07-06 この量が一瞬で現れたのか……しかも、ページまでめくられて……
解散となり深夜に帰宅した磯野は、飼い犬のジョンをなだめている最中に謎の気配を感じる。
結局、謎の気配がなんなのかわからないまま、寝る準備をすませた午前〇時五〇分。
明日は、三馬さんの都合で朝の七時半に部室集合となった。
明日……いや、すでに今日の朝七時半に部室着ということは、その一時間前の午前六時半には家を出る必要があるわけで、最低でも五時半起きか。
……結局のところ、自宅に寝に戻ったようなものだ。
布団に入る一時を過ぎても、いまだに入れ替わりは無い。
このままでは二日目に突入してしまう。やはり入れ替わり自体が無くなってしまったんだろうか?
柳井さんは、引き続き入れ替わりがあったほうがいいと言っていた。
けれど、このあとまたオカ研世界に戻ってしまったら、その間、現実世界の霧島榛名と接触できなくなるだろう。そう考えると、もう入れ替わりなんて起こらないでほしかった。
焦ってはいけない。
けれど、いまこのあいだにも、霧島榛名は、あの色の薄い世界に一人取り残されてしまっている。そう考えると胸が張り裂けそうになる。
だが、ダメだ。考えていては身がもたない。明日があるんだ。ちゃんと休まないと……。
俺は、気を紛らわそうとスマートフォンをひらいた。
ホーム画面を見ると、SNSに千代田怜からの通知があった。
しかも通知時間は、俺たちが部室にいた夜の九時ごろ。
こんな時間だし、未読のままにして明日にしようか。
しかし、結論を出したにも関わらず、SNSをひらく俺の右手。理性という名のブレーキがちっとも仕事をしてくれない。
「撮影旅行お疲れさま。旅行中ずっと調子悪そうだったし、今日はちゃんと休みなよ」
怜らしい文章に、思わず苦笑いしてしまう。
返事は明日かな。いや、既読にしてしまったんだから、ひと言くらい送っといてやろう。寝ていればマナーモードにでもしているだろうし。
「おつかれー。すまん、いま気づいた。怜もゆっくり休めよ。おやすみ」と送信。……したのだが、その数秒後に返事が返ってきた。
「起きてるの?」
そして、可愛らしい猫が驚くスタンプ。
その後、解散後になにをしてたのか訊かれたため、柳井さんと千尋の三人でさっきまで部室にいたことを伝えた。ところが、その後も怜の返事が続いてなんとなくやり取りしてしまった。
……これって、長引くパターン?
いや、眠いのだからさっさと寝たいと言えばいいのだろう。
そう、言えば良かったんだけれども、なんというか、負わなくてもいい、負い目があったのかもしれない。
というわけで、怜としばらくのあいだやり取りを続けてしまった。
昨日の土砂降りが嘘のように、雲ひとつない青空のもと、俺は文化棟横の自転車置き場から全力で走った。
八月十三日 午前七時四七分。
この時点で一七分の遅刻である。
大変申し訳ない。大変申し訳ないのだが、多少の遅刻は多めに見てくれ。ほぼ徹夜なんだ。
息を切らしながら部室のドアをあけると、柳井さんと竹内千尋、そして、見かけない大柄な男の人が部室にいた。
「遅れて……すみません!」
「遅いぞ磯野」
「おはよー」
「礒野、もしかしてお前、また寝てないのか?」
柳井さんは、ため息を吐きながら呆れた顔をむけた。
「眠いだろうが、三馬もそんなに時間がないらしい。早速はじめるぞ」
「おはよう、君が磯野君だね」
「あ、はじめまして。三馬さんですよね、よろしくお願いします」
いまだ肩で息をする俺に、三馬さんと思しき人物はうなずいて笑顔で手を差し出してきた。
握手?
一瞬の戸惑ったが、流れのまま俺も手を差し出した。
三馬さんは色白でやや恰幅の良い感じの人だった。
「柳井から聞いていると思うけど、私は柳井と高校から付き合いでね。去年やっと博士課程を終えたところだ。たいして役には立たないだろうが、よろしく」と苦笑いをした。
三馬さんは本題に入った。
「話はこれからじっくり伺うが、まずは「文字の浮かび上がり現象」というものを見せてほしい」
「はい」
俺はうなずいて、大学ノートを出した。
「これが、文字の浮かび上がり現象が現れたノートです」
三馬さんはノートを受け取るとページをめくった。
すでに書き込まれてある文章と、白紙のページをゆっくりと確認する。さらにもう一度、文章を書いているページを最初のページからペラペラとめくると、ぽつりと言った。
「この部分は……重なっているのか」
「なんです?」
「いや、まずは磯野君のその現象を見せてもらってからにしようか」
大学ノートを受け取り、ペンを持って文章の空いているところに現在の日時を書き込んだ。
八月十三日 午前七時五六分。
書くべきことは決まっている。
昨晩の霧島榛名との接触。
彼女とともに色の薄い世界へ迷い込んだこと。
そこは海岸だったこと。
榛名には、俺が知らない記憶があること。
手を離した瞬間、プラットホームへ飛ばされたこと。
そして、時空のおっさんとの接触。
よし。
俺は意識を集中して、ノートにペンを近づける。そして、
――文字が浮かび上がった。
四回目となる文字の浮かび上がり現象。
今回もまた、数ページに渡る分量が埋め尽くされていた。
「おお、これは……すごい!」
三馬さんは、声をあげてノートをのぞき込む。
「この量が一瞬で現れたのか……しかも、ページまでめくられて……」
三馬さんはしばらくノートを見つめていた。
が、ふと、なにか思いついたような顔を俺にむけた。
「もしかしたらだが――」
そのとき、三馬さんを含めた部室全体が歪んだ。
俺の視界そのものが灰色へと変化し、無数の景色が通り過ぎていく。その景色は、どれもどこかで見たようなものばかりだった。
そして、ほんの数秒の後、
――駅のプラットホームにたどり着く。
それを見とめた直後、景色はまたも歪み、
――霧島榛名がいた。
彼女は麦わら帽子を被り、白いレースのワンピース姿で海を眺めている。
「……榛名!」
俺はそう叫んで彼女の手をつかみ、
――抱きしめた。強く。
もう離さない。
二度と離れ離れにならないように。
ゆっくりと耳に届くさざ波の音。
海から聞こえる二羽のカモメの鳴き声。
潮の香りと生温い夏の空気が肌に触る。
抱きしめた彼女の髪が、俺の顔にかかる。
シャンプーの、彼女のいい匂いがする。
俺は強く抱いた腕を緩めて、彼女の顔を見た。
ロングヘアの美女が、真っ赤な顔をして俺から目をそらした。
ロングヘア?
――そうか、ここは、オカ研世界か。





