10-03 どの並行世界の磯野君にもちゃんと私が介在している
八月七日一〇時二一分に世界各国の地磁気観測所に災害レベルの磁気嵐ノイズの誤検出があった。その時間を特異点だと三馬は判断し――
三馬さんは腕時計を見たあと、大学ノートに目をやる。
「つぎに大学ノートの解析についてだが、特に何も見当たらなかった。異常な磁気の検出も無ければ、放射線反応も無い。ただ、筆圧については、
――このノートの塗り潰された部分も含めて、一回の圧力のみで筆記されていることが解った」
予想通りではあったが、と三馬さんはつけ加えた。
柳井さんは驚いて、俺から大学ノートを受け取りテーブルの上にひろげ、重ね書きがされているページをひらいた。
「これが、一筆書きになっているってことか?」
「え?」
オカ研メンバーがノートに顔を寄せた。
「そうだ。一人の磯野君の、一筆書き状態で書かれている。判が押されていると言った方が近いか。磯野君が書いているという事実を与えることで文字が浮かび上がるとすれば不思議ではない。超常現象という不可思議な事態の中にあるのはかわりはないがね」
三馬さんは笑った。
「したがって磯野君が重なった状態でも、他の磯野君が出てきて書き込んでいるわけでは無いはずなんだ。もし他の磯野君が出てくれば、二人分の筆圧になるはずだからね。ということで、さっきのドッペルゲンガーはいささか驚かされたのだが――」
三馬さんは、もう一度時計を見て「あと一二分か」とつぶやく。
「「文字の浮かび上がり現象」を起こそう。この事態に対する解決方法を示してくれるかもしれん。それでも無理なら、もう一冊ノートを用意して、磯野君のインフレーションによる集約状態を分離させよう。今回大学ノートに書く内容は――」
「ドッペルゲンガーに関することを中心にですよね」
「その通り。なるべく他のことは考えずに、ドッペルゲンガーについて意識を集中してから書き込んでほしい。そうしないとページがもつまい」
俺はうなずいて大学ノートを手元に引き寄せた。
三馬さんから手渡されたペンを持ち直し、おもに今日発生したというドッペルゲンガーについて頭の中で言語化していく。柳井さんから説明を受けたドッペルゲンガーへの対処法も付け加えながら、ゆっくりとペンをノートに近づけた。
そして、次の瞬間、
――ノートに文字が埋め尽くされた。
いや、ちがう。
あまりのことに俺はもちろん、この場にいる全員が凍りつく。ページがめくられたそこには、
――何ページにも渡って、まったくの隙間無く黒が埋め尽くされていた。
なんなんだ、これは……。
まるでホラー映画に出てくるような、ゾッとするこの光景にこの場にいる全員が圧倒された。
沈黙を破って、三馬さんがボソリともらす。
「……こうなることもある程度は予想はしていたが、実際に目にすると、肝が冷えるな」
三馬さんはノートを拾い上げ、次のページをめくった。
次のページ? そう、次のページ、つまり最後のページは……、
三馬さんは最後のページをひらいたまま、俺たちに見せた。
柳井さんが「白紙か」とひと言。
「残念ながらね。何者かの意思が、このページに一言でも書き込んでくれていれば良かったんだが。ただ、どの並行世界の磯野君にもちゃんと私が介在している。このことが明らかになったのは幸いとしておこう。磯野君、もう時間が無いからこのあとのノートを用意して一時的なドッペルゲンガー対策としておくよ。むこうの私に会ったら、この件についても伝えておいてくれ」
三馬さんは再び時計を見て「あと五分七秒だな」と言うと、鞄の中からもう一つ、腕時計を取り出した。
「この時計のストップウォッチと私のスマートフォンのストップウォッチアプリで、磯野君の入れ替わりを計測したい。磯野君以外のこの中で、反射神経のいい人にストップウォッチの計測をお願いしたいのだが」
オカ研の三人の面子は互いに顔を見合わせた。
「俺はそれほど反射神経は良くないぞ」
「柳井は確かにそうだな」と三馬さんが笑う。
「僕もシムシティとかは好きだけど、こういうのは苦手かなあ」
みんなの目線が千代田怜に向けられる。
「えっ? わたし? いやいや……ご冗談を」
「千代田、お前よくドリフト走行会に行ってたよな。この前もインプレッサで――」
柳井さんの指摘に、怜は目を泳がす。
「あれは……まあそうですけど、慣れですよな――」
千代田怜に腕時計が手渡された。
「入れ替わり時間になったら、磯野君は「色の薄い世界」を経由するはずだ。そこから映研世界に戻るまでのあいだに、数秒の間があるだろう。それを君のスマートフォンのストップウォッチアプリで計ってほしい。あ、君が愛用しているらしいG-SHOCKでも構わないが」
三馬さんは俺の左手首を指差した。
「色の薄い世界では確か、スマートフォンを操作したんだよね?」
「ええ。最初に訪れたとき、時空のおっさん的存在との接触のときも動作していました」
「つまり色の薄い世界にあるものは止まっているが――正確にはわずかに動いているだろうが――、こちらから持ち込んだものは動くってことだ。よし。映研世界に入れ替わったら、そのストップウォッチの値は確認出来ない可能性が高い。なので、ギリギリまでストップウォッチから目を離さず、異変に気づいたら……「はい」とひと言。出来れば大きな声で」
「けど、入れ替わったらそんなことをしても――」
「当然、映研世界の私たちも、同じことを考えて待ち構えていることが前提だよ」
なるほど。
俺はうなずくと、G-SHOCKをストップウォッチモードに切り替えた。
三馬さんと怜はそれぞれ時間を確認して、そろそろあと六〇秒となる入れ替わり時間――二一時四分五七秒を待つ。
「緊張してきたね」
三馬さんの言葉に、無言でうなずきながら千代田怜の顔がこわばった。
「30秒」
……映研に戻ればそこからが本番だ。
ちばちゃんの大学ノートを頼りに、この一連の事態の原因を突き止め、霧島榛名をあの一人きりの世界から救い出す。……ああ、かならず。
「10秒、9、8……」
俺はG-SHOCKのストップウォッチ画面に指をそえる。
「4、3、2、1――」
――世界が歪む。
ストップウォッチの開始ボタンをタップ。
数字が回転を始めた。
浮遊感。そして――
周囲がパラパラ漫画のように切り替わる。
霧島榛名の手をつかんだときと同じように。思わずG-SHOCKから目を離し顔をあげると、景色の移り変わりが前よりもゆっくりとハッキリと見えた。そして、その景色はすべて、俺がいままで過ごしてきた現実世界の場面であることに気づく。それも、
――八月七日からいままでの、限定された期間の夏の景色だった。





