10-06 あ、磯野さん、まさか男の人に興味が……!?
過剰な並行世界のインフレーションと世界の変質化により、ドッペルゲンガーが発生。結果、磯野が片方の世界に取り残される可能性に気づき――
……青葉綾乃よ、毎度のように気管に攻撃仕掛けてくるのやめろ。
「あ、磯野さんに千代田さん! お二人だけですか?」
絵に描いたようなムフっとした顔をする青葉綾乃。
こいつは相変わらずだな。怜のほうをみると、こちらも絵に描いたように顔を真っ赤にしている。
……くそう。もともとが乙女なヤツだけにどうにもやりづらい。
「げほっ……ち、ちばちゃんからなにか連絡はないのかな?」
「やっぱり直接会わないと説得しようもなくて。明日、二学期の始業式なので、会ったらうまく誘導してみようと思います」
「明日、高校は始業式なのか」
強制エンカウントがあるのはありがたい。
青葉綾乃であっても、ちばちゃんをSNSだけで説得するのは難しいだろう。
「お、磯野と青葉も来てたのか」
「おつかれー」
柳井さんと竹内千尋が、部室に戻ってきた。
「わたしが、ちばちゃんから上手く引き出せればいいんですが」
青葉綾乃から、ここ最近のちばちゃんとのやり取り話を聞いた。
が、昨日SNSで確認したのとほぼ同じ内容だった。
めずらしく気を落とす青葉綾乃に、なんだか申し訳ない気持ちになる。というか、めずらしくとか失礼だな俺は。
「いや、頑張ってくれたのに悪い」
「やっぱり直接会える明日ですかねえ」
これで一日が無駄になるのは正直キツいな。
いまのうちにやれることはなにかないのだろうか。
「あの、竹内さん編集進みました?」
「うん! もう本編集だよー。効果音は入ってないけど、つなぎはいい感じになってきたよ。観るかい?」
「はい!」
青葉綾乃はパソコン前に移動した。
怜も腰を上げて、パソコン画面をチラ見しながら、
「綾乃ちゃん、明日始業式って宿題は大丈夫なの?」
「夏休みのはじめに、さっさと終わらせてたんでバッチリです!」
やっぱり、この子はしっかり者なんだろうな。
ただ「バッチリです」という台詞を聞くと、いつぞやの「日刊ちばちゃんのパンツ確認」が頭に浮かぶ。ちばちゃんのパンツも、宿題と同程度の扱いなのだろうか。
パソコンのスピーカーから映画のワンシーンが聴こえてくる。
千代田怜と青葉綾乃は「へー」とか「あ、あのときの画ですね」などとはしゃぎながら眺めていた。
そこへ通知音が鳴った。
「あ、わたしだ」
青葉綾乃は、スマホ画面を見て、
「磯野さん! ちばちゃんが磯野さんにお会いしたいって」
一四時十八分。
俺たちは、ちばちゃんの家に向かうために、地下鉄東西線に乗り換えた。
霧島家のご家族もまじえての話になるらしい。ぞろぞろと伺うのもはばかられるので、同行するのは柳井さんと、ご家族との交流もある青葉綾乃の三人。
ここ数日のあいだ、霧島家ではどういう話し合いがなされたのだろう。存在しない姉について……。常識的に考えて、これを真に受けることはないだろう。けれど、
――ご家族。
この世界のちばちゃんの父親はご健在なのだろうか。
「ねえ綾乃ちゃん。ちばちゃんのご家族とはよく会うんだよね?」
「はい。ちばちゃんのお母さんから、ちばちゃんのことを任されてますから」
「あの……ちばちゃんのお父さんとは話したりするの?」
「ええ。ちばちゃんのお父さんは面白い方ですよ」
そうか。
この世界ではご存命なのか。
喜ぶべきことなのだろう。
しかし、彼女は、もともとこの現実世界に存在していた。
それがいま、存在すらしていないのは、彼女の父親が生きていることと関係があるのだろうか。けれど、あのとき榛名は俺を見て、
