10-07 彼女に会ったら……いや、僕の娘たちに伝えてくれないか――
翌日、八月一七日。ちばちゃんから家族もまじえて話をしたいと言われ、磯野たちは霧島宅を訪れる。そして、とうとう大学ノートを目の前にし――
ずっと気になっていたこの大学ノート。
それがいま目の前にある。不思議と八月七日のような眩暈は起こらない。
「最初は千葉が見つけたんだ。ちょうど一週間前に僕も目を通してね。我が家には一人娘の千葉しかいないはずなのに、このノートにはこの子に姉がいることになっている」
「あの、見てもいいですか?」
俺は大学ノートを手に取った。
柳井さんと青葉綾乃が両脇からのぞき込んでくる中、ノートの最初のページをひらく。
日付は七月の……何日だ? 水に濡れたらしくひどく滲んでいる。
ペラペラと数ページめくると、いくつか読み取れる文字があるが、ほとんどは滲んでなにが書いてあるのか判別がつかない。しかし、ページが進むにつれて、ノートに書かれたインクの量が次第に多くなっているのがわかった。
「はじめは悪い冗談だと思って妻にも話していなかったんだが、最初のほうのページの読み取れる箇所に、このノートの書き手が、千葉のことを妹と書いてあってね。読み取れる箇所を見て行くと、この歳で恥ずかしい限りなんだが、僕の趣味を追っているような書き込みもあったんだ」
ちばちゃんのお父さんは、テーブルの反対側から俺の持っているノートをそのまま何ページかめくり、文章を指さした。
そこには、文学会や模型研、SF研にサバイバルゲーム館への入部について書かれていた。そして、
――オカルト研究会
やはりと言うべきか。
これを書いた榛名はオカ研世界を知っている。
柳井さんを見ると、愕然としたままノートに釘付けになっていた。
「あ、これって、ちばちゃんと一緒に行ったサークル……」
青葉綾乃の言葉にちばちゃんはうなずいた。
ちばちゃんは、たどたどしくも話しだす。
「わたし……このノートをなぜかわたしの部屋で見つけて……。わたしに姉がいたなんて思えないんだけど、けど、気になったから……綾乃ちゃんに……」
「それでわたしに連絡くれたんだ! あれって……」
青葉綾乃はスマートフォンを取り出しSNSの画面を見る。
「そうそう八月七日の午前十一時。いきなりでびっくりしたよ。このことだったんだ」
「……ごめんね」
「ううん。気にしないで」
青葉綾乃は、ちばちゃんに笑顔をむけた。
八月七日の午前十一時。
ちばちゃんと青葉綾乃がはじめて映研の部室を訪れた日時。そして、色の薄い世界に最初に迷い込んだ日だ。この大学ノートの出現は、おそらくこの日の午前一〇時二一分。そこから午後二時に映研を見学に来たわけか。
「あの、お父さん一つお伺いしてもいいですか?」
俺は一度ちばちゃんを見たあと尋ねた。
「ちばちゃん、いや、千葉さんの名前の由来は、えっと……第二次世界大戦の日本の戦車からとられているんですか?」
ちばちゃんは思わず両手で口を覆った。
ちばちゃんのお父さんは、その質問に面食らった顔をしたあと、決まりの悪い苦笑いを浮かべた。
「それは事実だ。千葉、よくそのことを――」
ちばちゃんのお父さんはそう言いかけてちばちゃんを見ると、ちばちゃんは両手で口を覆ったまま首を横に振った。
「あの……信じられないかもしれませんが、このノートを書いた霧島榛名からそのことを聞いたんです」
俺はいままで体験した出来事、特にオカ研世界での霧島榛名とちばちゃんとのこと。そして、この映研世界での霧島榛名との遭遇について伝えた。
ただし、オカ研世界でのお父さんが亡くなられていることは、伏せて。
ちばちゃんのお父さんは、事前にちばちゃんから話を聞いていたらしく、俺の話に真剣に聞き入っていた。が、榛名の趣味に関することや、ちばちゃんに対する姉としての気遣いなどの話が、特に気になるようだった。
ちばちゃんのお父さんは俺の話を聞いたあと、うつむいたまましばらく考え込んだ。そして、不安な顔のちばちゃんを見ながら口をひらいた。
「ここまで話してもらってなんだが、信じられない」
ちばちゃんのお父さんは、ふたたびノートに目をむける。
「けれど、榛名という子や事故を起こしたという話を聞いて、とても不思議なんだが既視感のようなものを感じるんだ。記憶にも感覚にも無いのに、どこかで体験したかのような――」
「……わたしも……わからないんですが、わたしもどこかで……この人と会ったことがあるような気がするんです」
既視感、デジャヴュというやつか。
俺も最近どこかで感じたことがあった気がするんだが……思い出せない。どこだったんだろう。
柳井さんが目の前の二人に話かけた。
「この磯野が巻き込まれている状況に関して、いろいろと調査を進めているんです。到底信じられないことでしょうが、お父さんと娘さんがお気になさっているそのノートと磯野の状況は、密接に関係しています。大変申し訳ないのですが、この大学ノートをしばらくお借りしてもよろしいでしょうか? もしかしたら、なにか新しい情報が得られるかも知れません。なにかわかりましたらすぐお伝えします」
頭を下げる柳井さんに習って、俺も頭を下げた。
「よしてくれ。こちらこそ、心に引っかかっていたことがなにかしら究明できるのであれば是非ともお願いしたい。もしなにかわかったら千葉に連絡をもらえると嬉しい。千葉、いいかい?」
ちばちゃんは父親にうなずいて、
「わたしからも……お願いします」
青葉綾乃はもう少し残るということで、俺と柳井さんの二人で霧島宅から失礼することとなった。
「磯野君」
帰り際、玄関でちばちゃんのお父さんから呼び止められた。
「むこうの僕は、すでにこの世にはいないらしいが」
ご存知だったのか。
気まずさにどう答えていいか迷っていると、
「いや、いいんだ。それより榛名という子は、僕のことを父としてとても慕ってくれているらしい。もし、彼女に会ったら……いや、僕の娘たちに伝えてくれないか――」
「なあ磯野」
地下鉄のシートに座る二人。
「その、むこうの世界のちばちゃんのお父さんは、亡くなられているんだろ? だが、こっちでは存命で、そのお父さんがむこうの姉妹へメッセージを送るわけだ。なんだろう、二人はどう感じるんだろうな。はたから見るに、なんともやるせないというか」
そう言った柳井さんは。どことなく遠い目を向けた。
「ええ。俺も同感です」
「厳密に言えば、メッセージを送る相手は彼女たちの父親ではない。しかし、やはり二人にとっては父親なんだ。彼女たちが聞きたい父親の声は、本当のところは、彼女たち二人を知っている、亡くなった父親のものだと思うんだ。それでも、ちがう世界からの……彼女たちを知らない父親のメッセージは……いや、すまない」
そのまま柳井さんは黙り込む。
――別の世界からの父親のメッセージ。
それは、はたして彼女たちにとって。
柳井さんの問いであり、俺もまた帰り道ずっと頭の中で自問しているその言葉。いまだ答えが出ない。そのまま、二人して無言になった。
柳井さんの言うとおり、正確にはあの二人の父親ではない。
二人は喜ぶのだろうか。それとも父親を失った悲しみが、ただよみがえってしまうだけなのだろうか。伝えることが、二人にとって良いことなのだろうか。大切な人を失った経験がないと、答えは、わからないのかもしれない。





