08-01 これが竹内の匂いかーキャー
オカ研側でもサークル旅行で小樽に来ていることを榛名から教えてもらった磯野。ホテルに戻り、柳井、竹内、榛名の四人でオカ研世界不在の間の情報共有を行う。
ホテル四階にある男部屋へ到着した野郎三人と霧島榛名は、奥から並ぶベッドにそれぞれ腰をかけた。
一番手まえのベッドを陣取った榛名は、麦わら帽子を取り、ふふっと声をもらしながら「これって誰のベッド?」と口走った。
男部屋に来るのはテンションが上がるんだろうが、さすがにはしゃぎ過ぎだろう。とはいえ、白いワンピースにすっと伸びた手足と、整った顔立ちの彼女を眺めていると、お嬢様がふだん接点などない庶民の空間にときめいているようだ。
「僕のベッドだよー」
にこやかに手をあげる竹内千尋。
榛名はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。そのまま千尋の掛け布団に顔を押し付けながら「これが竹内の匂いかーキャー」と、わざとらしく悶えた。
うんアホだな、アホがおる。
その直後、ナワバリでちがう臭いを嗅ぎつけた柴犬のような顔をして、榛名は首をかしげた。
「なあ竹内、ひょっとしておまえ女か? すごくいい匂いするぞ」
「えーそんなことないよー。あははは」
どうせ温泉三昧の名残りだろ。
匂いはともかく、千尋は男の娘をさせても通用する容姿ではあるが。
さて、俺が映研世界に戻り撮影旅行に参加していた十一日のこちらの様子を柳井さんからうかがうことになった。
その日は、まず入れ替わった「もう一人の俺」に、オカ研出身かどうか確認したそうだ。
「昨日までの磯野は、やはりこの世界――オカ研世界の磯野だと言っていた。そうなると、おまえが気にしている大学ノートに書き込んだとされる磯野は、また別人ということになる」
「映研出身の俺と、オカ研出身の俺がいるのは納得できます。けれど、それとはべつに三人目の、しかも映研出身の俺がいるっていうのは、どういう理屈なんでしょう?」
と、口に出しながらも混乱してしまう。
この三人目の俺、というのがどうにもしっくりこない。俺自身この世界にいて意識もあるのに、同じ状況の別人としての俺が、どうすれば存在できるのだろう。
「わからんよ。だがこういうことを考えさせたら頼りになりそうなやつに声をかけておいたから、そいつに任せたらなにか解るかもしれん」
「三馬さんですか?」
柳井さんは一瞬驚いたが、すぐに腑に落ちた表情になってうなずいた。
「映研世界の俺も三馬を頼ったのか」
「ついさっきですが、三馬さんに「文字の浮かび上がり現象」を見せたところで、世界の切り替わりが起こりました」
ふと、榛名を抱きしめてしまった浜辺でのことが頭に浮かぶ。俺は、無意識のうちに彼女に目線を向けてしまった。
こちらに気づいた榛名は、最初、訝しげに俺を見たが、そのうち俺がなにを考えているのか察したらしい。さっきまでの悪ふざけとは打って変わって、恥ずかしそうに掛け布団で顔を隠した。
なに、その可愛らしい仕草。
わざとらしい以上に、胸に刺さりまくりなんだが……。
「なるほど。まずはこっちで起こったことの報告をさきに済ませるか。十一日は主に文字の浮かび上がり現象の実験を行った。竹内、実験についてまとめてたよな?」
「はい。磯野、ちょっと待ってね」
竹内千尋は、榛名の座るベッドの傍に置かれたモスグリーンのリュックの中から、リングノートを取り出してその場でひらいた。
榛名は千尋の肩越しからノートをのぞく。
こうして二人を見ていると、あたかも浴衣姿にボーイッシュの女の子に、白のワンピースに黒髪ロングの美女のベッドでの百合百合しいツーショット……って、俺も怜のことを言えないな。
「えっと……まず最初に――
磯野以外の人間が大学ノートに書き込みをしてもなにも起こらない。
スマホなど、デジタル機器を用いた書き込みも反応なし。
磯野の思ったことの範囲において、書こうと思った内容から意図しない書き込みもあった。
書き込み回数が増えるうちに、にじみのような箇所が点在するようになった。
数ページにわたる文字の浮かび上がりが起こった際は、書き終わりのページに移動していた。
そして、書き込む量が増えるごとに、磯野自身も相応の疲労が出た。
伝えることが無い場合は、なにも起こらない。
――くらいかな」
疲労感やページ移動は俺も体感したが、それ以外にも随分とわかったんだな。にじみのような箇所、か。オカ研世界に切り替わる直前の文字の浮かび上がり現象であらわれた文章はちゃんと目を通せなかったが、そっちもにじんでいる部分があったのだろうか。
俺は、自分のリュックから大学ノートを取り出して、書き込みの最後のほうのページをひらいた。
なるほど。たしかにところどころ、一文単位でにじみのようなものがあるが、これはなんなんだろう。
ほかに気になるところは、八月十二日の夜、オカ研のサークル旅行前夜にもう一人の俺が書き加えた内容だった。
八月十一日の午前三時二五分に、入れ替わったことに気づいたと書いてある。
午前三時二五分……。
そうか。あの日は、撮影旅行の朝、怜の電話で入れ替わりに気づいた。
けれど実際は、午前三時半にはすでに入れ替わっていたのか。
……やはり「ウォーキング・デッド」のシーズンⅡは飛ばすべきだったんじゃないか?
ノートには、もう一人の磯野がオカ研メンバーと情報共有、そして、オカ研磯野への大学ノートの活用方法についての解説と実験について書かれていた。その前のページには、大学ノートの活用の解説の際、実験的に書かれたらしい短めの文章があった。
この数ページからわかったことのなかで、特に重要なのは、八月十一日の入れ替わり時間がほぼ正確に確認できたことだろう。その前が九日の十九時あたりだったよな。で、今回が十三日の朝の八時。
俺がノートを読み終わるのを見計らって、柳井さんが言いそえる。
「この実験で、磯野が筆記というアナログな手段で行ったものに対してのみ反応する、のが明らかになった感じだな。で、その翌日なんだが――」
柳井さんは重い息を吐いた。
榛名も「千代田がなあ。頑張っちゃったもんなあ」と苦笑いを浮かべた。
頑張っちゃった?
……あ、あーそういうことか。





