10-04 やはり、この空間の時は、止まっているのか
無数の世界線から書かれた大学ノートの解析の結果、一回の圧力のみの筆記だと判明する。その直後の文字の浮かび上がり現象によりノートは真っ黒に塗りつぶされ――
まるでその景色が、扉のように、
いくつも、いくつも、瞬く間に過ぎ去っていく。
つぎの瞬間、ある人物が、通り抜けていく。
「……おい!」
突然のできごとに、俺はおくれて声に出る。
俺が、すれちがったのは、
――「もう一人の俺」だった。
もう一人の俺は、俺のかけた声とともに虚空の彼方に消えていった。
そうか……あいつが。
見ていたものが一瞬にして、灰色の世界へと変わった。
色の薄い世界。プラットホーム。
俺はすぐさまG-SHOCKに示された時間を確認する。
――00:01:45。
「やはり、この空間の時は、止まっているのか」
……二秒にも満たないそのカウントは静止していた。
つまり、数十秒、いや、二〇秒近くに感じられていた、あの無数の景色の空間で経過した時間はたったの一秒半だってことか。
世界は切り替わらない。
俺は、ベンチから立ち上がった。
プラットホームの先にある巨大な窓。そこへと向かう俺の足音が、すべてを響かせていく。わずかな時間でもいい。この世界のことを少しでも知ることが――
景色が歪む。
……そうか。
「はい!」
切り替わりと同時に目一杯声を上げた。
それに応えるように、カチッという音が二つ響く。
「二一時四分五七秒」
「二一時四分五七秒です。ぴったりですね」
目の前には、柳井さんと竹内千尋。
入れ替わり前とおなじ、二一時四分五七秒。
つまり、世界が切り替わっている間のあの時間は、現在世界には反映されないのか。
「あれ、三馬さんは? 二人だけですか?」
「ああ、ちゃんと入れ替われたんだな。まずは部室に戻ろう」
周囲を見回すと、文化棟玄関前に俺たち三人はいた。
車道から聴こえる車の流れる音。夏の夜虫の鳴き声。さきを行く二人の足音。現実をたしかめながら、俺は柳井さんと竹内千尋のうしろにつづいた。
「あの、ここは映研世界ですよね?」
「そうだ。三馬は時間が取れなくてな。まずは部室に急ごう」
八月十六日 二一時一〇分。
「ここまでくれば安全だろう」
映研部室に到着してから、柳井さんが言った。
「説明もなしにすまない。磯野のドッペルゲンガーとの遭遇を避けることが第一だった」
「こっちの世界でもドッペルゲンガーが出たんですか?」
「オカ研世界でも出現したのか」
映研世界でも起こったドッペルゲンガーの出現。
だが、大学ノートを使い出したのは映研世界は二日遅れのはずだ。こっちの世界に出現するには少し早すぎないか?
「なんで俺たち、文化棟玄関前にいたんですか?」
「ドッペルゲンガーの存在を竹内が見つけてな。そこからすぐに、入れ替わり前の磯野と連絡を取ったんだ。だが、、例の入れ替わり時間、二一時四分五七秒には間に合わず、やむを得ず玄関前で、というわけだ」
こっちの世界だと、ドッペルゲンガーへの対応がちがうんだな。
それにしても、この時間までもう一人の俺はなにをしてたんだ?
「そういえば、三馬さんは?」
「三馬は今回時間が取れなくてな。入れ替わり時間の計測を頼まれていた。三馬の言うとおり、オカ研世界でも同じことをしていたんだな。世界の切り替わりのあいだ、色の薄い世界の滞在時間も計れたのか?」
「……それが、ストップウォッチ自体が動かなくなってしまって。あの世界は前に千尋が言ったみたいに、時間が止まっている世界なのかもしれません」
「え、僕はそんなこと言ってないよ?」
竹内千尋は首をかしげたが「ああ、オカ研世界の僕が言ったんだね」と一人納得した。
……ああ、そうだったか。
なんだか頭がこんがらがるな。
「柳井さん、一ついいですか?」
「なんだ?」
「今回の入れ替わりで、もう一人の俺とすれ違ったんです」
俺の言葉に柳井さんと千尋は顔を見合わせた。
「磯野、それはどういうことだ? 詳しく話してくれるか」
俺はうなずくと、入れ替わり時に起こった出来事を二人に話した。
色の薄い世界に至る前に異空間に入り込んだこと。
その異空間で浮遊感を感じたこと。
その空間でのパラパラ漫画のように切り替わる景色の出現。
そこに見える景色が、八月七日からいままでの場面であったこと。
その空間は、十二日の夜、文化棟玄関前で霧島榛名と遭遇したときに迷い込んだ、あの状況と同じだったこと。
もう一人の俺とのすれ違い。
その間の時間は、1秒45を指していたが、体感的には二十秒はあったこと。
「柳井さん、磯野の話している空間って、磯野自体が光速に近いスピードで、その空間を移動していると考えられませんか?」
「……ああ。光速に近い速度だからこそ、進む時間が遅くなる。相対性理論か。とはいえ、生身の人間が光速に近い速さで移動したところで、無事でいられることないはずなのだが」
柳井さんは「……いや、生身じゃないのか?」と言うと、うーんと唸りながら腕を組んだ。
「磯野の言う浮遊感というのも引っかかりますね」
柳井さんは眉間にしわを寄せながら「……とりあえず、三馬に報告しておこう」とポケットからスマートフォンを取り出そうとした。
「あ、それは僕がパソコン側からメールしておくので、柳井さんは例の件について磯野に話してやってください」
あ、そうだ。
「千尋、三馬さんへの報告に、ええっと……特異点、八月七日午前一〇時二一分と、むこうの三馬さんが言っていたと伝えてくれ。それで通じるらしい」
「わかったよ。八月七日の……午前……」
「一〇時二一分だ」
千尋はキーボードのエンターキーを押すと、俺に振り返った。
「特異点か。なんだかすごそうな話だね」
「三馬が来たときに、話を聞いたほうがいいだろうな。さて、おまえの不在のあいだの出来事、十三日の朝からいままでのことを話しておこうか」
柳井さんの話によると、十三日の入れ替わりのあとに、もう一人の俺と情報共有をしたらしい。
その後、午後からちばちゃんもまみえて、一連の超常現象についての話となったそうだ。
俺の体験した一連の出来事。
オカルト研究会における霧島榛名の存在。
その榛名が所属している各サークルのこと。
以上のことをちばちゃんに話すと、やはりと言うべきか穏やかならざる反応があったらしい。
ちばちゃんは、自分がひとりっ子であることをふたたび伝えたうえで、大学ノートに書かれていることを話してくれた。
超常現象――特に世界の切り替わりに関することが書かれていたらしい。
肝心のノートの確認については、一度家族と相談したいとの本人の希望で、見せてもらうのはいったん保留となった。
「それ以降、ちばちゃんは映研の部室に来ていないんですか?」
「……ああ、残念ながらな」
……おい、マジかよ。勘弁してくれよ。





