01-04 前にどこかで会ったことがあるのか?
映研部室へ二人の女子高生が見学に来た。ところが、臆しているのかなかなか部室に入ってこない。映画に興味のあるらしい二人は――
「今日ここにきたってことは、受験はそのままうちの大学を受けるってこと?」
「いえ、そういうことでもなくて……」
青葉綾乃は、歯切れの悪い返事をしながらちばちゃんを見た。
「うーん。二人は何年生なの?」
「わたしもちばちゃんも二年生です」
「てことは二人とも十七歳?」
「若いな」
ふと気配を感じて横を見ると、千代田怜(二十歳)の殺意のこもった視線が俺を突き刺してきた。
これはいかん。祟られてしまう。
柳井さんもまた、俺の言葉につられて比較対象に目を向けたが、俺と同様殺意の波動によって返り討ちにあっていた。
仕方なく女子高生たちに視線を戻すと、思いがけずちばちゃんと目が合った。ちばちゃんは、あわてて目をそらして、小さくなってうつむく。
うーむ……かわいい。
とはいえ彼女の顔を見つめているわけにもいかず、俺もまた彼女を視界からはずそうとしたとき、胸のあたりで釘づけになってしまった。
怜より大きいぞ、この子。
「ちばちゃんも書いてる小説の話とかしてみようよ。わたしだけ話しててもしょうがないし」
そらしたはずの話題をさりげなく戻し、心配顔で傷口をえぐるという愛情あふれる気づかいをする青葉綾乃。それに絵に描いたような困り顔を向けるちばちゃん。
なかなか味わいのある表情だな。この子は意外と言語外コミュニケーションが豊かなのかもしれない。
「ほら。いま書いているお話でも見せたら?」
ちばちゃんは真っ青になってしまった。
青葉綾乃という子は、多分、そういう界隈に無縁で、しかも人びとの良心を信じ切っているからこそなのであろう。いま起こっている事態は、彼女の無邪気な善意をフル稼働させてしまった結果であった。
二人をのぞいたこの場にいる全員が、いたたまれないと感じているのは間違いない。……いや、竹内千尋だけはなにも考えてないのかもしれない。
だが悲しいかな、そんなことを俺ものたまいながらも、すでに彫像と化した小動物の執筆物への興味が、気の毒に思う気持ちをはるかに上回ってしまった。
世界は残酷である。
「お」
「見たい見たい」
「あ……あの……」
「おお」
「ちばちゃんがしゃべった」
「すげえ」
はじめて声を聞き、感動に襲われる我々映研メンバー。
だが、一方の青葉綾乃は「ほら、鞄からノート出しなって」と冷徹に、容赦無くちばちゃんの鞄からノートを引っぱり出そうとする。鬼か!
ちばちゃんは文字どおり涙目になって必死にその手をつかみ、「最後の戦い」を試みた。リュック・ベッソンである。
「まあ……嫌がってるみたいだから、別にいいんじゃない?」
さすがに千代田怜が助け船を出した。
青葉綾乃は少し不満げになりながらも、年輩の言葉にあきらめて手を止めた。
……おまえら本当に友達なのか?
半ば泣き顔のちばちゃんは、青葉綾乃からノートを奪い返し、凌辱のあとのような鞄のなかを必死になって整える。
と、俺はちばちゃんの鞄の中に、やけに汚れた大学ノートがあることに気づいた。それは古びたかのように色褪せている。
なんだろう、妙に引っかかる。
――そのとき、世界が揺れた。
眩暈?
遊園地のコーヒーカップのような揺れと浮遊感。
そんな感覚に襲われている目の前で、俺の視線の先に気づいたのか、ちばちゃんは鞄をソファの奥に押し込めてしまった。
「さっき館内をまわっていたと言っていたけど、うちのほかにどのサークルを見てきたんだ?」
柳井さんの問いに、青葉綾乃は指を折りながら答える。
「えーと、文学会に、SF研究会に美術研究会……模型研究会に、サバイバル……」
「サバイバルゲーム館、サバ館だな。やけにマニアックなサークルが多いな」
「あと四階のオカルト部です」
「オカルト部って、むかし柳井さん入ってましたよね」
「え? ああ」
ダメだ。この眩暈はいつまでつづくんだ?
俺は立ち上がってドアをあけた。
「磯野どこいくの? 顔色悪いよ」
「ちょっと飲み物買ってくる」
千代田怜の言葉を背に、俺は部室から抜け出した。
文化棟と大学図書館を渡す廊下の中間地点に学生食堂と学生生協があった。その手前には三台の自動販売機と木製ベンチがならび、学生たちの憩いの場となっていた。
俺は廊下で立ち話をしている二人の学生を横切り、自販機の前までなんとかたどり着いた。
ベンチに座る前に飲み物は買っておくべきか。一度座ってしまったら動けなくなりそうだ。
俺は財布から一四〇円を取り出した。ふだんなら迷うことなくコーラを選ぶところだが、いまはそんな気分とは程遠い。俺はとなりのお茶のボタンを押した。取り出し口からペットボトルを拾い上げると、その先にあるベンチへ崩れるように座り込んだ。
眩暈はさっぱり治まらない。
あのノートを見た直後だったよな。貧血なのだろうか。ともかく治るまでじっとしているしかない。
俺はペットボトルのキャップをあけてお茶を一口飲んだあと、なるべく下を見ないように、午後の日が差す廊下の窓を見つめた。
さっきノートを見たときの、妙に引っかかるあの感じはなんだったんだろう。ちばちゃんの鞄にあった汚れたノート。なんの変哲もない、ただの大学ノートのはずなのに。そう。なぜか前に見た覚えがある。デジャヴュ? けど、どこで?
そういえば俺が大学ノートを見たときに向けてきたちばちゃんのあの表情。あれは、さっきの絶望とは違う種類のこわばった顔だったよな。緊張と恐れが入り交じったような――
「前にどこかで会ったことがあるのか? もしそうだとしたら、なんで俺を見てあんな顔をする?」
そうぼそりと口にして目線を落とすと、ちょうど腕時計が視界に入った。
――目に映るものの色がやけに薄い。