノートに署名され続けている世界の研究機関すべてを、これから説得しなければならなくなった。未来の我々のためにね」





