08-02 可愛いって言ったけど……それがどうしたの?
オカ研側と「文字の浮かび上がり現象」について情報共有をした磯野。それとは別に、なぜオカ研でもサークル旅行に行くことになったのか説明を受ける。
「一日でサークル旅行の計画組み立てたのかあいつは」
「うん。僕も怜があんなに行動力があるのには驚いたよ」
「……こっちでもあいかわらずだな」
「すごく行きたがってたんだね、旅行。けど、ああいうところは可愛いと思うなあ」
と、千尋の屈託のない笑顔。
……だったのだが、俺を含めた三人は目を丸くした。
榛名が千尋の肩に手を置く。
「竹内、いま千代田のことなんて言った?」
「可愛いって言ったけど……それがどうしたの?」
「いやあ……竹内にしてはその、意外だなあ……って」
わかるぞ榛名。
あの己の興味以外に他人に対して微塵も関心をむけない竹内千尋が、女の子に対して、特に千代田怜に対してかわいいなどとのたまう、このなんとも言えない違和感。
高校以来、そんな稀有な状況など起こるはずもなかったので、すっかり油断してしまっていた。
これもまた、一つの超常現象を目の当たりにしているのだろうか。
「なんだい? みんな」
千尋は、はてなマークをつけて俺たちを見た。
そのまま榛名と目が合うと「榛名も可愛いよ」とさわやかな笑顔を見せた。
千尋、それ取ってつけただろ!
取ってつけただけだろ!
だが――
「ひやあ!」
榛名は、砂浜で見せたのと同じように、両手で頬を挟んで悶えた。
なにこのシチュエーション。
まるでボーイッシュの女の子が、黒髪ロングの美女をあざやかに堕とす百合空間を見せられているようだ。
やっとのことで気持ちを落ち着かせた榛名は、今度は両手を千尋の肩に置いて言った。
「竹内、すごくキュンときた! すごくキュンときたけど、そういう言葉は本気で好きになった子にだけ使え」
「え、けど榛名、可愛いよ」
「…………!」
榛名は、千尋の両肩に手を置いたまま、うつむいた。わずかのあと、無理やり上げたその顔は、まるではじめて告白された女子中学生のように真っ赤に染まっていた。
「……ごめん竹内。いまのは本気で破壊力がありすぎた。それ言うの、ホントに好きな子だけにして……誤解……招くから」
「はーい」
竹内千尋は、理解したのかわからないが、いつもの通り、純粋無垢な少年の瞳を向けて榛名に微笑んだ。
その余韻まで含めてダメージを受ける榛名。
それを見て、なんとも言えない顔をしていた柳井さんが我に返る。
「……話を戻そう。磯野側の話を聞きたいんだが、その前に三馬に会った直後に入れ替わりがあったってことは、こっちでした実験が三馬に伝わっているってことか」
「そうですね。いまごろ三馬さんに伝わっていると思います。それと、むこうの柳井さんと千尋も含めて打ち合わせているので、今日の午後にはちばちゃんに、大学ノートに関するなにかしらのアプローチができるかと」
「うまくいっていれば、一気に前進するな」
前進という言葉に、昨晩の柳井さんの顔が思い浮かんだ。
「……前進ですね」
「どうした?」
「あ、いえ、なんでもないです」
そうだよ。前進しているんだ。
しかも、映研世界でちばちゃんの大学ノートのことがわかれば、霧島榛名の過去もわかるはずなんだ。「色の薄い世界」へ入るヒントだって書かれているかもしれない。
「ただ、その結果を俺たちが知れるには、少なくとも二日は待つことになる」
「柳井さん、もしかしたら入れ替わり時間がまた延びる可能性も」
「たしかに、そうだな」
柳井さんは「このバッファはなんとも焦れったいな」と苦笑いを浮かべた。
「じゃあ磯野の二日間について訊こう。映研世界ではなにがあった?」
俺は映研世界での十一日から十三日までについてかいつまんで話した。
映研側でのノートの用意。
柳井さんと竹内千尋へのカミングアウトと協力体制の確立。
三馬さんの巻き込み。
そして、昨日十二日夜の、色の薄い世界への再侵入。
映研世界の霧島榛名との接触はについては、伏せたままにしておく。榛名に切り出すタイミングは、柳井さんと相談してからにしたい。
「順調みたいじゃないか。時空のおっさん的存在と、そっちのちばちゃんが榛名を探していた可能性があるっていうのが、やはり気になるところだな。榛名はどう思う?」
「たしかに全部わたしの入部してるサークルだな。けど、わたしはその大学ノートについては知らないぞ。知ってたらすぐにみんなに相談するだろうし」
嘘を言っているようには見えない。
「けど、そっちの千葉がわたしを探しているんなら、その大学ノートを書いているのはわたしなんだろうなあ、とは思う」
「榛名、お前が大学ノートについて知らないのは当然だと思う」
「ん? どういうこと?」
「映研世界で遭遇した霧島榛名が磯野との記憶があるのなら、おそらく大学ノートの記憶もあるんだろう。――ってことはだ、榛名、おまえがこっちの世界でも大学ノートの記憶があるとすれば、おまえの存在もまた消えているってことになる」
「あ、なるほど。わたしがここにいられるのは、大学ノートに身に覚えが無いからか」
「推測にすぎん。だが、大学ノート自体が超常現象の原因だとしたら、ノートが現れていないこっちの世界は、まだましな状態にあることになる。その大学ノートは、超常現象なんていう世界に歪みを起こす異物なのだろうからな」
「その大学ノートがわたしの前に現れたら、ちょっと怖いな」
「ノートが現れたとして榛名が消えてしまうかどうかは、正直、俺にはわからん。磯野が作った大学ノートだって、ここにあるんだからな」
「そういえば、たしかに」
榛名は、上目遣いで俺を見つめたあと、掛け布団で顔を隠した。
だから、その可愛い仕草やめーい。
まあ、深刻になられるよりはマシだ。
――もう一人の榛名は、あの色の薄い世界に置き去りにされたままなのだから。
「榛名、もし大学ノートを見つけたら、余計なことは考えずにすぐに俺たちに報告しろよ? もう磯野ひとりの問題じゃないんだからな」
「会長、わかってるよう」
「話はかわるが、磯野、今回は文花棟玄関前から色の薄い世界に迷い込んだんだよな」
「はい」
「てことは、色の薄い世界への入口は、学生生協前のベンチだけに限らないってことか」
「そうだと思います。色の薄い世界に訪れるには、場所よりも、時間的なタイミングにあるのではないかと」
「ねえ磯野、文化棟玄関前で磯野が消えたのを、そっちの僕と柳井さんは目撃したんでしょ? だったら色の薄い世界に入り込むときは磯野の体ごと移動しているってことだよね?」
「……言われてみればそうだな」
「だったら、やっぱりこの前話してたみたいに、磯野の入れ替わりも体ごと入れ替わっているのが自然だと思う。魂とか意識とかのレベルじゃなくて、物理的に」
そうか。いままで入れ替わりに関して曖昧に考えていたが、夢でもなく、実際にこの世界から消えて移動しているのか。それって――
「八月七日のはじめて色の薄い世界に訪れたときも、現実世界から消えていたってことになる?」
「その可能性は高いね」
けど、なにか引っかかるな……。





