10-01 この瞬間もドッペルゲンガーが部室に入ってくるかもしれん
部室に戻った磯野は、竹内から文化棟ロビーで磯野を見たと言う。柳井、千代田、竹内は磯野のドッペルゲンガーだと確信し――
突然の死の脅威を告げられ、俺の頭は混乱する。
ドッペルゲンガーに遭遇したら死ぬ。その言葉が頭を埋め尽くし、思考の猶予を奪う。
「磯野、都市伝説としてならそうだ。自己像幻視、いわゆるドッペルゲンガーは、芥川龍之介や、ゲーテなど歴史上の著名人も遭遇したと言われている」
だがな、と柳井さんは一拍おき、眼鏡のブリッジを上げた。
「今回起こっているドッペルゲンガー現象は、文字の浮かび上がり現象による世界と磯野のインフレーションと、その重なり合いが原因だ。なにかしら科学的根拠があると見ていい。だからその根本的な対処については、三馬がきてから考えることにしよう」
「……そう、ですね」
ただの都市伝説とはちがう。
原因が伴っていると考えることで、多少、気持ちを落ち着けることが出来た。
「なあ千尋。さっき俺のドッペルゲンガーを見たときのことを詳しく話してくれないか?」
竹内千尋はうなずくと、回転椅子をテーブルの前まで転がして話しだした。
「えーと、一時間前かな、十六時過ぎに僕は学生生協前の自動販売機に飲み物を買いに行ったんだけど、その帰りに文化棟のロビーで磯野を見かけたんだ。僕は声をかけたんだけど、そのときの磯野は全然振り向かなくってね。そのまま磯野は階段を上がっていったんだけど、そのあとを追いかけてもどこにもいないし、部室にも来ていなかったんだ」
「それって、別人の可能性もあるんじゃないか?」
「あれは磯野だと思うなあ。横顔も見えたし」
高校以来の仲である竹内千尋。
俺のことを、しかも顔まで見たのに見間違うはずもないか。
「だとしたら、いまもこの大学構内に、俺のドッペルゲンガーがいるってことか?」
「それは大丈夫だと思う。そのあと僕たち三人は文化棟を中心に見てまわったんだけど、ドッペルゲンガーらしきものは見当たらなかったんだ。見回りが終わってすぐに磯野が部室に来たから、そんなに時間は経っていないし」
「千尋、柳井さん、怜もありがとう」
俺の言葉に、三人はほんの少し表情を緩ませた。
「まあ、あんたがドッペルゲンガーと鉢合わせにならなくて本当によかったと思うよ。今回の超常現象に関することなんだろうけど、やっぱりドッペルゲンガーなんだし。それで柳井さん、このあとどうするかも考えたほうがいいですよね?」
千代田怜は、そう言って柳井さんを見た。
心配してくれてのことだろう。こいつが気を回してくるのは珍しいが、それくらい切迫した状況だと怜も感じているんだろうな。
そういえばドッペルゲンガーを最初に発見したのもこいつだったか。
「ああ。しかしドッペルゲンガー現象が発生している最中は、適切な対処が判明するまで、不要な刺激は避けたいという気持ちもある」
不要な刺激……か。けど、それって――
「いまのところは放置したほうがいいってことですか?」
「いや、この瞬間もドッペルゲンガーが部室に入ってくるかもしれん。一時的な対処だけはしたほうがいいだろう」
「一時的な対処、ですか?」
柳井さんは、ああと言ってうなずくと、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「これから、SNSのオカ研グループに
――磯野はすでに部室にいる
と送る」
「え? どういうことです?」
「いまこの世界は無数に重なり合い、それと同じ数の磯野もまた、さまざまな場所にいる可能性がある。だが、いままで通りなら、俺たちの世界ではその無数の磯野は現出しない。そこにSNSで連絡したところで無数の磯野に届くことはないだろう」
そりゃそうだ。
いままで日記があったからこそ、重なり合う俺たちは連絡を取り合うことができた。けど、この世界に実際にいるのはこの俺一人なんだから、スマホを使ったところでどうにもならない。
「一方、今回のドッペルゲンガーは千代田や竹内に見えた。ここが重要だ。つまりドッペルゲンガーが現出するってことは実体化しているってことだ。では無数の磯野の中から、俺たちの世界にドッペルゲンガーとして現れたとき、いまこの場でSNSのオカ研グループに「磯野が部室にいる」ことを伝えたらどうなると思う?」
そうか! ドッペルゲンガーとしてこの世界に現れた――実体化したのなら、そいつの持っているスマートフォンにもSNSからの通知が届く。そして、それを見たドッペルゲンガーの俺は――
「そいつは、もう一人の――つまり俺との遭遇を恐れて避けようとする……」
「そうだ。このメッセが送られたあとのお前にとって、この部室が結界と同じ意味を持つ」
柳井さんはスマホを操作しだした。
すぐに俺の待受画面に柳井さんからの通知が届いた。
「ただし、これにも落とし穴がある」
「落とし穴?」
「もし、ドッペルゲンガーの現出が、いまこの瞬間、この部室で行われたら――」
「……回避する方法は……無い」
まあ、と柳井さんはそこで顔を緩ませ、やっといつもの苦笑いを浮かべた。
「そんなピンポイントの確率は相当低いはずだ。あとは磯野のリアルラック頼りだが」
……なんとも苦笑いを返すしかない。
「ドッペルゲンガーの一時的対処の段取りを詰めておこう。磯野は定期的に自分のいる場所をSNSに送る癖をつけとけ。あとGPS機能もオンにしてあるか確認しろ」
八月十六日 二〇時三二分。
ようやく陽の暮れたお盆明けの夜、部室の蛍光灯をつけたところでドアがひらいた。
ご機嫌ようの挨拶とともに三馬さんが入室してくる。
三馬さんは、俺たちに笑顔を振りまきながら、
「遅れて申し訳ない。ドッペルゲンガーだって? 大変なことになったね」
そこまで言うと三馬さんは目を止めた。
視線の先には千代田怜。
「なんだい柳井。このサークルには美人しかいないのかい?」
「え、わたしのことですか?
「あ、最近はこういう言葉もセクハラに当たりますな。大変失礼しました。どうも三馬です」
「あ、いえいえ。あは、千代田怜です」
怜は照れ笑いしながら挨拶を返し、俺たち野郎三人にドヤ顔をむけた。
なんというか、その、ちょろい。
微妙な表情を浮かべた俺と柳井さんをよそに、三馬さんは、部室ドアの横にあるパイプ椅子を慣れた感じで取りだして座った。
「これは返すよ」
三馬さんは、鞄のなかから例の大学ノートを手に取り、中身を軽くめくってから俺に手渡した。
「とは言っても、さっそく使うことになるのだがね。時間が無いのだが、柳井から聞いたドッペルゲンガーに対する一時的対処について少し時間をとろう」
俺はノートをペラペラとめくり確認してみたが、特に異常はなかった。文字が追加された形跡もない。
「さて、柳井が送ったというSNSについてだが、もしドッペルゲンガーの磯野君から返事があったら厄介なことになる」





