09-05 女の子を放ったらかしにしたら駄目なんですよ、磯野さん
模型研で熱烈な歓迎を受ける霧島千葉。そこで彼女と彼女の姉の名前の由来を知ったのだった。その千葉から話があると磯野は言われ、
オカ研部室に戻ると十六時過ぎ。
竹内千尋は、部室を出るときとまったく同じ姿勢でパソコンに向かっていた。
「おかえりー」
珍しくワンピース姿の千代田怜が、ソファでグッタリしている。
「怜、どうしたんだ……」
「……ふぇ?」
「死にそうな顔してんな……お前」
「あんたこそ、なんで部室に戻ってきてるの」
「は?」
なに言ってんだこいつ。
「戻るもなにも、模型研のぞきに行ってただけだぞ」
「え? さっきリュック背負って南門にいたじゃない」
なんなんだ? 話が見えない。
ちばちゃんは怜の横に座り、ふたたびソファに突っ伏した怜の頭を撫でる。
「千代田さん、磯野さんとわたしたちは、いままで模型研究会に遊びに行ってたんですよ?」
「え?」
怜は起き上り、ソファに座りなおした。
そのままちばちゃんを引き寄せて抱っこし、膝の上にのせた。
「磯野、さっき南門で会ったじゃん」
怜の話によると、つい先ほど南門で俺と鉢合わせたという。
自転車に乗った俺は、自宅に帰るところだったそうだ。
だが、俺はいまのいままで模型研にいたんだ。わけがわからない。
「わたしちゃんと話したんだから! 磯野だって「そんな調子悪そうなのに来んなよ。帰って寝ろよ」って無神経なこと言ってたじゃない」
「無神経って……それ気遣ってるって言わないか?」
「これから夏祭りに行くのに、そんなこと言うほうが無神経でしょ」
ああ、そうですか……って、コイツは寝ぼけてるのか?
「怜、あなた疲れてるのよ」と言ってみるが、怜は不満顔のまま俺に会ったと言い張って譲らなかった。
「まあ、ここまで言い切るんだから、千代田の言うことを疑うのもちがう気がするな」
「わーん! 柳井さーん!」
千代田怜は、ちばちゃんを抱えたまま柳井さんにすがりつこうとした。
「こら、やめんか」
「千代田さん、信じますから夏祭りに行く準備しましょう?」
ちばちゃんに諭されて、ハッとした顔になる怜。
ちばちゃんを抱っこしたまま立ち上がると「ちばちゃん浴衣持ってきてるね?」と言って、二人して荷物を持って部室を後にした。
というか、主にちばちゃんが連れ去られた。
「柳井さん、怜の話、どう思います?」
「磯野のドッペルゲンガーか。気にはなるな。あとで三馬にも報告しておこう。さっきのインフレーションに対する警告と関係があるかもしれん。ただ、実際見てみないとなんとも言えんな。しかしまあ、とりあえずは――」
柳井さんは苦笑いを見せる。
「十六日の夜の入れ替わりまで、少しのんびりしてもいいんじゃないのか? ここ一週間いろいろあって疲れただろう。今夜はなにも考えずに夏祭りを楽しめばいい」
パソコン机にいる竹内千尋も、うんうんとうなずいた。
十八時に大通公園の一丁目で待ち合わせ。
オカ研の野郎三人は、テレビ塔の下で女どもを待っていた。
それぞれ普段着に一枚余計に羽織ったような格好。
さっぽろ夏祭りとはいっても、本格的な露店が並ぶ六月の北海道神宮祭や先週のすすきの祭りとはちがって、今回のはビアガーデンと盆踊りメイン。つまり俺たちからしてみればただの飲み会だな。
しかし怜にとっては、浴衣を着るのに充分な大義名分であるわけで、十五分ほど遅れて到着した女性陣はみんな浴衣で着飾っていた。
「お待たせー」
人を待たせていたにもかかわらず浮かれ気味な怜に、文句のひとつでも言ってやろうと思っていたのだが、それが無粋に思えてしまうくらいに、三人三様、夏の華やかさを纏っていた。
ビアガーデン会場へと向かう。
となりを歩くちばちゃんは、可愛らしい淡いピンク花柄にさらに濃い目のピンクの帯を蝶結びで結んでいる。前を歩く千尋のとなりの怜は、爽やかさが漂う、薄いすみれ色の浴衣に水色の帯を結んでいた。すっきりした印象がある。
「あれは角だし結びって言うんですよ」
大人っぽくて千代田さんらしいですよね、とちばちゃんは微笑んだ。
そして、先頭を歩く柳井さんのとなりの榛名は、白地に赤模様の浴衣に濃い紺の帯で、ちばちゃんの蝶結びよりもシンプルな形で結ばれていた。あれにも名前があるんだろう。そして、榛名自慢のロングヘアは、髪を上げて横に纏められていた。
なんでこの三組の組み合わせになったのか。
単に自然な流れでというのが答えではあるが、俺にとっては正直ありがたかった。
浴衣姿の千代田怜といえば、撮影旅行での一件が思い出されてどうにも居心地が良くなかった。いや、俺としてはあの一件はそれなりに、というかおおいに動揺を催す出来事だったし、動揺を催すほどに千代田怜との時間は甘美なものであったのはたしかだ。
だからこそ、映研世界の怜とのあいだに気まずさを抱えてしまったわけで。そのぶん、オカ研世界の怜とはなにもなかったのだから、余計なことを考えずに済む気安さのようなものがあるはずだった。
さりとて、浴衣姿を見せられてしまっては内心穏やかではない。
さらに、一方的にあの出来事を覚えていることで、うしろめたい気持ちもあった。
霧島榛名は、あいつはあいつで映研世界では一目惚れの相手であるし、顔を見ると映研世界とはちがうとはわかっていても、どうしてもあの晩の榛名のことを思い出して重ねて見てしまう。それに髪を上げたいまのあいつは、正直心奪われるほど綺麗で可愛いくて、近くにいたらいろいろな感情が混ざり合って、どうにかなってしまいそうだった。
ふと、俺の袖が引っ張られていることに気づいた。
ちばちゃんはさっきから俺に話しかけていたらしい。
「もー、なにぼーっとしてるんですか?」
わざとらしく頬を膨らませて怒ってみせるちばちゃん。
うん、最高にかわいい。
「ごめんごめん、ちょっと考えごとしてて」
もう、と軽く悪態ついたあと、ちばちゃんは微笑んで俺をたしなめる。
「女の子を放ったらかしにしたら駄目なんですよ、磯野さん」
こやつめハハハ。ませたことを言いよる。
「そういえば、さっき話があるって言ってたけど」
ちばちゃんは、俺の言葉にサッと緊張した面持ちになった。
目をそらしたまま、俯き気味に口をひらく。
「あの……いままで黙っていたことがあって……」