――なんで? …どうして磯野君が
――だって……わたし……
あのときの霧島榛名の口ぶり。
喪失の根本には、やっぱり俺が関わっているのだろう。だったら――
「い、そ、の、さん!」
「え?」
「ほら、降りますよ。どうしたんですかー」
「……ああ、悪い悪い」
円山公園駅を降りて、円山公園の中を歩いていく。
公園内は、夏の日差しが木陰を作る、涼やかな空間だった。
「やっぱり、千代田さんかわいいですよ!」
「なんだよいきなり」
青葉綾乃は、さっきの部室での怜の様子にキュンときてしまったらしい。
「え、磯野さん、あの千代田さん見てもなにも感じないんですか?」
あざとく顔を覗き込んでくる青葉綾乃。
「これ、大人をおちょくるでない」
それについては異論はない。
さっきの怜は完全に憎たらしさが抜けて、乙女部分がカンストしてしまったからな。
「えー。千代田さん可愛すぎるのに……、あ、磯野さん、まさか男の人に興味が……!?」
「ちがうわ! やかましい」
霧島家での主題となる大学ノート。
ノートに書いてあることは、おおよその予測がついている。もし霧島榛名が俺と同じように二つの世界を行き来していたのだとしたら、文字のにじみや昨晩の塗りつぶされたページも、あのノートにあるに違いない。
つまり、俺がいままで経験してきた超常現象とおなじようなことが、あの大学ノートにも詳細に書かれているはずなんだ。それなら、このさき俺に起こる出来事だって、彼女の大学ノートには書かれている可能性は大きい。有効なドッペルゲンガー対策だって書かれているかもしれない。……けれど、それって――
「磯野さん、しわ寄っちゃってますよ」
青葉綾乃は、自分の眉間に人差し指をおいてのばして見せた。
いつの間にか険しい顔になっていたらしい。
「悪い。考えごとしててな」
「いいんですよ。けど、あまり思い詰めないでくださいね」
住宅街に入って一〇分程度歩くと、霧島宅に到着した。
そこそこ大きな一軒家。同じ一軒家でも、礒野家とは比較にならないくらいに立派な印象を受ける。
青葉綾乃がインターフォンを鳴らすと、年輩の男性の声が返事をした。
玄関がひらく。
ちばちゃんが出迎えた。
ブラウスに膝丈のスカート姿。
昨日、向こうの世界の喫茶店を思い出す。余所行きの格好なのだろう。ふと、十二日の晩の霧島榛名とだぶって見えてしまった。
「ありがとう、ちばちゃん」
俺がそう言うと、ちばちゃんは、どぎまぎしながらこくりとうなずいた。
客間に通されると、スラリとした初老の男性が出迎えた。
白髪混じりの穏やかな印象がありながらも、どこか活発な空気を纏っている。
「お父さん、こんにちは!」
「ありがとう、綾乃ちゃん」
初老の男性は、青葉綾乃にそう言ったあとこちらへ向きなおった。
「わざわざ着て来れてありがとう。千葉の父です」
そうか、この人が。
オカ研世界で亡くなっているはずの人を目の前にして、なんとも言えない気持ちになる。
「あの……はじめまして、磯野です」
「柳井です。このたびはお時間いただきありがとうございます」
ちばちゃんのお父さんは、いやいやと笑顔で手を振った。
「こちらこそお待たせしてすまない。今回のことは僕や千葉にとっても、どう受け止めて良いかわからなくてね」
ちばちゃんのお父さんはそう言うと、手でソファへとうながしてきた。
俺たちは勧められるまま腰をかける。ちばちゃんは、ポットと人数分の紅茶のカップを並べて注いだ。
「ありがとう、千葉。家内にもこの件については、すでに話していてね。けどいまは、残念ながら外に出てしまっていて」
ちばちゃんは、俺たちのまえにあるテーブルに、薄汚れた大学ノートを置いた。





